Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

アメリカの夜

2010-05-01 07:17:41 | 日記


“アメリカの夜”という言葉を見て、トリュフォーの映画を思い浮かべる人と阿部和重の処女長編を思い浮かべるひとがいる。

ぼくは前者であったが、やっと阿部和重『アメリカの夜』をあと十数ページで読了せんとしている。

“アメリカの夜”とはなにか?Wik.から引用しよう(最近ウイキペディアのお世話になってます;笑)
Wik.で“アメリカの夜”をひいたら、トリュフォーの映画が出てきた;

· タイトルの『アメリカの夜』(フランス語の原題「La Nuit américaine」の和訳)とは、カメラのレンズに特殊なフィルターをかけて、夜のシーンを昼間に撮る「擬似夜景」のこと。ハリウッドから広まった撮影スタイルであるため、こう呼ばれた。英語では "day for night" と呼び、この映画の英語タイトルも「Day for Night」となっている。機材やフィルムの感度が上がって夜間撮影が難しいものではなくなった現在では、この撮影方法はほとんど使われない・・・ことになっているが、丁寧に見ていればときどきお目にかかる。
· 日本初公開時のタイトルは『映画に愛をこめて アメリカの夜』だった。1988年のリバイバル公開から『フランソワ・トリュフォーのアメリカの夜』に変更されたが、近年発刊されているデータベース本などでも『映画に愛をこめて アメリカの夜』で記載されてある場合が多いようである。


ついでにこの映画についてのエピソードもピックアップしておこう;

· フェラン監督が見る、少年がステッキで『市民ケーン』のスチル写真を盗む夢は、トリュフォーの少年時代の体験。『大人は判ってくれない』でも少年がポスターを盗むシーンがある
· フェラン監督が注文した本は、ブニュエル、ルビッチ、ドライヤー、ベルイマン、ゴダール、ヒッチコック、ホークス。
· 冒頭でクレーン撮影を行うシーンがあるが、トリュフォー自身は大掛かりなクレーンは一度も使っていない。
· 『突然炎のごとく』でジャンヌ・モローが「誰か、あたしの背中をかいてくれない?」というセリフのとき、小道具係が本当に背中をかいてやったというハプニングがあった。そのとき映画作りの現場を映画にするというアイデアを思いついたのだという。
· 猫が思い通りに動いてくれず、何度も撮影をやり直すシーンは『柔らかい肌』での体験。
· ノイローゼ気味の女優が「ブール・アン・モット」という特製のバターを要求してスタッフが慌てるシーンは、ジャンヌ・モローが『エヴァの匂い』で同じ要求をしたという実話から。女優のわがままを象徴するシーンとなった。
· 劇中劇のストーリーはニコラス・レイ監督とグロリア・グレアムのあいだに実際に起こった事件がモデル。
· フランス女優がセリフの代わりに数字を読み上げるというエピソードは、フェデリコ・フェリーニが『8 1/2』で使った手法。
· 彼女のセリフ「昔は女優は女優、ヘアメイクはヘアメイクだったのに」は、ロベルト・ロッセリーニ時代のイングリッド・バーグマンがよくこぼしたという文句。
· ヒロインの女優の告白をそのまま映画のセリフに転用してしまうエピソードは、『夜霧の恋人たち』で当時恋人だったカトリーヌ・ドヌーヴがトリュフォーに告白した言葉を『隣の女』でファニー・アルダン(彼女もトリュフォーとは恋人関係だった)のセリフにしてしまうことで現実のものとなった。これを見たドヌーヴもやはり「あきれたわ、みんな私のセリフじゃない!」と言ったそうだ。トリュフォーは印象に残った言葉や体験をメモに書き留めて残しておく習慣にしていた。
(以上引用)


映画に愛をこめて。

今生産される映画だけを見ていては、映画についてさえ語れない。



ああ、なのに!

ブログやツイッターで、“見たばかりの映画”について書き散らす人々の傲慢!


この傲慢は、”アメリカの傲慢”に似ている。




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