Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

ジャーナリズムの精神

2011-01-16 14:35:11 | 日記



朝日新聞社説がNHK新会長に決まった人に、“ジャーナリズムの精神”を説明している(笑)

他人に“ジャーナリズムの精神”を説明したり、要求する人は、“ジャーナリズムの精神”が分っていなくてはならない。

だからここで生じる当然の疑問は、“現在の朝日新聞社にはジャーナリズムの精神があるのか?”という疑問である。

あるいは、“ジャーナリズムの精神”という言葉を聞いて、なんとなく分った気になっている“われわれ”は、“ジャーナリズムの精神”を理解しているのか?という疑問である。

<ジャーナリズムの精神>は、相手を一方的にバッシングする“精神”でないだけでなく、“あのひとには、いいところもあるけど、わるいところもあるのよね”という<公正>を述べることではない。

あるいは、“現在さまざまな矛盾があるけど、将来、こういう矛盾が解消されることを<願う>”などという、隠居の御託を並べることでもない(はずである)

“ああ、平等・公正な神様お願い!”という願望を述べることは、<大衆>の態度ではあっても、<ジャーナリズムの精神>ではまったくない。

しかも現在の<ジャーナリズム>は、“神様お願い!”と言っているうちに、自分が神の代理人になったとしばしば“誤解”するのである。


朝日社説は言う;

①きのう、NHK経営委員会が新会長に選んだのはJR東海の松本正之副会長である。民間で社長を務めたという点で福地茂雄・現会長と共通する。鉄道会社という公共性の強い大企業を経営してきた能力を、公共放送の運営で生かしてほしい。
②松本氏に知ってほしいのはジャーナリズムの精神だ。
深く調べ、幅広い意見に耳を傾け、自律的に判断して市民のために発信する。放送の仕事の経験がなくとも、現場から学び、見識をもってあたれば信頼を集められることは、福地会長が示したとおりだ。
(引用)


ならば、“福地会長”はなにをしたのか;
③最近は放送現場に対する上層部からの細かな注文がなくなり、過剰な自己規制も減ったといわれる。格差や歴史認識などの問題も積極的に取り上げるようになり、番組は活性化した。
④外部の目をもった強いリーダーシップこそ、松本氏に最も期待されるものだ。たとえば、福地会長は昨年、大相撲名古屋場所の中継を取りやめる決断をした。野球賭博にまみれた大相撲への視聴者からの強い批判にこたえた。NHK出身の会長だったら難しかっただろう。
(引用)


いったいなにを言っているのか、まったく納得できない。

A:《放送現場に対する上層部からの細かな注文がなくなり、過剰な自己規制も減った》

もしそうであっても、そんなことは文明社会なら当たり前のことである。
この程度のことで、前会長を評価するなら、朝日新聞は日本という“野蛮社会”を放置してきたことになる。


B:《格差や歴史認識などの問題も積極的に取り上げるようになり、番組は活性化した》

そうだろうか!
現在のNHKの《格差認識や歴史認識》で充分だと、朝日新聞は判断しているわけである。
すなわち朝日新聞とNHKの《格差認識や歴史認識》は、<同じ>であり、まったく格差や歴史を認識していないことを露呈している。


C:《外部の目をもった強いリーダーシップこそ、松本氏に最も期待されるものだ。》

冗談ではない、どこに《外部の目》があるのか。
JR東日本経営者とNHK経営者は、仲良く<内部>にいるのだ。
もし朝日新聞が“ジャーナリスト”として<外部>にいるなら、こんな認識は絶対にありえない。
要するに、朝日新聞社もJR東日本もNHKも<内部>にいるお仲間なのだ。


D:《たとえば、福地会長は昨年、大相撲名古屋場所の中継を取りやめる決断をした。野球賭博にまみれた大相撲への視聴者からの強い批判にこたえた。NHK出身の会長だったら難しかっただろう》

まさに朝日新聞の<知性>を疑う。
“疑う”というのは、レトリックであり、まったく朝日新聞には<知性が存在しない>と、ここでぼくは認定しているという意味である。
その“理由”を説明する必要は感じない。

このブログを読んでいる“知的な”人々には、そんな説明は不要である。

ぼくは、自分が<知的レベルが高い>などとうぬぼれてはいない。(注)
しかし、ぼくはこのまったく不十分なブログにおいて、朝日新聞のような痴呆的言説を引用したり書いたりはしていない。

いったいこの“大メディア”の、<ジャーナリズムの精神=社会批判>のかけらもない言説に、ぼくらはいつまでつきあって“いられる”のだろうか(溜息)


馬鹿は死ななきゃなおらない。

しかし、<彼らの死>を待っている、時間はない。



(注)
日々、自分より”知的レベルが高い”言葉に出会っていて、どうして”自分は知的レベルが高い”などと、うぬぼれることができるだろうか。






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