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見田宗介『現代日本の感覚と思想』(講談社学芸文庫1995)におさめられた「現代日本の感覚変容」の“補”として、“愛の変容/自我の変容”という論考がある。
これは1970年から90年までの「朝日歌壇」の主要な歌を集めた本から、見田宗介がいくつかの歌をひろって、論じたものだ。
ぼくは当時、朝日新聞の購読者だったが、「朝日歌壇」を読むことはなかった。
ここにあげられたいくつかの歌からさらにぼくが好きなものを、引用したい;
★ 一人の異端もあらず月明の田に水湛え一村眠る
★ 犇めきて海に堕ちゆくペンギンの仲良しということの無残さ
★ 閑散たる二十四時間レストランこんな時だけ秋を感じて
★ 受信器がきょう傷ついているのです誰の電話もとらずにいます
★ 雲の影流れる校庭見下ろせば一夏前の君が駆けている
★ 聖母などとわれを崇める男いて気楽ねと言い友と酒飲む
★ 男でも女でもない友達が欲しい雨降る東京の夜
★ 時計屋のすべての時計狂えりきまひるの静かなる多数決
★ 炸裂するTOKIOの隅の六畳で我は静かに狂いはじめる
★ 酩酊せん酩酊せん人と人の間に暗き国境あり
★ 現実を空しいだけの比喩にする、君さえ此処に居れば歌わず
★ ためらわず車椅子ごと母を入れナース楽しむねこじゃらしの原
★ それぞれにそれぞれの空があるごとく紺の高みにしずまれる凧
年齢を問わず、性別を問わず、”おとなになれない”ということが現在の日本人の普遍的条件なので、”おとなになれない”という条件から考えることが、普遍的ではないかと、このごろぼくは思っています。
つまり、”おとなになれない”のは、個人的な問題ではない、という意味です。
ぼくは短歌というのはつくったことがないんだ。
きっと日々の心境を短歌にしているひと(発表しなくても)はまだたくさんいるんだろうね。
ぼくもかっこよく”返歌”したいがだめ。
だいいちぼくは、大人になれずに抜け殻になりそ(笑)