Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

ネット圏外

2012-01-18 08:31:34 | 日記


ぼくはツイッターもフェイスブックもやんない。

が、ひとのネット言論(一般意志2.0)は見ている。

今朝、不破利晴ツイッターで見た言論は面白い、三つ引用;


① yukawareiko 湯川れい子
確かにご正解です。RT @fujinamicocoro 脱原発世界会議大成功というツイートをよく見るけど、申し訳ないけど、ぶっちゃけ日本の未来、ヒトの命がかかっている問題に、2日で来場者1万2千人というのは少なすぎると思う。
7時間前
@Toshiharu_Fuwa がリツイートしました。

② iwakamiyasumi 岩上安身
「無税国家論」を唱えていた松下幸之助氏。その理念を実現するため、気鋭の政治家を育てようと開いたのが松下政経塾だった。その第一期塾生として入塾したのが野田佳彦氏。松下幸之助氏の薫陶を受けたはずの野田氏が、皮肉なことに今や大増税内閣の首班。
7時間前
@Toshiharu_Fuwa がリツイートしました。

③ bianc0_ner0 しろくろ
作家にTwitterやらせたら先陣切るのは正岡子規。漱石に勧めると140文字いっぱいツイット、月に3回位の頻度なのにその全てを芥川にRTファボされる、当の本人は番付の常連で、菊池寛がそれに対抗。鷗外は軍医の公式アカ、太宰は夜中に連投。宮沢賢治はそもそもネット圏外。
9時間前
@Toshiharu_Fuwa がリツイートしました。

(以上引用)



三つ目のツイートにある《宮沢賢治はそもそもネット圏外》という言葉に打たれる。

だから、宮沢賢治は、ぼくが近代で唯一興味を持てる<日本人>なのだ。

なかなか賢治を“読む”ことはできないけれど。

以上でこのぼくの“ブログ”は完結している。

しかし、“上記”のように書いたところで、“伝わらない”だろう。

“伝わらないこと”を書けるのも、“ネット言論”である。





<追記>

上記を書いたあとに、‘あらたにす=新聞案内人’で水木 楊(作家、元日本経済新聞論説主幹)とかいうひとの、“新聞に期待する”という文章を読んだ。

こういう文章こそ“伝わる(はずの)”文章なのだ(もちろん皮肉だ)

そういう文章の一部を“例文”として引用しておく;

《 論理が弱いことは、ツイッターやブログも同じようなものです。人間はよほど面白いものでないと、パソコンのモニターに長い間、目を凝らし、論理を追うことなどできない。(というと、この「案内人も同じ電子メディアではないか」と言われそうですが、この欄は幸い、筆者の好きなだけの長さで原稿を書くことを許されていますので、論理展開が可能です)
 論理が溶けていく―これはなかなか由々しい問題で、私たちや次世代の人々は論理的に物事を考える頭の働きを失いつつあるのではないか。
 私はたまたま学生の作文や論文に触れる機会があります。そこで気が付くのは、ただ仲間内と話しているような、論理構成が乏しい、いわばツイッターのような作文や論文が多くなっているということです。
 論理を失うと何が起きるか。結論を先に言うなら、人は歴史観を失います。過去には無数の事実があります。その無数の事実の中から、自分が重要だと思う事実を取り上げる。なぜ重要かを説明する。これこそが歴史観であり、論理なのです。
 歴史観を失った民族は、過去から学ぶことをしないわけですから、必ず衰退します。いや、日本はすでに衰退しつつあるのかもしれない。》(引用)


ぼくは上記の“論理展開”に反対ではないし、ネットより“旧大メディア”(熟議!)がいいとかわるいとか、言っているのではありません。


正しい論理展開をするひとが、その論理展開のように生きる意志(方向)があるかどうかだけが問題のように感じるだけです。






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2 コメント

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こんばんは (不破利晴)
2012-01-18 22:14:49
お久しぶりです、不破でございます。

僕のリツイートを選ぶとは、なかなかコアな試みですね(笑)
ご存知のとおりSNSはひと通りやっておりますが、結論としては日本じゃダメだということです。

水木某の言っている「ネットでは論理が弱い」というのは全くナンセンスですね。しかし、彼もそのことは知っているでしょう。ネットで半ば取り残されているので、ひがみで書いていると思います。
ネットでも論理はいくらでも展開できます。しかし、使い手が意識的にも無意識的にも、あえてそうしない。
以前、Facebookでも散々愚痴りました。あんなにユニークなプラットフォームであるのにも関わらず、Facebookからは何のオピニオンも生まれないだろうと。まあ、SNSがオピニオンの場とは限らないのですが、ではSNSとは一体何かということになる。なんらかの事柄を建設的に展開できなければ、ただの”おもしろテレビ”ですよね。実際、日本のFacebookはそのようなものになっています。だから、僕はイライラして、日本じゃダメだという結論になる。

それでも、SNSを始めとしてネットの世界は止められない。昨日もFacebookに時間を費やしました。どうやら仲のいい友人は好きで、それ以外は嫌いだと僕は感じているようです(笑)
これは Stand Alone Complex ですね。
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Unknown (warmgun)
2012-01-18 23:14:58
不破利晴 さま

やあ、今日も寒いね。
寒いとぼくはますます冬眠モードで、眠くてしょうがない(実際、よく寝てます)

ちかごろ(ご存知のよーに)、ネット(SNS)VS.旧メディア(新聞・テレビ)という論調が姦しいわけで、ぼくの大好きな内田樹元教授が、“新聞・テレビはゴミだ!”と言う始末。

まあ、その通りなわけで、しかし語るに落ちるよウチダさん、よね。

しかし、これら人脈が、中沢新一“緑の日本”とか、高橋源一郎“デモクラシー・パパ”とか、東浩紀と津田大介“一般意志”とか、宮台真司“自画自賛”とか、茂木健一郎“脳科学的温泉の入り方連続ツィート”とか、ハチャメチャに錯綜していくのを、見るにつけ、面白いのを通り越して、もうアカン、という気分にもなっちゃいます。

あまり言われてないのは、新聞・テレビのドーしようもなさ、じゃなくて、BOOKS業界の劣化ではないでしょうか。

本が売れてないかどーかは知りませんが、良い本が売れてないので、良い本を出版すること自体が、じり貧化しているし、今後ますますそーなることが懸念されます。

新聞といえば、ぼくはもう数年前から、一切“新聞紙”を購読していないが、仕事に行った日の昼飯屋の新聞が、天下の読売新聞なので、時間つぶしに見るのですが、それで驚くのは、“社説”ではなく(笑)、広告されている本の、貧困です。

文庫、新書の増大により、たまには良い本が文庫になってありがたかったり、奇跡的に良い新書が出たりすることもあろうが、もともとあった良い本が駆逐されていっているのも現実です。

ぼくはAmazonで古本も含め買うことが多いが、新宿紀伊国屋書店には、仕事の帰りに時々寄ることにしており、裏口から2階の上る階段スペースに設置されている、ベストセラー本の展示を見るたびに、ため息をついてしまう。

別に、本を読めば利巧になるわけではまったくないが、現在日本人の趣味=テイストだけは、よくわかります。
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