Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

歩く人

2012-01-14 09:45:01 | 日記


★ 「おまえの宗教は何か?キリスト教徒なのか?」
ぶっきらぼうに投げかけられた問い。そこまでは、ちょっとした旅行の中でだれにでも起こりうる、ありふれた状況だ。でもそんな問いに対する答えが、われわれひとりひとりを大きくお互いからひきはなすものになる。筋金入りのタフな旅人ブルース・チャトウィンなら、信仰をめぐるこの微妙な問いに、こんなふうにすっきりと答えてみせるだろう。「今朝のところ、ぼくはこれといった宗教をもっていない。ぼくの神は<歩く人々>の神だ。もしきみがじゅうぶんに真剣に歩きぬくなら、たぶんそれ以外の神さまなんて、必要ないんじゃないかな」

★ 「ぼくの広大なさびしさに似あうのは、もはやパタゴニア、パタゴニアしかない・・・・・・。」片腕のスイス人の世界放浪者、ブレーズ・サンドラールの『シベリア横断鉄道』からとられたこの詩句を冒頭にかかげた『パタゴニアで』が、チャトウィンの最初の本だった。97の断章からなるこの恐るべき旅行記は、意志的な眼をした物静かなブロンドのイギリス人青年の、目をみはるべき広大さをもった特異な精神の風景を、いっきょに明らかにした。

★ 旅をめぐる記述、さらには旅そのものをつねに模倣しながらすすんでゆく記述について考えようとするとき、ぼくの弱い視力の眼には、第二次世界大戦のさなかに生まれた世代の三人の作家の後ろ姿が大きく、輝かしく、はるかな前方をすみやかに逃げ去ってゆくのが映っている。彼らの歩みは音もなく、急いでいるとも見えず、気負いもなく、けれども力強く、ためらいを知らず、けっして追いつくことができない。三人とは、1940年生まれのJ.M.G.ル・クレジオ、いずれも1942年生まれのペーター・ハントケと、このチャトウィンのことだ。

★ でもいくつもの土地をつぎつぎに遍歴してはそのつど深い傷を負ったり原因不明の熱にとりつかれたりするかれらのような旅人のことを、エグゾティシズムに放埓に身をまかせる無自覚な旅好きのコスモポリタン作家たちと同一視してはならない。国境と故郷を温存しつつ異邦のもっとも好ましい部分だけをかすめとってくる国際主義的世界旅行者たちの残忍さ、ロマンティックな故郷喪失の感傷と盲目的な放浪への衝動にかられた潜在的な帝国主義者である越境する偽ノマドたちの気楽な退廃は、かれらのきびしく内面的な旅とは、まったく相容れないからだ。

★ かれらはよく歩く。自分自身の足で、どこまでも、ただひとりで。

<菅啓次郎『狼が連れだって走る月』(河出文庫2012)>