結婚50年を迎えた老夫婦にたいして、“おつかれさま”とお祝いの言葉をかけることはよいことである。
ぼくも“老人”に足を踏み入れていれば、なおさらである。
この老夫婦が、天皇・皇后でないならば。
もちろん、この二人を犠牲者として、“同情”すべきかもしれない。
ぼくはこの二人に面識がないので、個人的に言いたいことはない。
ぼくがここで言いたいのは、このことをめぐる“言説”の虚偽と空虚である。
ぼくは昨日の朝日と読売の“社説”を読んだ。
いま天声人語と編集手帳を読んだ。
昨日朝日新聞社説は書いた;
天皇、皇后両陛下はあす、結婚50年を迎える。今年はまた即位20年の節目でもある。同じ時代を生きてきた多くの国民が、自らの半生をこの年月に重ね合わせているに違いない。 (引用)
《同じ時代を生きてきた多くの国民が、自らの半生をこの年月に重ね合わせているに違いない》
この言葉は、誰に向かって、発せられているのか。
なぜ朝日新聞は、“・・・・・・に違いない”などという断定をする権利を所有しているのか。
ぼくは、決して自分の60年以上の人生を“この年月に重ね合わせて”などいない。
それは、ぼくが天皇制に反対であるというような明確なロジックではなく、たんなる素朴な感情である。
ぼくには、(たまたま)“例のテニスコート”が懐かしい場所ではある。
もちろん、そこでテニスをしたわけではなく、そのテニスコートの周辺の道が、ぼくの小学生時代からの記憶につながるからだ。
たしかにぼくは、そのテニスコートそばの“焼き鳥屋”で秋篠宮と背中合わせに座ったこともあった(笑)
しかしぼくがその焼き鳥屋が好きなのは、そこの“むしり”(焼いた鳥をニンニク&大根おろしなどのタレで食べる)や“鳥わさ丼”や“鳥茶漬け”が好きだからである。
“煮込み”は絶品であり、“野沢菜漬け”もいける。
ぼくはこれが食べたいがために、近年も金銭的に無理して、この“旧道”を訪れる。
また、この土地は母の思い出につながる場所であり、ぼくは母の灰をこの土地にまいた。
今日編集手帳(読売)を引用する;
◆あの日、列島が沸き立ったのも、恋の実りという平和あっての「小さな幸せ」に皇室と国民の心が共振したからだろう。天皇、皇后両陛下のご結婚から、きょうで50年になる◆震災があれば避難所の床に膝をつき、被災者の手を握っていたわりの言葉をお掛けになる。悲しむ人に寄り添い、祈ってこられた両陛下の半世紀である。お疲れもあろう。どうかご無理をなさらずに◆やはり当時の歌に、「喜びも悲しみも幾歳月」がある。〈妻と二人で沖行く船の/無事を祈って灯かざす〉。思えば人の世は嵐の海、人はそれぞれに「小さな幸せ」を載せた船をこいでいる。お二人の姿にその詞が重なる
今日天声人語を引用する;
▼あの日、馬車パレードを取材した渡辺みどりさん(74)は、間近の美智子さまに打たれた。「お顔がむき身のゆで卵のようにピカピカで、胸のあたりはピンク色をして、はじけんばかりの美しさでした」。その花嫁は何より、戦後日本の新時代を告げていた▼一番の旧家にも新風が吹き込んだ。浩宮さまをご自分の母乳で育てたのも一例だ。〈含(ふふ)む乳(ち)の真白きにごり溢(あふ)れいづ子の紅の唇生きて〉の歌が残る。平和憲法の下で皇室と大衆を近づけた、ご夫妻の功は大きい▼ピカピカ、ピンク色の日本は戻らなくても、半世紀の平和が残したものは数知れない。皇室の姿をめぐる自由な論議もその一つだろう。祈ること、継ぐこと。悠久の時が紡いだ遺産を託され、思案を重ねる家族を思う。生身の男女を思う。
“小さな幸せ”だって!
だからぼくも“焼き鳥屋”について書いたのである。
“ピカピカ、ピンク色の日本”だって!
美智子さんに失礼ではないか。
もし当時の美智子さんが“ピカピカ、ピンク色”だったのなら、それは彼女固有の美しさだったはずだ。
《生身の男女を思う》
まさに、“男女”は生身である。
その“関係”をになう、男と女のそれぞれが、“生身”だからである。
どんな“男女”も、“象徴”であることは、できない。
<追記>
結婚○十年の老夫婦には、カルメン・マキ-寺山修司による以下の曲をプレゼントしよう;
山羊にひかれてゆきたいの
遙かな国までゆきたいの
しあわせそれともふしあわせ
山のむこうに何がある
愛した人も別れた人も
大草原に吹く風まかせ
山羊にひかれてゆきたいの
想い出だけをみちづれに
しあわせそれともふしあわせ
それをたずねて旅をゆく
ぼくも“老人”に足を踏み入れていれば、なおさらである。
この老夫婦が、天皇・皇后でないならば。
もちろん、この二人を犠牲者として、“同情”すべきかもしれない。
ぼくはこの二人に面識がないので、個人的に言いたいことはない。
ぼくがここで言いたいのは、このことをめぐる“言説”の虚偽と空虚である。
ぼくは昨日の朝日と読売の“社説”を読んだ。
いま天声人語と編集手帳を読んだ。
昨日朝日新聞社説は書いた;
天皇、皇后両陛下はあす、結婚50年を迎える。今年はまた即位20年の節目でもある。同じ時代を生きてきた多くの国民が、自らの半生をこの年月に重ね合わせているに違いない。 (引用)
《同じ時代を生きてきた多くの国民が、自らの半生をこの年月に重ね合わせているに違いない》
この言葉は、誰に向かって、発せられているのか。
なぜ朝日新聞は、“・・・・・・に違いない”などという断定をする権利を所有しているのか。
ぼくは、決して自分の60年以上の人生を“この年月に重ね合わせて”などいない。
それは、ぼくが天皇制に反対であるというような明確なロジックではなく、たんなる素朴な感情である。
ぼくには、(たまたま)“例のテニスコート”が懐かしい場所ではある。
もちろん、そこでテニスをしたわけではなく、そのテニスコートの周辺の道が、ぼくの小学生時代からの記憶につながるからだ。
たしかにぼくは、そのテニスコートそばの“焼き鳥屋”で秋篠宮と背中合わせに座ったこともあった(笑)
しかしぼくがその焼き鳥屋が好きなのは、そこの“むしり”(焼いた鳥をニンニク&大根おろしなどのタレで食べる)や“鳥わさ丼”や“鳥茶漬け”が好きだからである。
“煮込み”は絶品であり、“野沢菜漬け”もいける。
ぼくはこれが食べたいがために、近年も金銭的に無理して、この“旧道”を訪れる。
また、この土地は母の思い出につながる場所であり、ぼくは母の灰をこの土地にまいた。
今日編集手帳(読売)を引用する;
◆あの日、列島が沸き立ったのも、恋の実りという平和あっての「小さな幸せ」に皇室と国民の心が共振したからだろう。天皇、皇后両陛下のご結婚から、きょうで50年になる◆震災があれば避難所の床に膝をつき、被災者の手を握っていたわりの言葉をお掛けになる。悲しむ人に寄り添い、祈ってこられた両陛下の半世紀である。お疲れもあろう。どうかご無理をなさらずに◆やはり当時の歌に、「喜びも悲しみも幾歳月」がある。〈妻と二人で沖行く船の/無事を祈って灯かざす〉。思えば人の世は嵐の海、人はそれぞれに「小さな幸せ」を載せた船をこいでいる。お二人の姿にその詞が重なる
今日天声人語を引用する;
▼あの日、馬車パレードを取材した渡辺みどりさん(74)は、間近の美智子さまに打たれた。「お顔がむき身のゆで卵のようにピカピカで、胸のあたりはピンク色をして、はじけんばかりの美しさでした」。その花嫁は何より、戦後日本の新時代を告げていた▼一番の旧家にも新風が吹き込んだ。浩宮さまをご自分の母乳で育てたのも一例だ。〈含(ふふ)む乳(ち)の真白きにごり溢(あふ)れいづ子の紅の唇生きて〉の歌が残る。平和憲法の下で皇室と大衆を近づけた、ご夫妻の功は大きい▼ピカピカ、ピンク色の日本は戻らなくても、半世紀の平和が残したものは数知れない。皇室の姿をめぐる自由な論議もその一つだろう。祈ること、継ぐこと。悠久の時が紡いだ遺産を託され、思案を重ねる家族を思う。生身の男女を思う。
“小さな幸せ”だって!
だからぼくも“焼き鳥屋”について書いたのである。
“ピカピカ、ピンク色の日本”だって!
美智子さんに失礼ではないか。
もし当時の美智子さんが“ピカピカ、ピンク色”だったのなら、それは彼女固有の美しさだったはずだ。
《生身の男女を思う》
まさに、“男女”は生身である。
その“関係”をになう、男と女のそれぞれが、“生身”だからである。
どんな“男女”も、“象徴”であることは、できない。
<追記>
結婚○十年の老夫婦には、カルメン・マキ-寺山修司による以下の曲をプレゼントしよう;
山羊にひかれてゆきたいの
遙かな国までゆきたいの
しあわせそれともふしあわせ
山のむこうに何がある
愛した人も別れた人も
大草原に吹く風まかせ
山羊にひかれてゆきたいの
想い出だけをみちづれに
しあわせそれともふしあわせ
それをたずねて旅をゆく
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