Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

“健全な青少年”とはどういう青少年か?(笑)

2010-12-11 12:20:56 | 日記


まずニュース;


ニュースA;
<都の性描写漫画規制、可決へ 民主が賛成の方針固める>アサヒコム2010年12月10日13時17分

 過激な性描写のある漫画などを18歳未満に販売できないように規制する、東京都の青少年健全育成条例改正案について、都議会最大会派の民主党は10日の総会で、対応を執行部に一任することを決めた。執行部は賛成する方針。すでに自民、公明両会派は賛成を決めている。民主党を含めると過半数となり、改正案は開会中の都議会で可決される。
民主党の反対で前回案は6月の都議会で否決となったが、今回の案は規制対象を強姦(ごうかん)などの違法な性行為や近親相姦としたことから、同党は「恣意(しい)的な運用で規制が拡大される恐れはない」と判断した。会派幹部は「我々の主張の多くが盛り込まれており、反対する理由はない」としている。
 一方、漫画家や出版社などは今回の案にも「条文はなお不明確」と反発。18歳以上の登場人物を描いた漫画も規制対象に入るため、「むしろ対象は広げられた」などと批判を強めている。


ニュースB;
<講談社・小学館・集英社もボイコット 都のアニメフェア>アサヒコム2010年12月10日20時57分

 講談社、小学館、集英社など漫画を出版する主要10社の任意団体「コミック10社会」は10日、来年3月開催予定の「東京国際アニメフェア」への協力と参加を「断固拒否する」とする声明を発表した。過激な性描写を含む漫画などの販売を規制する東京都青少年健全育成条例改正案に反対するためで、すでに10社会メンバーの角川書店は出展取りやめを表明していた。
 アニメフェアの実行委員長である石原慎太郎都知事が「漫画家に対する不誠実で無理解な発言」を繰り返したと指摘し、改正案について漫画家らと話し合いを一度ももたない都の姿勢を批判した。その上で「このような状況において、イベントに賛同し、行動をともにすることは到底できるものではありません」などと表明した。

(以上引用)



ぼくは知らなかったが、東京都が<青少年健全育成条例改正案>というのを、つくろうとしているということである。

<東京都>の中心にいるのは、石原慎太郎という、文学がわからない人である。


内田樹は<既視感のある青少年健全育成条例についてのコメント>というブログを書いた、その書き出しを引用する;
☆ 東京都の青少年の健全な育成に関する条例の制定をめぐって、表現規制についての議論がさかんである。けれども、「有害な表現」とは何かという根本の問題は主題的には問われていない。
最初に確認しておきたいのは、「それ自体が有害な表現」というものは存在しないということである。
〔引用〕

このあと展開される内田の“ロジック”には、かならずしも賛成でないが、上記引用部分の基礎的認識に賛成する。


内田氏は指摘していないが、例えば上記“ニュースA”に出てくる

《今回の案は規制対象を強姦(ごうかん)などの違法な性行為や近親相姦としたことから、同党は「恣意(しい)的な運用で規制が拡大される恐れはない」と判断した》

とは、いかなる<判断>なのか?

すなわち、“強姦”と“近親相姦”は同じ事ではない。

すなわち、“強姦”と“近親相姦”の区別もできない(そういうことを考えたこともない)方々が、“性的表現”について、なんらかの法的規制を行うこと自体が、笑止千万、河童の屁のような事態なのである。


ぼくは“青少年”ではないし(笑)、“過激な性描写”の漫画やDVDや“世界文学”の愛好家でもない。

しかし、<性描写>が、人間の実存にとって根源的な問題であることは、“理解”している。

このこと自体が、ぼくの“テーマ”でもありうる。

そもそも、“現にある”ことと、それを“描写する”ことという、根源的“テーマ”がある。

わかりやすく“逆に言え”ば、性描写をいくら規制しても、“強姦”も“近親相姦”も現に存在している。
しかもその<存在のリアル>は、18歳未満であるかどうかを問わない。
“無垢の赤ん坊”は、“強姦や近親相姦”からも生まれる。


このことに関して、たまたま近日読んだ大江健三郎『憂い顔の童子』を参照したい。

この小説の主人公・長江古義人には“障害を持って生まれた子”がいる。

この小説で、古義人は、その息子を伴って、自分が生まれ育った故郷の“森の谷間の村の家”に帰っている。
そして“障害を持った子”(アカリ君)の運動不足を解消するため、彼と古義人のモノグラフを書くため同行しているアメリカ人女性ローズさんを伴って地元の町営プールへ行く。

そのプールに中学生を引率してきていた教師が、あからさまに古義人らを揶揄する、引用する;

★ 「健全なる精神は、健全なる肉体に宿る」。このことわざを知っとるか?この国にはな、いま「人権派」というのがはびこってやな、こういうことわざにも噛みつくのやぜ。それならば、不健全なる肉体はだめなのか?そういうのや!――しかしこれはな、ラテン語からきとるのやで。(略)
あすこを見い!外人に手を引かせて水の中を歩いておるのは、普通でない人や。精神障害のことはいわん。しかし身体を見てみい。健全なる肉体とはいえんやろう?それは事実やないか?


これに対する(この教師の発言に対する)古義人の反論は以下のごとし;

★ あんたの『引用語辞典』には作者のジュヴェナリスの名前も出ておらんやろうが、その原典にはな、まちっと別な意味があるのやよ。「健全な肉体に、健全な精神が宿っておるとはかぎらない。」強化訓練に選ばれた小さな頭をあおるためより、死に行く者を励ます詩なのや。



以上のぼくのブログを読んで、“論点がズレている”と感じたひとがいるかもしれない。

しかし“問題は”、<青少年健全育成条例改正案>であった!






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