Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

幻覚作用 ;“あやしうこそものぐるほしけれ”

2013-06-07 00:42:39 | 日記

★ もちろん、「つれづれなるままに、日ぐらしすずりにむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。」と、『徒然草』の序文にあるように、《とぜんそう》の幻覚に襲われつつある心的状況を、吉田兼好ほどありのままに描いてみせたものは他にないのであって、この草の影響を調べる場合には、この作品が唯一にして直接的な資料となるのである。

★ 幻覚剤の専門家に言わせると、この幻覚作用は、半覚醒状態をゆるやかに持続させつつある点に特徴があり、その意味では、大麻のそれに極めてよく似ている、ということである。ちなみに、この専門医の現代語訳によると、この序文は、次のようなものになる。「《とぜんそう》の乾燥した束を室内に吊し、その芳香の中で夢とも現ともつかぬまま、一日中すずりに向かって、幻想の中に現れたとりとめもないことを、何となくあれこれと書きつづっていると、そのうちに禁断症状がはじまって、ひどく苦しくなってくるなあ。」

★ 一般に『徒然草』は、極めて常識的なことを常識的に書いただけの、つまらない作品と評価されているが、この専門医に言わせると、この作品の真の良さは、吉田兼好が《とぜんそう》の幻覚下で書いたように、我々もまた大麻を吸ってその幻覚下で読まないと、理解できないそうである。

★ ともかく、現在《とぜんそう》の栽培は禁止され、我が国では和歌山県の農業試験場が実験的に作っているものがあるだけであり、国文学者たちが「古典文学研究のために」という名目で長年にわたってその使用許可を求め続けているのだが、文部省はともかく厚生省がまだ「ウン」と言わない。我が国の国文学者が『徒然草』の真の良さを理解できないのは、そのためなのである。

<別訳 実“とぜんそう”―『高校生のための文章読本』より引用>







最新の画像もっと見る

コメントを投稿