
「普通の人々」で監督業に乗り出し,主催したサンダンス映画祭が音楽界における「カレッジ・チャート」と同様の地位を占めるようになってからは,「俳優業」の比率がどんどん後退していったという印象の強いロバート・レッドフォード。とは言え,先日職場の会合で「レッドフォードを知っているかい?」と訊いたところ,20代と30代はまだしも,40代からも「知らない」と言われたのには驚いた。一世を風靡した美男俳優もヒット作に恵まれないとこうなってしまうのか,と内向き日本社会を象徴する状況に愕然としたのだが,そんな自分も「俳優引退作」と聞いて,深い感慨に包まれる,という心持ちには正直至らなかった。
けれどもその監督が「ア・ゴースト・ストーリー」のデヴィッド・ロウリーと知って,俄然興味が湧いた。腐っても(失礼)サンダンスの親玉,超一流の目利きであることは変わらなかったし,その期待に応えたロウリーも見事に素晴らしい仕事を成し遂げた。
10代から70代まで強盗に明け暮れ,脱獄を繰り返すこと16回。せっかく人生の黄昏を共に歩む伴侶となる可能性のある女性と巡り合いながら,「楽な人生よりも楽しい人生を」というモットーに殉じて,再び「微笑み強盗」へと戻っていくフォレスト・タッカー(レッドフォード)の物語。タッカーはどんな時も「ジェントルマン」であり,常に「微笑み」を絶やさず,「脱獄」を繰り返す。これら一見相反する要素を,晩年まで繰り返す,否,どうしても反復せざるを得ないということ自体,完全に犯罪への「依存症」に陥っている証拠だ。フライヤーには「最後の1秒まで自分の生き様を貫け」とあるが,最早「生き様」などではなく,明らかに「病状」を克明に描いた作品と言える。
けれどもレッドフォードのフィルモグラフィーを振り返って,明らかに大きな転換点となったのが「明日に向かって撃て!」のサンダンス・キッド役であったことに気付くと,全てが腑に落ちる。白い帽子を被った保安官に追われ,南米まで行き着き,最早最後かと思われた時にもまだ「次はオーストラリアだな」と嘯いていたキッドこそ,犯罪依存症の原点だったのだ。「ア・ゴースト・ストーリー」で夫を亡くして哀しみの淵に沈んだルーニー・マーラが,友人から差し入れられたパイを食べ続ける姿をフィックスで延々と写し続けたロウリーの粘着気質が,16回の脱獄をすべて見せるというまさかの幕切れで見事に活きる。
「犯罪」ならぬ「映画」に捧げたレッドフォードの「依存症」人生を言祝ぐ,鮮やかな弔辞だ。
★★★★
(★★★★★が最高)
けれどもその監督が「ア・ゴースト・ストーリー」のデヴィッド・ロウリーと知って,俄然興味が湧いた。腐っても(失礼)サンダンスの親玉,超一流の目利きであることは変わらなかったし,その期待に応えたロウリーも見事に素晴らしい仕事を成し遂げた。
10代から70代まで強盗に明け暮れ,脱獄を繰り返すこと16回。せっかく人生の黄昏を共に歩む伴侶となる可能性のある女性と巡り合いながら,「楽な人生よりも楽しい人生を」というモットーに殉じて,再び「微笑み強盗」へと戻っていくフォレスト・タッカー(レッドフォード)の物語。タッカーはどんな時も「ジェントルマン」であり,常に「微笑み」を絶やさず,「脱獄」を繰り返す。これら一見相反する要素を,晩年まで繰り返す,否,どうしても反復せざるを得ないということ自体,完全に犯罪への「依存症」に陥っている証拠だ。フライヤーには「最後の1秒まで自分の生き様を貫け」とあるが,最早「生き様」などではなく,明らかに「病状」を克明に描いた作品と言える。
けれどもレッドフォードのフィルモグラフィーを振り返って,明らかに大きな転換点となったのが「明日に向かって撃て!」のサンダンス・キッド役であったことに気付くと,全てが腑に落ちる。白い帽子を被った保安官に追われ,南米まで行き着き,最早最後かと思われた時にもまだ「次はオーストラリアだな」と嘯いていたキッドこそ,犯罪依存症の原点だったのだ。「ア・ゴースト・ストーリー」で夫を亡くして哀しみの淵に沈んだルーニー・マーラが,友人から差し入れられたパイを食べ続ける姿をフィックスで延々と写し続けたロウリーの粘着気質が,16回の脱獄をすべて見せるというまさかの幕切れで見事に活きる。
「犯罪」ならぬ「映画」に捧げたレッドフォードの「依存症」人生を言祝ぐ,鮮やかな弔辞だ。
★★★★
(★★★★★が最高)