Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

葬儀

2011-06-26 09:29:50 | 日記


“刑事コロンボ”さんが亡くなったそうだ。

ぼくは‘ひねくれる’わけではないが(ほんとに!)、“コロンボさん”とか“寅さん”が好きじゃない。
見たことは(もちろん)あるが、見続ける気にはならなかった。

でも、ピーター・フォークは、「ベルリン天使の詩」によって記憶される。


それで葬儀の話である。

あるひとの葬儀の話から、ある本ははじまっている;

★ その日、モンパルナスでは優しさと不安の取り留めのないざわめきの中ですべてが滞っていた。四月の空、肌寒い日の光。(略)葬儀は祝祭の雰囲気の中で始まった。そして今、歩道の上でいきなり終了したデモのように終わって行くのだった。


1980年のことである。


ある《高名な人物》が死んだ。

彼が高名だったのは、彼の言葉が《いつまでも離れ離れにならない蜜蜂の群れのように、地球上のあらゆる場所をくるくると旋回した》からであった。

もちろん、この《地球上のあらゆる場所》には、“日本”も含まれていた。

しかしこの《高名な人物》は、この分厚い本=『サルトルの世紀』(藤原書店2005)を書いたベルナール=アンリ・レヴィというひとにとっても、
《好きだったとは必ずしも言えないあの男、とは言え好きでなかったとも言えないあの男》
なのであった。

なにしろレヴィは、ずっとサルトルの『存在と無』を読まなかったのである。

しかしまさに、サルトルは、《種なき個体、もしかしたらその種の最後の個体であって、その種は彼の死と共に絶滅したのかも知れない》。

この《種》を、“知識人”と呼んでしまうことは、退屈である。

しかし、サイードは(サイードも)『知識人とは何か』において、サルトルを参照したのではないか。


ぼくたちの“常識”では、この世界には、“ある事実”や“ある作品”があり、“ある創造的(生産的)人間”がいて、批評家や思想家はそれを解説したり説明することによって、自らの思想を表明すると考えている。

しかしある人物がいて、かれが“それ”について発言するなら(発言することによって)、<世界>が存在するようになり、<世界>への関心が喚起され、<世界>が面白く感じられる“ようになる”言説というものがある。

そのような言説を発信する人物を、知識人と言う。

だから、サルトルは、“最後のひと”だったのだろうか?

いや“サルトルの後に”、フーコーがいる、デリダがいる、あるいはサルトルより年長のラカンが“いる”のだろうか。

べつに、“フランス系”や“哲学”の話をしていない。

この世界に発信するひと、の話をしている。

そして、まさに、このことは、この本でベルナール=アンリ・レヴィが言っているように、それは、個人の問題ではなく“世紀の”(時代の)問題だったのだろうか。

たしかに“このひと(サルトル)”は、発言するひとであり、読みまくり、書きまくるひとであった(あるいは、かれの”豊富な(貪婪な!)“女性関係に興味を持つか?)

しかし、それらの“総体”としての、かれの“生き方”(実存)があった。

しかも、その軌跡は、まったく“立派な”ものでも“輝かしい”ものでもない。
晩年のサルトルには、“惨めな老残”のイメージがつきまとう。

彼の“過激さ”は、ことごとく“空回り”したのではないか。

すくなくとも彼は、子供たちに規範として示せる人物とは、評価されない。
しかし、ここにこそ、“サルトル”という人間の唯一の生(生存)はあった。

ぼくは“ジャン・ジュネ”という人物を発見しつつある今、サルトルを思い出した。

たしかに大江家健三郎を経由してぼくはサルトルを知り、サルトルの“想像力”を卒論のテーマに選んだにもかかわらず、サルトルを充分に読めなかった。

たぶんこのことが、ぼくの哲学コンプレックスとなった。

結局、ぼくはサルトルもフーコーもデリダも読めない。
永遠にその周辺をさまようばかりだ。

けれども、この<違和>こそを大切にしたい。

ぼくは、そこで、かろうじて世界への感触を得る。

日本回帰は、ありえない。

もしこれが軽薄なら、それでいい。
“重厚な(重い)”日本回帰はありえない。

まさにこの自閉世界から少しでも離脱できるなら、<軽薄>であることが、世界を知ることであると思う。






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