Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

Living Zero リビング・ゼロ

2013-07-25 14:48:46 | 日記

★ 郊外電車の線が二本交差している。都心からそれほど離れていない。若い人たちが集まってくる新しいシャレた町として有名だ。駅の周辺の商店、飲食店は灯が明るく、若い人たちが狭い幾本もの通りを歩き、街角にたむろし、あるいは路地の薄暗がりで肩を抱き合っている。(……)
一年ほど前、この町に引越してきた私。

★ この町の狭い道は平面上で入り組んでいるだけではない。高低がある。上り道と下り道がある。ほぼ平行する二本の道の一方は上り坂、他方は下り坂というところもある。
私の家は下り道の最も低いところにたっている。二年前にこの家ができるまでは荒れた原っぱの中の古池だったという。ツー・バイ・フォー工法で木造ながらしっかりとたてられた二階建てで、外壁も内部も白塗りの瀟洒なアパートだが、そんなモダンな外見にもかかわらず生きものが多いのも、古池を埋めたてたためと思われる。

★ ヒキガエルが多い。玄関の前の植えこみの間によく坐りこんでいる。敷地の中だけでなく、前の道にも這い出ている。
ひと気ない下り坂を降りきって家まで20メートルほどの道の真中に、ヒキガエルが一匹坐りこんでいたことがある。道は狭いが車が時折通る。
「何してんだ、そんなところで」
と私はヒキガエルの傍らに立ちどまって声をかけた。声も出さなければ動きもしないが、生きていることは気配でわかる。傷ついても衰えてもいない。
「車にひかれるぞ」
私は靴の先で軽く触れてみた。だが動き出す様子はなかった。道路のそのあたりがもしかすると古池の岸のお気に入りの場所だったのかもしれない。悠然と落ち着き払ってアスファルトの上に坐りこんでいる。
「悪いけど池はもうなくなったんだ」
私はかがみこんで片方の足の先をつまんで、道端の斜面になった芝生の上にそっと下ろした。つまみ上げても体をもがきもしなかったし、芝生の上に置いても驚いた様子はなかった。ゆっくりと斜面を這い登ってゆく。

★ 決して美しい容姿ではないけれども、それは複雑で精巧な自ら動く物質であり、確率的には本来ありうべからざる奇蹟の組み合わせ、良き混沌からの美しい偶然の産物だ、と私は心の中で言う。
暗い芝生の斜面を這い登ってゆくヒキガエルを眺めながら、まわりの、背後の、頭上の暗く静まり返った空間が、かすかに、だが決して乱脈ではないリズムをもって震えるのが、感じられるように思った。この空間は良き空間だ。原子を、生物を、意識を、私と呼ばれるものを滲み出したのだから。

<日野啓三『Living Zero』(集英社1987)>







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