Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

迷宮~アリアドネの糸

2010-10-27 17:56:42 | 日記


★ 7月28日 月曜
§ すでに薔薇色になった陽光がぼくの部屋を染め、ぼくの机を照らしている。まるであの夕方そっくりだ、はじめてぼくが、前日アン・ベイリーの店で買い求め、まだ包装したままの500枚の紙をまえにすわり、まるで封印のようにはりつけられた帯封を破ったあの夕方、ぼくはそれら白紙の第一ページを手に取り、しまの透かし模様を透かしてながめてから、机の上の陽の当たる所に平らに置くと、その白いページはぼくの目のなかで燃えはじめたのだった。

§ 夕日の光があの真っ白な第1ページをぼくの目のなかで燃え上がらせていたとき、インクがたっぷりはいっているかどうか確かめるため、万年筆の小レヴァーを動かすと、紙の左上の隅に大きなインクの滴を落としてしまった。そうして、ページが赤々と燃え上がるなかを、ぼくは右上の隅に「1」と番号を書き、そのさきに繰りひろげられる文章の混乱から守るために、その数字に囲みをつけた。

§ いまぼくの目の前に5月1日木曜日の日付のはいった第1ページがある、そのページはすべて三ヵ月まえ、終わりゆく一日の光のなかで書いたもので、その日以後ぼくの眼前でゆっくりと積み上げられていった紙片の堆積、――いままたすこし経てば、ぼくが言葉をつらねているこのページが積み重ねられて、その堆積は高さを増すだろう――その堆積のいちばん下に置かれてあったのだ。ぼくは冒頭に記した文を読む、「明かりの数がふえた」。あのとき目を閉じると、目のなかで暗い赤色の背景に上に緑の炎となって刻み込まれて文字の一つ一つが燃え始めたのだった、そして瞼を開いたぼくが見いだしたのは、ページの上に残ったその文の燃えがら、いまぼくが見いだしているのと同じ燃えがらなのだった。

§ 多くの文章が一本の綱となってこの堆積のなかにとぐろを巻き、5月1日のあの瞬間へとぼくをまっすぐに結びつけている、5月1日のあの瞬間、ぼくはこの綱を綯い(ない)はじめたのだ、この文章の綱はアリアドネの糸にあたる、なぜならぼくはいま迷宮のなかにいるのだから、迷宮のなかで道を見いだすためにぼくは書いているのだから。(・・・)ブレストンというこの迷宮は、ぼくが歩きまわるにつれてぼくの日々の数が増し迷宮自体も大きくなるものである以上、ぼくが探検するにつれて迷宮自体がかたちを変えてゆくものである以上、あのクレタ島の宮殿とはくらべものにならぬほどひとを迷わせる。


★ 7月30日 水曜
§ いったいなんの役に立とう、ことを明らかに見きわめる目的で、結局ただぼくをさらに道に迷わせるだけだったこの膨大な、ばかげた努力をいまさらつづけてみたところで、なんの役に立とう。このむなしい、危険な、発掘と標識立ての仕事を続けてみたところで、ぷっつりと切れた糸を結び合わせようと試みたところで、なんの役に立とう。12月末を思い出し、あの孤独と霧の短い日々のなか、あのいつ終わるともしれぬ夜々のなかにもぐり込んでみたところで、何の役に立とう。ローズと連れだって歩いたあの夜を想ってぼくの火傷をかきたててみたところで、なんの役に立とう。・・・・・・


★ 8月4日 月曜
§ ぼくはまたはじめる。習慣をとりもどす。脱出口はこれしかない。

§ ふたたびぼくはブレストンでひとりきりだ、ぼくの種族についてもぼくの国語についてもひとりきりだ。


<ビュトール『時間割』(河出文庫2006)>






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