☆Unknown (不破利晴) 2010-07-21 23:03:09
>ところで君は、なぜ小沢一郎に会いたいの?(笑)
それはきっと僕がへそ曲がりだからでしょう(笑)あれほどなんやかんや言われていると、自分の目で実体を見たくなります。加えて、何となく予感めいたものもあります。
★warmgun返信;
不破君、おはよう。
ぼくは今日は休みなんだが、目ざまし時計が入っていて、起きたよ(笑)
まず“へそ曲がり”、“自分の目で見たい”、“予感”だね。
ぼくと君を比較してもしょうがないが(笑)、君はよくもわるくもジャーナリスティックだと思う。
それも、君とぼくの資質の差というより、歳の差かもしれない。
つまり、ぼくも君くらいの歳の時は、世の中に対して、もっと別のスタンスだったと思う。
ただ“一般的”には、日本には“ジャーナリスティックな感性=資質”を持ったひとが、はなはだ少数だと思う。
たしかに、“メディア”が、そういう人たちを排除しているということもあるだろう。
現在のメディアは、無難なことを言う人、しか使わない。
ということもあるのだが、過剰なまでに“事実を暴く”という情熱が、そもそも希薄だ。
まさに“そういうひと”がいるのなら、ブログやツイッターに“現れる”はずだ。
時の話題でいえば、“拉致問題”。
“この問題ほどわけのわからん問題はない”と書こうとして、じゃあ“オウム”はどうなの?と思う。
つまり、戦後起こったことだけでも、ほとんどが、“わけがワカラン”。
つまり“わけがワカラン”まま放置する人々ばかりである。
まさにテレビ=ワイドショーは、事実を隠蔽するために、ある。
一方、このところ大澤真幸の近年の“大著”『<自由>の条件』と『ナショナリズムの由来』を読み終わってしまおう、と取り組んでいて、たまたま“大澤真幸”で検索していて、彼が京大を辞めたのは、“セクハラ”だったとの“情報”をはじめて知った。
この“事実関係”についてもよくわからない。
が、ぼくは大澤は“セクハラ”をしそうだと思った(笑)
つまり大澤が、もし“セクハラをした”なら、かれの<思想>に対する評価は変わるだろうか(これも純粋疑問だ)
君がツイッターに書いた《Twitterとは猿のマスターベーションだ》という言葉は、まさにぼくも昨日考えた言葉だった。
だが、その後、“マスターベーションではなく”、これも最近よく報じられる、自分の“モノ”を人前で露出して逃げる人々ではないか、と思った。
現実では、男性が多いようだが、ツイッターでは、男性以外の性も露出する(笑)
しかし、もっと“単純”には、ツイッターでの“つぶやき”が他者の反応を当てにしている以上、なぜツイッターをするひとは、“現実に会話しないのか”が、疑問である。
このことは、ツイッターのみでなくブログなどすべてのネット・コミュニケーションにいえる。
すなわち、“メディア上の応答(応答のなさ)”と、“現実の応答(応答のなさ)”を混同する人々の増大こそ、ビョーキである。
前に“ぼくのブログ”に対する、批判コメントのなかに、“あなたのように本ばかり読んでいる人……”というような非難があった。
当然ぼくは、この非難がなにを意味するかを了解する。
しかし、ぼくは“本のみを読んで”生きてきたのでは、まったくない。
“本を読みたくても、読めない”、日々が圧倒的だった。
しかも“その時”、ブログもツイッターもなかった。
“テレビ”とかもそうだが、“なかった時を知っている”ことと、生まれたら“すでに”眼前にある、ことは、まったく異なった<体験>である。
つまり、“あらかじめ巻き込まれたひと”には、世界認識は不可能である。
“本を読む”ことは、一種の離脱であり、その過程を経て、世界(人間)に再会することだと思う。
今日も暑くなりそうだ。
ぼくの今日の読書予定は、大澤 『<自由>の条件』(笑)とビュトール『心変わり』である。
P.S.
大澤真幸が始めた雑誌の第4号の特集は『1Q84』である。
ぼくはこれをAmazonで知ったので、現物を見ていない。
大澤は、『1Q84』を“評価している”のであろうか?
もしそうなら、それは“セクハラ”より問題である(あるいは『1Q84』が、セクハラ的であるのだろうか!)
だが、ぼくの好奇心は、その雑誌を読んでみたい、とは思わない(笑)
僕は基本的に”ジャーナリスティック”というものを明確に意識しています。だから下手なりにもそんな感じで書いていたことも、ありました。今は少し飽きましたけど(笑)
それともう一つ。やはり文学的な感性も当然大事にしたい。しかし、下手くそジャーナリズム文章はいくらでも湧いて出てくるのに、文学的な何かは一向に出てくる気配がありません。
一時期出掛かりましたが、すぐに消えてしまいました(爆)
つまり、文学の神はなかなか僕のもとに光臨してはくれなさそうです。だったら引っ張ってくるしかないか?その辺の発想がジャーナリスティック的なのでしょうか(笑)
そんな意味では、辺見庸さんにはやはり憧れますね。ああいった仕事をしてみたいです。毒を盛られるのも覚悟の上です。
仕事に遅れて行く(笑)取り急ぎ。
辺見庸、まさに。
『眼の探索』がピークかな?
でも彼はもともと文学的なひとね。
ぼくにも”文学の神”は光臨したわけではないが。
だから、読んでいる。
ぼくは、読む人であっても、いいわけ。