Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

この美しい日本

2010-05-04 09:15:12 | 日記


★ 高度成長による激しい撹乱の末期に、国土の変貌のなかで思い抱かれた「美しい日本」という観念も、象徴天皇の<歴史―空間>の修辞の一つであると同時に、もはや歴史的な国土ではなく、むしろ資本の領土につくりだされたファンタジーとして存在する空間に照応しているのである。

★ そこで思い出されるのは、1970年から76年にかけて藤岡和賀夫がプロデュサーとしてかかわった国鉄の「ディスカバー・ジャパン」というキャンペーンである。(略)ポスターは「目を閉じて・・・・・・何を見よう」という。このディスカバー・ジャパンのキャンペーンには「ディスカバー・マイセルフ」というコンセプトと、川端康成のノーベル賞受賞講演のタイトルをもじった「美しい日本と私」というコピーが加算された。

★ 高度成長の総決算として万国博覧会が開かれたが、高度成長とその矛盾の果てに人びとがたどり着いたのは一体どこなのか。藤岡はこの時代の転換を「モーレツからビューティフルへ」という富士ゼロックスのキャンペーンで表現していた。だが国鉄の「ディスカバー・ジャパン」では、その問いへの答えは「自分自身の再発見」にあると考えた。そしてこの自分自身の再発見は「日本の発見」と重ねられた。

★ 問題はこのキャンペーンで「日本という言葉がどうしてこんなに新鮮なのだろう」と感じられたことにある。それはおそらく従来の政治的な党派性の関与を恣意的もしくはニュートラルにするような場所としての「日本」が見いだされているからである。このキャンペーンで若い女性が一人の主体として旅立ち、その風景のなかに入りこんでいったのは、全共闘の敗退や三島由紀夫の死のあとにひらけていった、非政治的・無党派的な貌をした<歴史―空間>である。その新鮮な貌は消費の対象として記号化された風景のモンタージュにより「美しい日本」という修辞を施されている。

★ 「美しい日本」とは過去から未来に続く普遍的な<歴史-空間>としてイメージされ、政治的無関心や無党派性に回帰する場所として存在している。だが、それは宙空に浮かんでいるわけではない。「美しい日本」は、消費という形式で欲望を主体化する資本の修辞学に依拠しながら、無数の「私」の帰属を待っているのである。それは象徴/世襲の天皇の形象を宿らせる<歴史-空間>に少しばかり先立つ、そのもう一つの貌というべきだろう。

<内田隆三;『国土論』(筑摩書房2002)>





最新の画像もっと見る

コメントを投稿