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映画「エリザベス ゴールデン・エイジ」:現代版キャサリン・ヘップバーンの当たり役,今一度

2008年03月02日 21時13分58秒 | 映画(新作レヴュー)
出演作はシリアスな歴史物から都会的なコメディまで,役柄も英国女王からインディー・ジョーンズの敵役,果てはボブ・ディランまで何でもござれ。そして,どんな役をやっても,知性と気品がにじみ出る役者としての芯の強さ。
オーストラリア出身のアクトレス,ケイト・ブランシェットがインド人監督シェカール・カプールと再び組んだ新作には,「アビエイター」で本人の役を演じてオスカーを獲得した,あのキャサリン・ヘプバーンの域に到達することも夢ではない,と思わせるような貫禄すら漂っている。これも一種の「スター映画」と言えるかもしれない。ちょっと地味だけど。

前作にあった,インド映画の決まり事,主演コンビの掛け合いによる歌と踊りに相当するダンスシーンはない代わりに,威勢良く啖呵を切り,鎧に身を包んで勝ち鬨の声をあげる場面が,歌舞伎の口上の如くにぴたりと決まる。
運命の決断を迫られて苦悶する女王が,好きな男のキスだけで「死んでも良い」と呟いて自らを納得させてしまうという,どう考えてもあり得ない展開を,観客にすんなりと納得させてしまう演技の凄みは,やはり別格だ。

次のカットに入るべき音声を,一つ前のショットにダブらせて繋いでいくという手法を多用し,エピソード毎の緊張感よりも,史実の映画化という足枷を逆手に取って,省略の連鎖によって生まれるリズムの効用を最大限に利用しようとする狙いは,それなりにうまく機能しているように思えた。
観客は主役の演技に酔うこと以外に,いつの時代に在っても情報を把握することの大切さや,自然のいたずらがもたらす運命の過酷さを,同時に味わうことも出来るはずだ。

ただ,テンポの良さと電気紙芝居的な面白さを追求したスタッフの努力には限界がある。血が通ったキャラクターと,情念が浮かび上がるような細かいエピソードの積み重ねによってのみ喚起される深い共感は,クライマックスに至ってもついに訪れることはない。
スコットランドの悲劇の女王,サマンサ・モートン扮するメアリの扱いによっては,重層的な面白さが出たかもしれないように感じたが,敢えてエリザベスだけにフォーカスを当てた作りは,エースが4番を打つ野球チームには,小細工は要らない,という判断なのだろう。プロダクションの狙いはシンプルだが,物語の深みには欠けた。

シンボリックなキャラクターの華と重みが,作品の充実度に反比例している,という意味では,ジョニー・デップにとっての「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズに似ているかもしれない。だが後世に彼らの名が語られる時,真っ先に名前が挙がる作品になる可能性は高い。それが,本人の意に沿うことかどうかは,分からないが。


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