中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

お女郎地蔵と火の玉不動(旧中山道を歩く 33)

2005年05月04日 20時44分00秒 | 2.武州(埼玉県)の旧中山道を歩く(27~65
(桜「一葉」2005.Apr.25.荒川土手で撮影)

(お女郎地蔵と火の玉不動)
日本橋を後に旧中山道を歩いて、六日目(2004年10月11日)
長いインターバルの後に、浦和宿からスタート。
出発が遅れPM13:40与野駅を出発。

旧中山道浦和宿と大宮宿の、間の宿のしるしという
(一里塚と一里塚の間に作られた半里塚の跡)
大きなケヤキの古木を右に見ながら中山道を進む。

すぐ立派なケヤキ並木の道路となり、
同時にケヤキ並木の外側に雲突くようなビル群が
目に付く。
(ケヤキ並木の旧中山道)

(さいたま新都心のビル群)

さいたま新都心。
平成13年(2001)浦和、大宮、与野の三市が合併。
「さいたま市」が誕生した。
旧大宮市がその中心になろうとしている。

このケヤキ並木の中ほど、右側の歩道上、
高台(たかだい)橋(ばし)の手前に「お女郎地蔵」と「火の玉不動」が
小さな屋根の下に並んで建っている。

さいたま市教育委員会によれば、
(昔、大宮宿の旅籠 柳屋には、千鳥、都鳥という
女郎姉妹がいた。二人は親に捨てられ、宿場の人に拾われ
育てられたが、養い親が長の患いで先立ち、借金だけが残った。
その借金の返済のために二人の姉妹は、柳屋に身を沈めた。

美しい姉妹は街道筋の評判になり、男冥利には、
一夜の仮寝の床を共にしたいと思わぬものはなかったという。
そんな中、宿場の材木屋の若旦那と千鳥が恋仲になり、
末は夫婦にと約束を交わしたが、不運にも時の大盗賊、
神道徳次郎が見初め、身請けするという話になった。
柳屋の主人は、材木屋の若旦那のことを知っていたので、
一日のばしに返事を延ばすと、悪党の徳次郎は、
嫌がらせを散々したあげく、宿に火をつけると脅した。
千鳥はこれを知って、主家に迷惑は掛けられず、と言って
徳次郎の言いなりにもなれず、思い余って高台橋から身投げした。
以来、高台橋付近で人魂が飛ぶようになり、
近所の人が哀れんで地蔵像お建てた。
これを「お女郎地蔵」という。

「火の玉不動」
その頃、高台橋付近に火の玉が飛ぶのを付近の人が見かけた。
これは神道徳次郎に見初められ、橋から身投げした女郎
「千鳥」の霊魂だと言われたが、正体を突き止めようと
一人の男が、ある夜、松の木陰に隠れて火の玉に切りつけた。
「キャー」と声がして消えてしまった。暗闇を見据えると、
ものすごい形相をした男が立っていた。
「何者」と質すと「オレは不動明王だ」と言う。
「それなら剣を持っているはずだ」といえば
「剣は今お前が切り落としてしまった」と言って消えた。
翌日、高台橋へ行ってみると、石の不動様が怖い顔をして立っていたが、
なるほど剣を持っていなかった。
そのことがあって、この不動様を「火の玉不動」と呼ぶようになったと言われる。
高台橋付近には、昔刑場があり、大盗賊の神道徳次郎も御用になった末、
刑場の露と消えたと伝えられる。)
                 (さいたま市教育委員会)
(右がお女郎地蔵、左が火の玉不動)

(お女郎地蔵)

(欠けて見にくくなった火の玉不動)

街道を歩いていると、いろんな伝説に出会えて楽しい。




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1 コメント

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高台橋に現れた火の玉は 結局は千鳥の物では無く... (どら)
2005-06-03 18:11:27
高台橋に現れた火の玉は 結局は千鳥の物では無くて 千鳥を哀れんだ お不動様の物だったと言うことなのですか?
剣を奪われたお不動様 なんだか情けないようだけれど 相変わらず怖いお顔で カルラを連れて立っていらしたのでしょうか? 面白い話ですね?
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