恒例の(笑)“内田教授ブログ”ネタである。
お仕事の依頼がきてしょうがない内田教授は、神戸女学院同僚の“石川さん”(ぼくは知らない)と“マルクス本”を書いているということである。
引用しよう;
石川さんは人も知る「代々木の人」である。
私の前歴はご存じのとおり「反代々木の人」である。
考えてみると、全共闘運動からはや40年が経つが、「代々木の人と反代々木の人がしみじみとマルクスについて語る」という本というのは、これまでに企画されたことがなかったのではないかと思う。
そういう意味では、けっこう「画期的」な本である。
石川さんは私の神戸女学院大学におけるもっとも信頼する同僚であり、「極楽スキーの会」の同志である。
彼の誠実、正義感、ぶれのなさ、ユーモアの感覚、そして宴会好きに私は深い敬意を払っている。
政治の本質は「あいつは敵だ、敵を殺せ」というものだと言われる。
だが、私は政治の本質は「みんな仲間だ、仲良くしよう」でなければならないと思っている。
いかにして共同体の統合を果たすかというのが政治闘争の究極目標である。
その目標に向かう過程では「いかにして、できるだけ多くの人々を仲間に引き入れるか」、それだけが問題にされるべきである。
そういうふうに考える人はきわめて少ないけれど、私はそう考えている。
政治力とは「反対派を効果的に排除する能力」のことではなくて、「反対派と仲良くなってしまう能力」のことである。
それはまっすぐに「天下無敵」「万有共生」という武道の原理に通じている。
(引用終わり)
ぼくがこの“内田ブログ”を読んで、いつもまず感じるのは、“よう書けるなー”ということである。
このひとのひとつのブログは結構字数が多いし、“いそがしい、いそがしい”と言っているのに、結構しょっちゅう更新している。
たぶん、このひとは、文章を書くのが早いのである。
本を読む(他人の本を読む)のも早いのである。
ひとつのブログの字数が多く、更新も多く、書くのが早い、というのなら、“ぼく”も同じである。
ただちがうのは、内田氏は読者が多く、ぼくは多くない、ということである(笑)
それは内田氏がすでに著書や講演で、“有名人”であるからであるが、なによりも彼の文章には“ポピュラリティ”があるからである。
この“ポピュラリティ”というのは、まず書いてある言葉のつらなりが“分かりやすい”ということだが、その<本質>は彼が書いていることの<内容>が、誰もが“考えているよーなこと”だからである。
(さらに内田教授とぼくの<差>は、ぼくは他人の本を読むのが<遅い>ことである)
ただどうなのかね、上記引用で《「代々木の人」》とか《「反代々木の人」》とかいう言い方は、いまの若モンには、ワカルのかね?
“予備校の種類”と勘違いする方々がいらっしゃる、のではないか。
ぼくは、“かつて”も“いま”も、《代々木の人でも反代々木の人》でもないけどね。
でも、そういうひとたちは、知ってる。
あと、上記引用にもあるが、内田教授が“武道の人”なのも、人気のヒ・ミ・ツなんだろうね。
《それはまっすぐに「天下無敵」「万有共生」という武道の原理に通じている》
とか書かれると、“その気になってしまう”人々も多そうだ。
なにしろ、現在“人気モノ”になる要素のひとつは、<格闘技>だもんね。
そういう意味でも、“スポーツおんち”で“反格闘技”のwarmgunには、ポピュラリティはないよ(涙)
でもなにより内田教授的キャラの魅力は、
《石川さんは私の神戸女学院大学におけるもっとも信頼する同僚であり、「極楽スキーの会」の同志である。彼の誠実、正義感、ぶれのなさ、ユーモアの感覚、そして宴会好きに私は深い敬意を払っている。》
というような、“同僚にたいする愛”なんだろうね。
まったく“大学教授”というのは、友愛に満ちた結構な職場“にお勤めなんだよ。
さて、問題は、こういう<世界観>のひとに、“マルクスがわかるか?”ということである(爆)
すぐつけくわえるが、“ぼくにはマルクスがわかっている”などと言うつもりはない。
ただ上記引用の内田氏のブログを読むと、そういう疑問がわくのである。
《いかにして共同体の統合を果たすかというのが政治闘争の究極目標である。
その目標に向かう過程では「いかにして、できるだけ多くの人々を仲間に引き入れるか」、それだけが問題にされるべきである。
そういうふうに考える人はきわめて少ないけれど、私はそう考えている。
政治力とは「反対派を効果的に排除する能力」のことではなくて、「反対派と仲良くなってしまう能力」のことである。》(引用)
つまり内田教授の<理念>は、《「反対派と仲良くなってしまう能力」》である。
もしそういう<能力>があるなら、人類はとっくに<平和>である(笑)
内田教授にはそういう<能力がある>という<過信>があるようである。
この<過信>をもたらすのは、自分が売れているという<自信>なんだろうね。
ぼく自身は、
《いかにして共同体の統合を果たすかというのが政治闘争の究極目標である》
などということには、“興味がない”のである。
ぼくは<政治闘争>とか、<共同体の統合>などということには、興味がないのである。
“そういうひと”でも、<マルクス>に興味を持つことは、できる。
仕事に行きます!(笑)
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