ゆったりと生きたい

私も若くないし~~~
しんどい時もあるけどゆっくり生きようと思う。
日記代わりのブログです。

故郷みたいな所

2011-04-18 | 独り言
地方暮らしをしたことのない私が、初めて東北の地に転勤が決まったのは私が20代の頃だった。
その地がとても気に入って・・・私たちは永住をするつもりで新居を建てた。
若かったし、子育てをするのに最適な土地と思ったから。
東北の人々の人情はあつく親戚もいないこの土地で暮らすことに不安はなかった。
それが若さだったかも知れない。

7年くらい住んだだろうか、夫の東京勤務が決まり、夫は約束に反して転勤を受け入れた。

私、自分たちで作った家を離れる気はなかった。
夫にも何とかして、又、仙台に戻ってくれるものと期待した。
それで単身赴任を一時的にすることになった。


夫一人で埼玉の私の実家、というより結婚した時に建て増しをした自分たちの部屋に戻った。
離れ離れの生活は不便でもあるけれど私は自分の実家に戻る気になれなかった。
理由はいろいろあったけれど・・・・・。

でも、私の意に反して夫の起こした金銭問題のために仕方なく私も埼玉に戻ることになったのだ。
東京勤務になった夫の身の回りで起こり始めた諸問題、特に金銭的な問題は別居を続けるのにはリスクがありすぎると私は感じた。

いやいや戻って来た埼玉は私にとってはとても居心地も良いものでなかった。
周囲の人たちは東北の地に慣れた生活とは全く違う。
便利だけどお互い干渉しあわないで生活しているようで淋しかったのかも知れない。

後になってこの土地に嫁いできたパートで知り合った職場仲間が言っていた。
『嫁いで15年経つけれど、嫁ぎ先やご近所からはいまだによそ者扱いをされている・・・・』
そう言って苦笑していたのを思い出す。

歴史の残るこの町の住民は自分たちを生え抜きと言い、他の土地から移り住んで来た人達をよそ者というらしい。
私がなかなか馴染めなかった理由も納得出来た。

けれど、住めば都とはよく言ったものだと思う。
馴染めない、住みにくいと思っていたこの土地で、家を改築したり働いたり、子供の学校のお世話役を引き受けているうちに友達も増え、時間はかかったけれど住みやすくもなってきた。

仙台から戻り、すぐ、又、仙台に行くつもりで生活していた私も東北の地は遠い存在になっていったかも知れない。
定年になったら又、地方暮らしをしてみたいという気持ちもあってずっと、貸家として持っていた。

家を貸すのは最後だろうと思って貸した60代のシニアの夫婦が悪人だった。
60代で一軒家を借りるのも、それも年金の額に比較すると家賃は高い。
私、何かピンと不安を感じたのが事実で、斡旋してくれた不動産屋に断るように言った。

それが・・・・・風邪気味と日頃の花粉症の悪化状態で蔵王の山歩きをしたのが悪かったのか、ひどい眩暈に襲われて仙台の脳外科に入院してしまった。
以後、しばらくは細かい事が私の体調に悪くて契約の事など、全て夫に任せてしまったのがいけなかった。
この夫、オットットと私がふざけて呼んだことがあるけれど仕事しながら細かい神経が使えないのは分かるが、人をすぐに信じ込むいい加減な性格なところもある。
その性格のためにとんでもないトラブルがよく起こったから、善良な性格と思うけどオットットな夫なのだ。
人を疑わない性格は騙されやすく、利用するために近付いてきた人たちには恰好な獲物に見えるかもしれない。
結局、私たちの家も彼の性格を利用されたような結果になってしまった。

最初、断わったこの夫婦、手を変え品を変え・・・
今度は社長をしていると言う妻の名義で借りたいと言って来た。
不動産屋もずいぶんと夫に借主の良い点を宣伝したみたいだ。
リホーム業の経営者である奥さんの文字も旦那の悪筆に比べると立派に見えるし・・・・と、簡単に契約をしてしまった。

後の、まつり・・・
家賃は払わない、家にケチを付けて、改築を迫る。
門扉が低いから物騒だと2メートル以上の高さの塀を作るように迫ってくる。
あちこちと壊して(?)修理をしたと言って修理代を請求してくる。
大切にしていた庭の芝生をはがしシャベルカーを入れて掘り起こし庭木を入れ始める。
庭に石を置いたり、何の目的なのか穴をいくつも庭に掘りはじめた。
家賃不払いの状態で入居しているのならまだしも、私たちの家を改造するような真似までして来たので許せないと思った。
それで、弁護士を頼み法律に訴えることにしたのだ。
でも・・・・・
一般市民を悪の手から守ってくれると思っていた法律も警察も、悪いことに慣れている人間にとって逃げ道があることを知りぬいているのだだからお手上げ状態だった。
簡単に済むとおもった裁判も、最高裁まで持ち込まれ4年の歳月が流れた。
私たちが結局、1審、2審、そして最後の最高裁でも勝利したけれど、満身創痍。
彼らもそれなりに費用はかかったと思うが、私たちに不利なのは遠いと言うこと。
1回の審議に出席するたびに交通費、滞在費、そして友人、知人に挨拶をしたり・・・・費用がかかったのは痛かった。
結果、被告は逃亡ということでかかった費用は泣き寝入りする結果だった。
これも面倒なのは嫌いなオットットの性格もあるし私もこれ以上、関わりたくないし・・・・。

裁判に持ち込む目的で上仙した時、住んでいた私たちの団地に行ってみた。
悪い彼らに乗っ取られた我が家を離れた小学校近くの空き地から眺めた時、
その時は、晴れ女の私でもどういうわけか冷たい雨が降っていた。
最近では、私の気持ちの状態が良い時に晴れるのかもしれないとも思うけど。
広すぎる空き地、そして人気のない通り。
住んでいた頃、広々として自然がいっぱいの仙台のこの地が大好きだったのに・・・・・
長年の月日の流れは人の心も変化させるものらしい。
よく・・・こんな淋しい所に住んでいたなぁ~~~~こんな気持ちになったのも事実だった。

『こういう経験が、仙台の家を手放す気持ちにさせたのだと思うょ。あの人たちにこういうことをされなければ、私、仙台の家を手放さす気にならなかったと思うから。』
悪人、悪人と思っていた借家人の夫婦、その後離婚して夫の方は、行方知れず。
妻の方は夫よりはましな人だったけど、不況で家業のリホーム業もおもわしくなく細々と生きているとか相手側の弁護士が言っていた。
私、土曜日のサークルで気の合う友達にこう話しながら食事をした。
そしてその、翌週の金曜日に大地震に遭遇した。

もしかしてあの、悪人と思っていた彼らは、私に仙台の家を手放した方が良いということを教えてくれた守護神?

今、家を手放した後、不思議なくらいホッとしたのも事実です。
管理する手間もいらない。固定資産税を払わなくてもいい。結構、土地が広かったから税金が負担だったのかもしれない。
若かったころは高速道路を飛ばしすぐに仙台に行ったものだけど、やはり60代は厳しい。
仙台に車で行くためには1泊はして、温泉に浸からなければ疲労が残る。
新幹線に乗れば2時間くらいで着くのですが、往復二人で4万円は年金暮らしにはきついし。
まぁ、だんだんと不動産を持ち続けるのに負担に感じていたのでしょう。
仙台の友達には、離れていてもよく会いに行ったし、電話で話もしたけれど、彼らと疎遠にならなければ・・・・そんな気持ちだけです。 

私って自分でも可笑しいくらい、物事に変なけじめを付けられる。
まぁ、いいか~ 何とかなるサ・・・・