★ 故郷の瓦礫の原をさまよい歩きつつ思った。わたしは2011年3月11日を生き残った。そのうえで、厳然として疑いえない真理はある。呆れるほど単純な、だがしかし、絶対的に否定のしようがない結論。それは、わたし(たち)が、死ぬまではかならず生きてしまう、という決定的事実である。そうであるならば、「巨大な海綿のようなもの」などに、あたら残りの時間を支配されたくはない。死はどのみち遠からずやってくる。死は近い。明日かもしれない。だが、死ぬまでは生きる。おめおめと生きてしまう。もう衒う必要などなにもない。他と連むこともない。えらぶるな。卑下するな。静かにじぶんを語れ。「無常」を語るな。自他の海綿的あやかしと、あくまでも淡々と最期まで戦え。ああ、海があんなにも碧く凪いでいる。
<辺見庸『死と滅亡のパンセ』(毎日新聞社2012)>
<あやかし>というのは、よい日本語だと思ったので、ぼくが理解している“意味”でよいのか、電子辞書・広辞苑引きました;
① 海上にあらわれる妖怪。
② 転じて、怪しいもの。妖怪変化。
③ あほう。馬鹿者。
④ コバンザメの異称。
⑤ 能面の一。妖気を表した男面。
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