★ ジュネの政治への関与は、いわゆる政治活動とは異なったものである。彼はときどき集会やラジオで話し、断片的な文章を書くだけで、大部分の時間はパレスチナの人々と寝泊りをともにして、彼らの傍らで過ごすのである。彼はパレスチナ人とあの「同一性」だけでコミュニケーションをおこなおうとしていた。したがって、パレスチナ人でも自分のアイデンティティを疑おうともせず、自らの領土を所有することを主張する人に対しては激しい非難の言葉を浴びせかけた。また彼はパレスチナ人が土地を所有するとき自分はもうここにはいない、と彼らにあからさまな拒否の姿勢さえ向けている。そして彼は、パレスチナ人と過ごした経験をもとに、彼の最後の小説である『恋する虜』を書いている。
★ この書物は回想録と銘打たれているが、一つの政治的ルポルタージュであり、時代の証言であり、また詩的イメージに溢れた小説である。『恋する虜』には、その隅々に境界に関する考察が書き留められている。例えば冒頭において、「始めは白かったページが、いま、上から下まで、こまかな黒い記号によって走り抜けられている。文字、言葉、コンマ、感嘆符などで、このページが読みうるとされるのは、これらのおかげだ。とはいうものの、心の中には一種の不安が残り、吐き気に近いあのむかつきがあり、書くことをためらわせる気持ちの揺れがある・・・・・・現実はこの黒い記号の総体なのだろうか?」と彼は問いかける。彼は言葉の持つ同一化作用が、すでに白い紙に対する暴力だと考えている。また一方で、紙の余白の白も別の形で暴力になりうるとも言う。
★ 『恋する虜』はこのような言葉とその余白の白、また自己と他者の境界を巡る戦いの記録である。書くこと自体、すでに境界を生みだすが、その境界は領土を形成し、他の領土に対して排他的に作用する。この力学から逃れる言語はありうるだろうか。『恋する虜』はその問いに対する応答であり、あの「同一性」に基づくコミュニケーションと同じものを、言語によって可能にしようとする試みだとも言える。そしてこの書物は、「私の本のこの最後のページは透明である」という言葉で終っている。
★ 『恋する虜』は20世紀に人類が抱えた「症状」であるパレスチナ問題に対して、言語と境界という論点から思考された、一つの優れた「治療法」を提示していると言うことができる。ジュネという自己は生涯にわたって、セクシュアリティの発達においては幼児的な倒錯(第二章の論議に倣えば、これは「多形」と呼ぶのが正しい)にとどまり、また一般的な意味での「成熟」とは無関係に生きていた。その彼こそが、今日においても解消困難なままであり続ける、人間同士が作り上げた現実について、誰よりも深い地点から見ることができたのである。
★ この書物の二回目の校正中にジュネはパリの安ホテルの風呂場で全裸で、文字通り何も所有せず、いかなるアイデンティティも持たずに死亡する。ジュネの死亡後、パレスチナではさまざまな交渉がなされるが、結局、その15年後にイスラエル当局が取った方法は、パレスチナに分離壁を作ることであった。このように壁を作ることによって問題を処理する振る舞いこそ、ジュネが生涯、拒絶し続けてきたことである。こうした問題の処理の仕方は、巨視的なレベルにおいても、また私たちの日常のレベルでもさまざまに形を変えておこなわれているが、このように生、そして経験を矮小なものに変えてしまう思考にこそ、私たちは徹底的に抗していかなくてはならないのである。
<十川幸司『来るべき精神分析のプログラム』(講談社選書メチエ2008)>
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