Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

人間の条件――そんなものない

2010-09-26 08:54:28 | 日記


このブログタイトル“人間の条件――そんなものない”というのは、立岩真也氏の新著のタイトルである。

ぼくはこの本がこの8月に出ていることに気づかず、ひさしぶりに立岩サイトを見て今朝知った。

ゆえにこの本を買っていない(書店で手に取ってもいない)
しかし、ぼく自身も買うし、このブログ読者にも読むことを薦める。

読んでもいない本を人に薦めるのは無責任である。
それどころか、ぼくは立岩真也の本を2冊(『自由の平等-簡単で別な姿の世界』、『希望について』)持っているが、いずれも“読みかけ”である。

にもかかわらず、このブログで、立岩氏のこれまでに書いた“本”のリストを掲載し、“このひとを読め”と呼びかけた。

立岩氏の文章は、読みにくいのである。
しかし“このこと”は単純ではない。
立岩氏の文章や、そこで述べられていることは、少しも“難解”ではない。

しかしまさにそこでは、“自分で考える”文体が実現している。
実は、ぼくもぼくたちも、このような文体に慣れていない。
まさに、“このこと”(この驚くべきこと)がまず立岩氏の本を読むと“わかる”。

はっきり言って、これはぼくには“ショック”だった。
“ぼく”は、立岩氏のように“書けない”のである。

“このひとは、ちがう”と思った。
しかし、ぼくにはなかなか“読めない”。
だから“ぼくより読める人に読んで欲しい”と思った。



さて、この新刊は、理論社のウエッブ・サイトに連載したものを元につくられたという。

Amazonの紹介文を引用する;

内容紹介
人間がただそのままのすがたで生きているということ、そのことの価値を、立岩本史上、はじめてやさしく語る、驚きの1冊!全く画期的な、立岩学入門! 成果主義、能力主義、自己決定、安楽死、介護、格差、貧困、税。 著者のライフワークとしてのテーマを、いまほど待ったなしに再検証すべき時代、またそれが可能である時代は、かつてなかったはず。それらをいま、広く多くの人たちに向けて、著者がはじめてやさしく、ていねいに書き下ろしました。 100%ORANG/及川賢治のイラストとマンガでさらに楽しく魅力的な本に。いままでどこにも語らなかった、みずからの研究の源泉を語る、インタビュー&対談(山田真ほか)なども収録。

内容(「BOOK」データベースより)
「できる」か「できない」かで人間の価値が決まる。できれば、多く取ることができる。―そんなこの世のきまりや価値が、正しい理由はない。だったらなぜそうなっているのか、そしてどうするのか、社会は人は、どうあれるのか。おとしまえをつけねばならない。―泣く子も黙る「生存学」のたおやかな巨匠が、はじめてやさしく語り尽くす。マンガ、イラスト多数、対話も収録。
(以上引用)



理論社ホームページには、立岩氏自身の<本出ました+余談>という文章が載っていた。

おどろくべきことに(ぼくにとって)ここで立岩氏は、1967年の「モンタレー・ポップ・フェスティバル」DVDのことを書いている、ジャニス・ジョプリンとジミ・ヘンドリックス。

ぼくは、消滅したDoblogの最後のころ、ユーチューブを貼り付けていた。
つまりユーチューブをいろいろ検索していたのだが、そこで初めてジャニスのモンタレーでの“BALL &CHAIN”映像を見たのだった。
この“伝説”については何度も聞いていたのに、それから40年たって初めて見たのだ。
それは、伝説より衝撃だった。<注>



立岩氏の自著紹介からも引用する;

★この連載がもとになった本が1つできた。結局『人間の条件――そんなものない』という題になった。同じ題名の有名な本がすくなくとも2つはある――ということの以前に、この題はないだろうと思いもしたのだが、まあいいやということになった――が、関係はないです。

★さて、「本旨」とは関係ない話を。私がものを考えて書いてきた、というか、そういう気分になったり、その力を得たりしてきたそのもとは、「学問」から来てるんではないというようなことをその本に書いて、そこですこしだけ音楽の話をしているところがある。

★1967年にあった「モンタレー・ポップ・フェスティバル」のことをほんのすこし書いて、DVDを買ったけど再生されなかったと書いた。が、それはたんに私のPCのドライブが壊れていたからだということがわかった。なおったらちゃんと再生された。それは3枚組みで、1枚がドキュメンタリー映画で、私がテレビで見たというのはこれのはず。

★ で、あと2枚のうち1枚は映画では使われてない曲をいくつか並べたもの。もう1枚は、ジミ・ヘンドリックスとオーティス・レディングの演奏を集めたものでこれも映画になったもの。オーティス・レディングのことは、本では清志郎の「親戚みたい」などと書いたのだが、むろん、清志郎がその甥のような存在であるわけで、清志郎の「あいしあっているかあい?」はこの人の「We all love each other, right ?」から来ているのだろうと思う。

★ やはりこのコンサートで名をあげ、そして超偉いということに決まっているジミ・ヘンは、他にもっとよい演奏もあると思った。たいがい人が仰天するのは、1969年のこちらも超有名な「ウッドストックコンサート」――映画になってます――でのアメリカ国歌の演奏、あとソロが普通にかっこよくて聞きやすい、という言い方がよいのか、ボブ・ディランの「オール・アロング・ザ・ウォッチタワー」とかがよいかと。(さっき、猫が間違ってキーボードを踏んでかかってしまった「リトル・ウィング」のスタジオ版など聞くと、まずはスタジオ録音のを聞くと、真面目で正統で上手なギタリストであることがよくわかる。)

★で、「ボール・アンド・チェイン」のジャニス・ジョプリン。「ウィキペディア」によれば1943年生まれ。1970年没。コカインが致死量を超えたためだということだ。
私は1枚だけベストアルバムのLPをもっていて、他は友人から借りたりして聞いた。1枚通しで聞いたりすると疲れるので、そんなことはそうしないのだが、そこに「サマータイム」がはいっていて、それは、私がこの世にたくさんある名曲・名演奏の中で最も好きな何曲かの1曲だ。1968年のフィルモアでのライブを収録した『チープスリル』というアルバムに入っている。ガーシュインの有名な曲で、ジャズの歌手なんかがたくさん歌っているが、ジャニスのはもとの曲とまったく違って聞こえる。歌詞はそのとおりに歌っていると思うのだが、歌われるのはまったく別の世界だ。

★そのLPを買ったのと、番組とどちらが先だったのか。検索してみたら、「Young Music Show 放送リスト」というものがあった。はいはい、見てました、いっしょうけんめい。「ヤング・ミュージック・ショー」。NHK総合。1971年から始まったというのは知らなかった。1981年に終わったというのも知らなかった(私はその時には大学生で、下宿にテレビはなかった)。で、「モンタレー・ポップ・フェスティバル」は、1975年8月30日放映、1976年9月4日に再放送とある。中学3年か高校1年か。とすると見てからLP買ったのかなと。

★彼女は、このコンサートのあった1967年に最初のレコードを出しているが、それは売れなかったのだそうだ。で、このコンサートの「ボール・アンド・チェイン」で有名になった、ということのようだ。この時24歳というところか。すでに酒と薬でということもあったのか、肌は荒れていて、おばあさんのようにも見える。子どものようにも見える。服も、その頃そういうところでで流行っていた「サイケ」なやつではなくて、解説書によると「gold-knit pants suit with no bra underneath」とある、ぼおっとした色の,薄い長めのニットの上と、ちょっとキラキラしたものは入っているパンツで、その声と、跳ねて、というよりはかかとをサンダルから浮かせ、小さく膝を曲げて、そして膝を伸ばして、足を真下に蹴るようにして、歌う姿は、しんに心揺すぶられるものがある。で、歌い終わると、やった、うまく歌えた、ってかんじで、彼女は舞台袖の方にうれしそうに走っていく――このシーンは覚えてなかった。

★で、また「Janis Joplin Summertime」でユーチューブを見る。すると、1969年のストックホルムでのライブ、同じ年のアムステルダムでのライブ、同じ年のフランクフルトでのライブ、などを見る・聞くことができる。ただ、結局、『チープスリル』に入っている「サマータイム」が一番よいように思った。短い間に消耗したのもあるのかもしれない。こういうふうに歌う人だと、同じ歌を同じように歌えなかったりする。そしてジミ・ヘンドリックスは、1972年生まれで、よく知られていることだがジャニスと同じ1970年に死んでいる。やはり異常に詳しいウィキペディアの記事によると、こないだのマイケル・ジャクソンの一件のときもそうだったが、死んだ事情についても諸説あるらしいが、彼の場合は睡眠薬と酒をいっしょに大量にということであったらしい。

★薬物が演奏・歌を高めるといったことは明らかにあるはずだ。そんな演奏はにせものだとか言っても仕方がない。薬が作用してすごい演奏になることは実際にある。本人たちも死にたくはなかっただろうし、死なないように、死なない程度にやってもらいたかったとは思うし、実際そんなぐあいにやって来れた人たちもけっこういる。ただいつもそうそううまくいくものでもない。まともに演奏できなくなってしまうこともあるし、死んでしまうこともある。チャーリー・パーカー(34歳で没)だってもっと長生きしてほしかったのだ。「夭折の天才」という言い方を私たちはよくする。してしまう。こういうことをどう考えてよいのか、わからない。

★今度の本読んでもらってもわかるように、私は「細く長く」派で、それでよいと思っている。そのことは、私の仕事がどうであるかということとは基本関係ないのだが、ただ私のような仕事をする人間の場合、かなりできのよい人でなければ、一定の仕事をするのには手間がかかるということもある。そしてまあしらふでないと、ものを書いていくのは難しい。

★他方に、すごく短い時間を「駆け抜けた」人がいる。実際には、あの時、げろを吐けない程飲まなければ死ぬことはなかったのに、とか、突然売れ出しておかしなことになって、とかそんなことでたいがいのことは起こっている。あの何年しか生きてなかったから「伝説上の人物」に祀り上げられてしまって、ということもある。ただ、そうやって冷静になった上でも、命を削って、みたいなこともあることがなくはないのだろうと。結局、よくはわからない。ただそういうものを聞いて、「私(たち)は正しく、勝利しており、肯定されてよく」、「おおよそどうのこうの世間が言われていることはどうでもよい」(98頁)と思ったのだった。そしてその上で、「そのずっと後にいて、退屈な、でも必要だと思う仕事をする」(14頁)、そう思って仕事をしてきて、この本も書かせてもらった。というわけで、今回の本は、こういう話とか、学生の頃になにをいろいろと血迷っていただとか、恥ずかしめの話がいくらか混じってしまっている。ただそういうこともあってよいように思って、書いてしまった。

★DVDが再生できなかったのは、米国製のそれが規格に合わなかったとかではなく、私の機械のせいでしたということだけお伝えしようと思ったら、こんなことになってしまった。次回から、また真面目に、と思います。では。

(以上引用―しかしあまり長くなるので、文中いくつかの部分をカットしました、立岩さんごめん;笑)






<注>

”今だからわかる、
 あの夏のかがやき”

ということもある。







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