加藤周一、1987年9月17日“夕陽妄語”;
★ 太平洋戦争のいくさの末期、フィリピンで死んだ敗戦の日本軍部隊の仲間たちに、「化けて出てくれ」と大岡昇平がよびかけたのは、1958年、岸信介内閣が安保条約改定交渉を始めた年である。半世紀(1937-1986)にわたる大岡氏の戦争についての発言を集めて最近出た本、『証言その時々』(筑摩書房1987)にも、そのよびかけは載っている。化けて出て、どうするのか。もちろん反戦反軍備を、生き残った日本国民に訴えるためである。
★ 国民をだます人物を、国民は支持することがある。(……)1930年代の日本でも、国民をだまして中国侵略戦争を始めたのは軍人だが、その戦争を支持したのは国民の圧倒的多数であった。これが国民の支持というものである。
★ しかしまた国民の多数の「無関心」ということもある。1945年8月、日本降伏のときに、大岡昇平は俘虜として米軍の収容所にいた。そうしてこう書いている、「日本降伏の一時間後の、これら旧日本兵士の状態は無関心の一語に尽きる」と。そしてその後に、「これが人民の自然の反応であるか、一年の俘虜生活の結果であるかも決定できない」というのである。
★ 私は「日本降伏一時間後」を内地のある病院で経験したが、おそらくそれは日本国の「人民の自然の反応」であったろうと考える。またそれは日本国の人民に限らず、一般にどこの国でも、人民の自然の反応であり得るだろう、と思う。人民は侵略戦争を支持し、その悲惨な結果に無関心であり得る。それは遠い昔の話ではなくて、われわれが生きている現在の世界の話である。
★ 確かに明るい話ではない。しかしそういうことを知った上で、それでも戦争や核兵器に反対する何人かの個人が常にいて、死んだ仲間たちによびかけ、化けて出てきても戦争反対の志を伝えてくれ、ということもある。だから少しは明るいのである。
<加藤周一『夕陽妄語 第一輯』>
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