Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

“やさしいおじいさん”の死

2013-07-04 15:16:55 | 日記

★ 「昭和天皇」は、80年代末の日本人、とりわけ若い世代にとってどのような存在であったのか――。筆者ら調査チームは、89年1月7日から数日間、皇居前広場に記帳に訪れた人びとを対象にインタビュー調査を行った。筆者らが訊ねたのは、「天皇の死」についての感想や記帳にきた動機、皇室イメージとメディアの関係、家族内での天皇についての会話、「自粛」騒ぎについての感想などであったが、昭和天皇のイメージについては、いくつかのはっきりとした世代差が示された。

★ 高齢の世代の場合、「天皇と自分は、いっしょに戦ってきた」という発言が示すように、天皇への思いを本人の戦中・戦後体験と結びつける傾向が顕著であった。彼らにとって、天皇の死は「昭和」の終わりであり、自分たちの人生がずっとそこにあった場所の喪失を意味していた。これに対して若い世代の場合、「天皇はやさしいおじいさん」という発言にみられる「天皇=祖父」イメージが支配的であった。つまり、前者にとっては天皇が同時代的存在であるのに対し、後者には家族的存在として受けとめられていた。そしてこの「天皇=祖父」は、決して家父長として君臨する「祖父」ではなく、「死んでしまって淋しい」「こんなところ(皇居)に閉じ込められちゃってかわいそう」といった発言にもあるように、家族の片隅で存在感を消しながら受け入れてもらっている祖父といった感があった。

★ このような80年型の天皇イメージの形成において、メディアの果した役割が決定的に大きかった。戦後メディアのなかでの「天皇/皇室」のイメージの変遷を振り返るならば、①全国を巡幸する人間天皇がせりあがってくる1940年代後半から50年代半ばまで、②天皇よりも皇太子と皇太子妃に関心が集中する50年代末から60年代にかけて、③「革新」気分のなかで天皇への関心が弱まった60年代末から70年代にかけて、④再び昭和天皇が、今度は一家の片隅にたたずむ「やさしい祖父」として再浮上してくる80年代という、およそ4期にわけることができる。この最後の段階で、「やさしい祖父」のイメージは、10代の若者にも受け入れやすいものになった。そしてこれは、同時代の日本人の天皇に対する態度ともほぼ合致しており、「昭和」はそれ自体、この「祖父」イメージにピン止めされていたのである。

★ したがって、「天皇の死」は、そうした家族的に想像される「祖父の死」でもあった。この家族=国民は、「祖父」を喪うことで「昭和」という国民国家的な時空間から解き放たれた。それは、それまで連続体として想像されてきた国民共同体が不安定化していくことを予感させた。「昭和」から「平成」への移行は、単なる元号の変化ではない。「昭和」の終わりは、ある国民共同体の時代の終わりであった。その後に来る「平成」は、その字義上の意味とは正反対に、それまで「天皇=祖父」によってピン止めされていた自己意識が、大きく拡散と統合の間で揺れ動き、分裂ないしは空洞化していく可能性を孕んでいた。

<吉見俊哉『ポスト戦後社会』(岩波新書2009)>







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