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映画「選ばなかったみち」:人生の終幕に訪れる混乱もまた運命なのか

2022年03月12日 17時31分55秒 | 映画(新作レヴュー)
若年性認知症を患った弟を介護した自らの体験から脚本を書いたサリー・ポッターの「選ばなかったみち」は,まだ「老境に入った」とは言えない作家が患う病と,それに翻弄される娘の姿を描いた小品だ。「ノーカントリー」で不条理を絵に描いたような殺し屋を快演する一方で,「愛すべき夫婦の秘密」では,妻=ルシール・ポールのことを愛しながらも女にだらしない情熱的な夫を演じ,妻役のニコール・キッドマンのゴールデングローブ賞受賞に一役買ったハビエル・バルデムが,運命に抗いながら次第に壊れていく作家を重厚に演じて,ポッターの経験と想像を形にする作業に重要な貢献を果たしている。

今はニューヨークに住むメキシコ出身の作家レオは,娘の介護を受けながら,かつて行ったギリシャで書けずに苦しんだ執筆活動の「思い出」と,故郷で子供を亡くしたことを認められずに妻との間に埋めがたい距離が出来てしまった「記憶」と目の前の現実を行ったり来たりしながら暮らしている。ところが物語が進んでいくうちに,どうやら彼にとって大切な「思い出」も「記憶」も,レオが実際に体験したものではなく,彼の頭の中で作り上げた「幻想」らしい,ということが次第に明らかになってくる。おそらくポッターの弟も,脳内で作られた物語と実際の記憶が渾然となっていくうちに,周囲の理解が及ばない状態へと移行していったのだろう。そんな一連の症状の遷移を物語として残すことが,彼女にとって必要な作業だったということは,運命付けられた変化を扱った「オルランド」を観たものには容易に理解できる。

ただ同様のケースを扱ったフローリアン・ゼレールの「ファーザー」と比べてしまうと,作家の幻想の訴求力に大きな差異がある。レオが混乱するのは,あくまで自分の頭の中に別の物語が浮かんでくる「混乱」だったのに比べて,「ファーザー」において認知力が衰えていく主人公が認識出来ずに陥る感情は,目の前にいる娘やその夫が突然知らない人に見えてしまうという根源的な「恐怖」だった。ホラーではないのに,いつか自分をも襲うかもしれない可能性が通奏低音として静かに鳴り響いていた「ファーザー」の高難度な技と比較してしまうと点は辛くならざるを得ない。

それでも終盤でレオを助ける移民の男と家政婦の温かさは沁みた。幻想も含めて引き受ける度量を,と静かに諭す声に星をひとつ追加。
★★★
(★★★★★が最高)


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