Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

ゲット・バック

2012-01-15 11:18:46 | 日記


★ ビートルズが歌った「ゲット・バック」の歌詞は、だれでもすぐにおもいだせるとおもう、ジョジョはアリゾナ州トゥーソンの故郷の家を離れ、当時のすべての欲望の風見鶏たちがこぞってめざしたカリフォルニアに、商品化された草(グラス)の文化を求めていった。でもジョジョのその選択はまちがっていた、カリフォルニアにあるのは夢の茶色の残骸、荒れはてたプラスチックの文明のがらくたばかり、ほんとうに驚くべきことは大洋の果ての流行の都会ではなく、内陸の姿を変えた大洋、欠乏の大地である砂漠のまっただなかの彼のホームタウンの周辺で、つねに起こっているのに。

★ 人間の時間とはくらべものにならない尺度にたつ地質学的時間、人間の快適とは無縁のもっと裸の生命力がむきだしになる砂漠で、惑星という一者の途方もない現存をまえにして、人はたちまち自己の無意味、存在のどうしようもない軽さを知る。

★ いかなる擬人化、いかなる人間世界への類比もこばむような、徹底して非人間的な風景に、ただひとりむきあう。風景のエレメンタルな実質、存在のマテリアルな表層に、じかにふれ、ふれつづける。人間が伝統的におこなってきた感情的描写の外部で、ジュニパーの木を、ひとかけらの石英を、一羽の鷲を、一匹の蜘蛛を、そのものとして見る。

★ あらゆる存在の連続的な基底に降りたちながら、たとえもはや「人間」ではなくなったとしても、なおあるレベルの「この私」が崩壊することなく、その融合状態を強く体験する。世界とのマテリアルな一致の先に、泡だつように生まれてくる意識の出生を、もういちどその起源から見つめなおす。

★ いつか砂漠が死ぬなら、われわれはこの惑星で起こりつつあるもっとも本質的なできごと群を、喜々として忘却することになるだろう。人でなしの世界は人間化され、地球は多くの真実を失うだろう。そのとき人間が手に入れるつねに新しい殺戮・拡大・蓄積の生活の、はたしてどこにどんな優美さがありうるだろう?

<菅啓次郎『狼が連れだって走る月』(河出文庫2012)>