まだ“渦中”にあるときに、“その後”についてなにか言うことは無意味に近い。
だから今日まで、ぼくは“メディア”に通常より張り付きつつ、なにも言わなかった。
もちろん“今”も、“その後”ではない。
しかし、もし“その後”があるのなら、この震災で、決定的に“終わる”ものがある。
たとえば、“原発がなければ日本経済は破綻する”という立場である。
もちろん、それを終わらせるためには、すべての日本列島に居住する人々の省電力生活が必要であり、そのためには“生活を変える”必要がある。
キラキラ、ちゃらちゃらした“街”を変える必要がある。
それは、“日常生活のスタイル”の問題であると同時に、“思想”の問題である。
もしこれまで“思想”に無縁できた人々も、ここから始めればいい。
もちろん“キラキラ、ちゃらちゃらした”ライフスタイルにしがみつく<保守主義者>は、あいもかわらず、自分の馬鹿を棚に上げて《今回のことで分かったことは「バカ」は罪だってことだな》などとつぶやきつづける。
しかし端的に言って、いつの時代も、多数というのはバカである。
それでも、希望に賭けなければならない。
ぼくは自分がバカでないなどと思わない。
だから“他人”からまなぶのだ。
現在進行中の事態に関する“言説”でも、多くのバカげた発言をメディアは流し続ける。
典型的なのは今日の“あらたにす読売編集局から”のような言説である;
《夫はホワイトデーのプレゼントをこっそりと用意していました。「たまには指輪とか欲しいけど」。妻は以前、プレゼントをあまりくれたことがない夫に意地悪を言ったことがありました。そんな夫の贈り物を偶然見つけたのは、津波で犠牲になった夫の遺体と対面した後でした。小さな娘2人と避難所暮らしが続く妻は「この子たちは責任を持って育てる」と指輪に誓います。涙なしでは読めない「夫の最後の贈り物」は社会面です。》(引用)
こんなメロドラマなら、史上空前の災害がなくても、“テレビドラマ”ですでに何万回も見た。
ぼくたちが、今見ているのは(想像力によっても)まったく別の光景である。
しかし今日の読売編集手帳は、天声人語より“マシ”である;
《◆もし我慢や献身が今も日本人の美徳だとすれば、それを最も失わずにきたのは、東北地方のお年寄りだろう。大津波はそんな人々の慎ましい生活を奪い去った◆「物言わぬ」と言われる人たちは、避難先でテレビのマイクを向けられても、救援物資の遅れに怒りやいらだちを顕にすることはまずない。「もう我慢しないでください!」。画面に向かって、思わずそう告げたくなる。》(引用)
《もう我慢しないでください》
さて天声人語である;
《▼がれきの街には、愛する人の記憶をまさぐり、泥まみれの面影を抱きしめる姿がある。「泣きたいけれど、泣けません」。被災者ながら、現地で体を張る看護師長の言葉である。戻らぬ時を一緒に恨み、足元の、そして来るべき苦難に立ち向かいたい▼地震の1週間後、東京スカイツリーが完成時の高さ634メートルに届いた。この塔が東京タワーを超えた昨春、小欄は「内向き思考を脱し、再び歩き出す日本を、その高みから見てみたい」と書いた▼再起のスタートラインは、はるか後方に引き直されるだろう。それでも、神がかりの力は追い込まれてこそ宿る。危機が深いほど反発力も大きいと信じ、被災者と肩を組もう。大戦の焼け野原から立ち上げたこの国をおいて、私たちに帰るべき場所はない。》(引用)
まさに“現場”では、《泣きたいけれど、泣けません》。
この時、
《それでも、神がかりの力は追い込まれてこそ宿る。危機が深いほど反発力も大きいと信じ・・・・・・》(引用)
という言葉の、うそ寒い、そらぞらしさはなにか?
なぜ《神がかりの力》などというオカルト的・原始呪術的な言葉が発せられるのか。
この天声人語の書き手には、近代(モダン)もポストモダンもないのか。
一気に、“近代理性”以前に本家帰りし、近代と近代以後の人類の生活と思考の歴史を、まったく無化(無視)してしまうのか。
まさにこの書き手には、《帰るべき場所》があるのである。
それは“近代以前の”神がかりの非理性の(無思考の)闇である。
まさに“リベラル・ヒューマニズム”の正体である。
この災害後において、死ぬべきなのは、このような<メディア>である。
あるいは今日もツイッターでまったく無意味なことをつぶやきつづける、メディアと大学に寄生し続ける、“寄生虫ども”(”専門家”ども、人間の屑ども)である。
《内向き思考を脱し、再び歩き出す日本を、その高みから見てみたい》(天声人語引用)
まったくちがう。
思考に“内向きも外向き”もない。
自分の“内を”見ない思考などない。
また、自分の外を目指し、自分の外と関わり、自分の外へ溢れ出ない思考は、ない。
《その高み》から見るのではない。
地を這いつつ見る。
そのようにしか生きられない。
けれども、思考は(考えることは)、全世界を見つめるために、はばたく、飛翔する。
検索途中で立ち寄りました。足跡を残していきます。
省電力生活一週間目ですけど、案外慣れるものですね。自販機や外看板の照明など、みんな一斉に消せばどうってことないと判明しました。自分の所だけ消すと競争に負けるとか、隣の店より目立たなくては駄目とか思わなければ全く問題ないわけで、このまま過剰な消費が自然に抑えられていくと良いですね。では。
はじめまして。
実はぼくは地震の日の真夜中に新宿から帰って以来、電車で”街”に出てないんです。
ぼくが住んでいるところは都下の住宅街ですので、コンビニと小さなスーパーくらいしかありません。
それで、新宿や渋谷などの”街”が、いまどんな風なのか、ちょっと見てみたくなってきました。
まあ連休明けには、仕事場の新宿を見ることになるね。
しかもぼくの仕事場は大久保にも近いので、”帰国者が多い”と言われている状況も確認したい。
ぼくは”とし”なんで、高度成長やバブル前の街のイメージもあります。
だから、そういう街との比較もあるわけ。
もっと言えば、ふるいフランス映画やアメリカ映画の街のような雰囲気のカケラを味わえるかもしれない。
ぼくもけっこう消費的人間だったので、もっと自然な原点に戻りたいという気持もあります。
お返事ありがとうございました。
こちらは郊外ですので、新宿や渋谷などの”街”はまた違うかもしれません。
ですので、明日(?)の更新を見に来ます。
現在、日付が変わる時刻ですが、”明日”は仕事に行きません。
もともと現在のぼくは、パートタイマーです(笑)
どうも、明日は行く気にならない。
それから、行っても、報告をこのブログに書くかはわかりません。
ぼくのブログは、あんまり日常を反映していません。
でも、それでいいなら、訪問を(いつでも)歓迎します。
そうですか、ふるい映画との対比など、少し期待していたのですが、
過去ログを拝見して、日常を反映しないスタイルなのだと分かりました。
読書記録のような、心象風景のような、音楽がお好きなんですね。
ときどきある主張はもっと聞いてみたい気がしました。
地震後、変わったことがあります。
「声かけ」が増えました。
節電で建物が暗いから、不便して疲れているから、
互いに敵意がないことを伝えるため、ねぎらいと共感のために、
その場にいるひとは全員、立場に関わらずフラットな感じで。
欧米ではエレベータで乗り合わせた他人に必ず声をかけると言いますが、
多分それと似た発想です。
本文に戻って、決定的に“終わる”のは
“原発がなければ日本経済は破綻する”という立場のほかに、(私は原発は現状必須と思いますが)
報道姿勢への信頼(最後のひとかけら)と
中央政治への期待、依頼心のようなもの、でしょうか。
これらを失い、かつ近代以前に返らない道とはどんな道でしょうか。
国は生殺与奪権を握っているけれども、個人を生かしてはくれないことが明らかになりました。どうしたものでしょう。
知識があり実務をリタイアして時間が十分あるひと(つまりwarmgunさんのようなひと)が考える以外に、だれが選択肢を示すことができると言うのでしょうか。……と、煽ってみたり。
今回、50/60Hz区分は防火隔壁の役割を果たしているように見えます。
関西では節電の必要がなく、生産量最大まで稼動可能ですから。
すると望ましいのは地方独立と緩い連邦制でしょうか、とか適当なことを言ってみます。
私自身は最近、気持ちのうえで完全にリタイアしました。
実際に社会を変える意欲や動機はありません。思考実験を楽しむことを覚えたいのです。
warmgunさんを先輩としてしばらく見学させていただきます。では。
仕事するため、新宿に行ってきました(笑)
まず、仕事場ですが(ほとんど女性なのです)、普段より明るかったですね(笑)
まず往きの電車の車内灯がついてないので、普段はついていたことがわかった。
朝の街は、ちょっと“すいている”ぐらいで、あんまりかわらないよーだが、昼休みに食事に出たら、閉店している店もちらほら(ぼくが昼行く定食屋と喫茶店はオープン)
帰りに靖国通り~新宿通りへ歩いたら、かなりネオンや電光掲示板は消えていました。
紀伊国屋書店やPEPEは6時閉店、西武新宿線は急行がなくて準急のみでした。
ちょっと“ふるい映画”の雰囲気は無理だね(笑)、でも、ぼくもエレベーターに乗り合わせたひとと会話した。
ああ、その“選択肢を示す”というのは、ぼくには無理なんで。
ぼくは非実用的だからね(笑)
ちょっと“東北分離説”というのを思いついたが、ぜんぜん現実性なし。
全部日本国がおカネの面倒みてくれるなら、ぼくら老人が今度の被災地の新造住宅にくらして、自分の住居を被災地のひと(希望者)と交換するというものです(放射能汚染があっても)、この場合、住宅および“あたらしい街”はセンスよく便利で全部タダにしていただく、生活維持費も“国家”が出してね(笑)
しかも“国家”はカネはだしても口はださないでね!
まあ、ぼくもけっこうアホですが、おつきあいください。
>住宅および“あたらしい街”はセンスよく便利で全部タダにしていただく、生活維持費も“国家”が出してね(笑)
>しかも“国家”はカネはだしても口はださないでね!
あまりに都合よく非実用的で微笑んでしまったではありませんか(笑)
福永武彦の短編『未来都市』を引っ張り出して読み返してしまいました。
こういう「理想都市系」ってジャンルとしてあるような気がします。
なにかお勧めはありますか?
福永武彦『未来都市』? 読んでません。
「理想都市系」!
ぼくが読んだのは、反-理想都市系ばかりで(笑)
ブラッドベリ『華氏451』の自分が好きな本を暗記して”その本になる”コミューンというは、いま考えるとよいね(しかしそれは読書が禁止され焚書される未来都市ですが)
むかしむかし最初に読んだSFの1冊、アシモフ『鋼鉄都市』の主人公刑事とロボットとの友情とかハインライン『赤い惑星の少年』の火星人の都市とかは魅力的だったが、記憶が曖昧。
バラードの『バーミリオン・サンズ』とか、ハーバート『砂の惑星』の”フレーメン”の都市とか?!
映画『ブレード・ランナー』の酸性雨が降っているような都市とか!