Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

感性の根源

2009-05-29 08:26:39 | 日記

出勤前で時間がないのだが。

昨日読売編集手帳;
★ その年、「焚き火屋」が繁盛したと世相史の本にある。火に手をかざして50銭という。コメも味噌も配給、誰もが空腹と寒さに震えていたころである◆岡晴夫さんの歌う「憧れのハワイ航路」は1948年(昭和23年)に世に出た。〈一人デッキでウクレレ弾けば/歌もなつかし あのアロハオエ…〉。そういう日がいつか来ると信じよう――作詞家の石本美由起さんは遥かな夢を詞に託したという(引用)

今日天声人語;
★ 85歳で逝った作詞家、石本美由起さんの出世作「憧(あこが)れのハワイ航路」は、少年期に眺めた瀬戸内の船から浮かんだという。日本人の米国観がひっくり返る終戦後、鼻に抜ける岡晴夫の歌声で時代と響き合った▼11歳で聴いたのは、先立った同業の後輩阿久悠さんだ。「籠(かご)の鳥が思い描く青空のように、あくまでも楽天的なハワイの空と海に酔っていた。不思議なことに、唯一のハワイの知識であるパールハーバー、真珠湾攻撃を連想したことは一度もなかった」と本紙に記している(引用)

上記ふたつは、ようするに、“85歳で逝った作詞家、石本美由起さん”をネタにしている。
ぼくの親の世代であり、ぼくも「憧れのハワイ航路」を聴いたことはある。
しかし、この歌が“なつかしい”ことはない、まったくない(笑)

“あくまでも楽天的なハワイの空と海に酔っていた”ことなど、まったくない。

そういうひとがいて、そういう“歌”が、いまでもなつかしいひとがいるのは、かまわない。
しかし、なぜ、編集手帳と天声人語は、“同じ感性”なのだろうか。

そういう“落とし所”が、彼らには、あらかじめ、存在しているのだろうか。
そういうのを“大衆の無意識”というのであり、それは“良いもの”なのであろうか。

上記は、“修辞的疑問文”である。
まさに“こういうもの”こそが、ぼくを苦しめてきた。

まさに“これ”が、大衆の無意識であるなら、ぼくは“あらかじめ”それから疎外されていたのだ。

ようするに“みんなが”当然のように“浮かれて”いるとき、ぼくはそれに“乗れない”のであった。
しかしそういう“経験”を長く続けてくれば、ひたすら“打ちのめされて”いるわけにもいかないではないか(笑)

だからぼくも(少しずつ)反撃にでることにしたのである。



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