Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

私への旅

2011-07-07 12:30:57 | 日記


★ 実に長く、実に美しい夜。澄みきって、虫も無ければ、露も置かない。ただ、長い波のように吹き寄せては、ヴァコアの尖った葉をざわめかせる風音だけがある。
深く果てしない夜。祖父がまた愛したに違いないのは、この夜、西の空の、連なる丘の向こうに円い太陽が沈むと、海を翳らせながら一挙に島に到来する夜である。ローズ・ヒルの日没の、幾分物寂しい心地よさに較べれば、この島の夜はなんと深く、また、なんと厳しいことか。ここには、たなびく雲もかすかな靄もない。しだいにおぼろげになる色彩もない。輝きを失った荒海、ひととき真赤に燃える空、山の稜線の背後に、また海中に、ちょうど1艘の船が沈むように姿を消す黄金色の太陽。ついで、すべてを消し去る夜が来る。まるで海上で経験する夜のようだ。すると空には、動かぬまま輝く無数の星々、そしてほのかに光る天の川の星雲。最後に、遅れて丘の上に昇る月――白く眩しく光りながら空を昇ってゆく。

★ 風があまりに激しく吹きつけるので、私は転倒しかねない。海上を吹く風のようだ。丘すれすれのところを雲が流れてゆく。
数分のうちに空模様が変わり、雲に覆われる。
嵐が不意に襲ってくる。突然の雨である。海の青を曇らせる灰色の帳(とばり)。一瞬のちには、太陽が眩しく輝く。

★ この土地には何か苛酷なものがある、苛酷で不可解なものが。私は祖父の挫折を思わずにはいられない。彼がこの地で三十年以上にわたって追い求め、死ぬまで彼の思いを離れなかったあの財宝、彼が希望のすべて、夢のすべてを託し、彼に一家の邸を買い戻し負債を返済することを可能にしてくれるはずであったあの財宝、あの幻影、あの妄想は、彼の手を逃れ去り、彼に対して拒絶されたのだ。黄金は間近にありながら近寄りがたく、いつまでも手の届かぬところにあった。月の輝きにも似て、また、湖の底に落とした物体の反映にも似て。

<ル・クレジオ『ロドリゲス島への旅』(朝日出版社1988)>






★ 日が長くなり、光が多くなって、太陽がまるで地平線を完全に一周しようとするかのように、だんだん西に、いくつもの丘の向こうへ沈んでいくとき、あたしの胸はじんとする。大気のなかには花粉や小蝿、渦を巻いて飛ぶ微小なものがたくさんある。すべてのものが至るところで、一種の震えのなかで動きまわり、踊っているような気がする。

★ こんなことを感じるのは初めてだ。今までこんなことがあたしに起きたことは決してなかったように思う。あたしは春の訪れが嬉しかったが、そういったものが動くのを見たことはなかった。昔、ナイチンゲールではこんな様子だった。その後、あたしたちがフランスにやって来ると、あたしは花粉や小蝿が踊るのを見たり、海の煌きを数えたりしようとして立ちどまる必要はなかった。もう季節には関心を持っていなかった。

<ル・クレジオ“春”――『春 その他の季節』(集英社1993)>







オニチャ

2011-07-07 10:07:54 | 日記

★ オランダ・アフリカ・ラインの三百トンの老朽船スラバヤ号は、ジロンド河の濁った河口を離れると、アフリカ西南部への航路をとった。フィンタンは母を、初めてみるような気持で見つめていた。母がこんなに若々しく、持ったことはないが姉のようで、年齢もそう自分とは離れていないような気がした。そんな気持は今まで一度もなかっただろう。びっくりするような美しさとはいえないにしても、溌剌としていて、力強い。午後の終わりで、日光は、彼女の色の濃い髪を金色に輝かし、その横顔の線や、鼻といっしょにするどい角度をなしながら、ちょっとふくらんだ、秀でたひたいや、唇の輪郭、顎を浮きあがらせていた。肌には、果物の表層のように、透明なうぶ毛が生えていた。彼は母を見つめていた、その顔が好きだった。

★ 《アフリカなんかに行きたくない》そんなことを彼は、マウにも、オールリアお祖母さんにも、誰にも言ったことはなかった。むしろ彼は、それをとても望み、興奮し、マルセーユのオールリアお祖母さんの小さなアパルトマンでは眠れぬほどだった。ボルドーに向かう列車の中でも興奮し、夢中になっていた。今はもう、誰の声も聞きたくなかったし、顔も見たくなかった。順調に事を運ばせるためには、彼は眼を閉じ、耳をふさがなければならなかった。新しい人間、強い人間になりたかった。しゃべりもせず、泣きもせず、すぐどきどきするような心臓も、痛くなるような腹も持たない人間になりたかった。

★ あの人は英語を話すだろう、ふつうの男同様、眉間に二本の垂直な皺が刻まれているだろう、マウはもう今までの彼のママではなくなるだろう。旅の果て、向こうで待っている人は、絶対にぼくのパパではない。アフリカでいっしょに暮らそうと手紙をたくさん書いてきたが、まったく見知らぬ人なんだ。妻も子供もない男、ぜんぜん知らない人、会ったこともない人だ、とすると、なぜ彼は待っているんだろう?彼は名前を持っている、いい名前を持っている、ほんとうだ、ジョフロワ・アレンという名前だ。向こうに、旅のもう一つの端に着いたら、ぼくらはすぐに埠頭に降りるだろう、でもあの男は何も見ず、誰も見かけず、空しく自分の家に帰らなければならないだろう。

★ 夜、甲板では、風が吹き始めていた。大海の風がドアの下を吹き過ぎ、顔に激しくあたった。フィンタンは風に逆らって、船首の方に歩いていった。眼に浮かぶ涙は、波しぶきのように塩からかった。大地のきれぎれな思い出をむしりとる風のため、今、涙は思いのままに流れた。マルセーユのオールリアお祖母さんのアパルトマンでの生活、それ以前のサン・マルタン村での生活、山脈の向こう側、ストゥラ渓谷へ、サンタ・アンナをめざしての脱出行。風は吹きまくり、捥ぎ取り、涙を流させる。フィンタンは電球の光や、海や空の黒い空虚に驚かされながら、鉄板の壁にそって甲板を歩いていった。寒くはなかった。

<ル・クレジオ『オニチャ』(新潮社1993)>






TANZANIAからの絵葉書

2011-07-07 08:56:31 | 日記


今朝受け取った絵葉書

俊子お姉さま&しげる兄さん
タンザニアに来て一週間。毎日電気と水道が止まります!それでも普通に生活ができているのがとっても不思議です。(原発がなくても生きていけるということです!)私は小学生対象の英語サマープログラムを担当しているのですが、子供たちはえんぴつ一本、色えんぴつの彩り、カラーペン、いろいろな種類のシールに感動してくれます。私の真っすぐな黒髪がめずらしいらしく、休み時間になると女の子たちに囲まれます。あー書きたいことがたくさんあるのにスペースがないです――。マサイ族の多い町に滞在しているので、カラフルな布を身につけたマサイ族の人々が普通に町を歩いています。すごい!そうそう、昨日はキリンがバスの前を横切りました!!!   さとこ