Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

パタゴニア

2012-01-22 23:53:54 | 日記


★ 1940年代の終わり、クレムリンの食人鬼が人々の生活に影を落とすようになった。スターリンの口ひげが歯に見える。私たちは、彼が計画している戦争について講演を聴いた。民間防衛を説く講師が、徹底的に、あるいは部分的に破壊されるだろうヨーロッパの都市を、丸で囲んで私たちに見せた。それらの地域は隙間なく続いていた。講師はカーキ色の半ズボンをはき、膝は白く、骨ばっていた。状況は絶望的と思われた。戦争は間近に迫り、なす術はなかった。

★ 次に私はコバルト爆弾の記事を読んだ。それは水素爆弾よりもたちが悪く、果てしのない連鎖反応を起こしたあげく、この地球をまっ平らにすることもできるというものだった。

★ それでも私たちは核戦争を生きのびる望みを捨てなかった。移住委員会を設立し、どこか遠くの、地球の片すみに移り住む計画を立てた。地図を詳しく調べ、おもな風向きと死の灰の降下地域を研究した。戦争は北半球で始まるだろうから、私たちは南半球に目を向けた。太平洋の島々は、小さくて動きがとれないから除外した。ニュージーランとオーストラリアも除外し、地球上でいちばん安全なところとして、パタゴニアを選んだ。

★ 嵐に備えてコーキングを施した板葺き屋根の家。中では薪が赤々と燃え、壁には最高の書物が並ぶ。世界中が吹き飛んだときに住む場所を、私はそんな風に想い描いた。
やがてスターリンが死に、私たちは教会で喜びの賛美歌を歌ったが、パタゴニアは心のすみに取っておいた。

<ブルース・チャトウィン『パタゴニア』(めるくまーる1998)>