Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

まだ見ない都市;アレクサンドリア

2011-06-18 12:02:34 | 日記


★ アレクサンドリアを初めて訪れたとき、カイロからバスに乗った。わずかなエジプト・ポンドで切符を買いながら、わたしは、オリエントのあちこちに見られるような、乗客と山羊と雌鳥のひしめきあう、あの古めかしい乗物で旅することを想像していた。ところが、驚いたことに、わたしが乗りこんだ車は現代的な観光バスだった。備えつけのスクリーンには、バスの移動中たえまなく、ポップス歌手のビデオクリップや、女優のはだけた胸もとにカメラがトラヴェリングして、あまりぱっとしない内容を引き立たせるアメリカの連続テレビドラマが映っていた。バスに乗り合わせた人びとは、その映像にひどく夢中になっていたため、自分たちが踵で座席の下に押し込めていた雌鳥の群れが、縛られた足を引きずりながらもすばやく中央通路に出てこようとしていたことにまったく気づかなかった。

★ わたしはスクリーンから目をそらすことにして、この旅の最初の二時間、薄く着色された窓ガラス越に外の風景を眺めていた。ナイルの流れに押しやられた砂漠や、用水路で泳ぐ裸の子供たちが見える。さらに先へ進むと、バスは見渡す限り広大な泥土を通過し、ふたたび変化のない砂漠にさしかかろうとしたところで、椰子の木陰を小走りに行く驢馬とすれちがった。驢馬の背には、ひとりの男と、子供を腕に抱えたその男の妻が乗っていた。それでわたしは、聖ヨセフが、主の天使に「ヘロデ王が死ぬまでユダ王国を離れてエジプトに行くように」と命じられて、家族とともに逃亡したことを連想していたのだった。するとバスがいきなり進路を変えて急停車し、高速道路をふさぐように横向きになった。運転手は悪態をつき、床に唾を吐き、鶏たちはみな、車の前方に投げだされて半ば気絶していたが、乗客の目はスクリーンに釘づけのままだった。黒いブラジャーを着けたブロンドの若い女が一瞬、画面に現れたところだったからだ。

<ダニエル・ロンドー『アレクサンドリア』(Bunkamura 1999)>







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