Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

汚辱にまみれた人々の生

2012-04-29 13:30:12 | 日記

★ これらの粒子の何ものかが私たちに届くためには、しかし、少なくともほんの一瞬、それらを輝かせる光の束がやって来なければならなかった。別の場所からやって来る光。それがなければ、彼らは夜の中に潜み続けていることが出来たろうし、おそらくつねにその中にとどまっていることが彼らの定めでもあったはずの夜から彼らを引き離す光、つまりは権力という光との遭遇である。

★ 権力との衝突がなければ、おそらくそれらの束の間の軌跡を呼び起こす如何なる言葉も書かれることはなかったに違いない。彼らの生を狙い、追跡し、ほんの一瞬にすぎないにしても、その呻き声や卑小なざわめきに注意を差し向けた権力、そして彼らの生に引っかき傷の一撃を記した権力、それこそが、私たちに残されたいくつかの言葉を励起したのである。

★ あるいは告発し、苦情を述べ、嘆願をするべく人は権力に訴えることを望んだ。或いは権力が介入することを欲し権力はわずかな言葉をもって裁き決定を下した。あらゆるディスクールにも触れることなくその下方を通り過ぎて行き、一度も語られることなく消え去って行くことを運命づけられていたこれらの生は、権力とのこの一瞬の接触点においてのみ――短い、切りこむような、しばしば謎めいた――その痕跡を残すことが可能になったのだ。

★ もし仮にこれらの生が、或る一瞬に権力と交差することなく、その力を喚起することもなかったとすれば、暴力や特異な不幸の中にいたこれらの生から、一体何が私たちに残されることになったろうか?結局のところ、私たちの社会の根本的な特性の一つは、運命が権力との関係、権力との戦い、或いはそれに抗する戦いという形を取るということではないだろうか?それらの生のもっとも緊迫した点、そのエネルギーが集中する点、それは、それらが権力と衝突し、それと格闘し、その力を利用し、或いはその罠から逃れようとする、その一点である。権力と最も卑小な実存との間を行き交った短い、軋む音のような言葉たち、そこにこそ、おそらく、卑小な実存にとっての記念碑があるのだ。時を越えて、これらの実存に微かな光輝、一瞬の閃光を与えているものが、私たちの元にそれらを送り届けてくれる。

★ あたかも実在しなかったかのような生、それらをただ無化させ、或いは少なくとも消し去ろうとしか望んでいなかった権力との軋む衝突からしか生き延びることのできない生、幾つもの偶然の効果によってのみ私たちのところに届けられた生、ここに私がその幾つかの残留物を集めてみたいと望んだ汚辱に塗れた生、がある。

<ミシェル・フーコー“汚辱に塗れた人々の生”―『フーコー・コレクション6』(ちくま学芸文庫2006)>










最新の画像もっと見る

コメントを投稿