Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

おなじ時を生きた Living Zero

2011-07-03 12:47:54 | 日記


ぼくはこのブログで、“外国作家や思想家”を引用することが多い。

だが、もちろん日本の作家や思想家に関心がないということでは、なかった。

もちろん、これまでのこのブログ(Doblog以来)で、中上健次、村上春樹、大江健三郎、辺見庸などなどを、引用してきた。

ぼくにとって大江健三郎と村上春樹は、ある時期、連続して読んだ作家だった。
辺見庸と中上健次は、むしろ“最近”(2000年代になってから)読んだのである。

つまり、そのひとが書いた時期と、ぼくが読んだ時期は、かならずしも一致しない。

現在(今日)において、宮沢賢治を読む(発見する)ひとが、いる。
賢治が、はるか昔に生きて死に、たとえば“戦後”という時代にまったく係わらなくても、それは賢治のせいではないし、その賢治に今、“共感する”ことは、できる。

しかしこのブログの“主人公”は、宮沢賢治ではない(笑)

ここ数年、ぼくにとって、その人が書いたこと(ある情景のようなもの)が、時々、“浮かんでくる”ひとがいる。

そのひとが、大江でも、春樹でもないことが、意外だった。

ぼくは“その人”の書いたものを、わりと読んだのだが、彼への“評価”は、ひところの大江や春樹に対する“打ち込み”とはちがって、淡白なものだった。

まず“彼は”、ぼくよりだいぶ年上であり(大江より年上であり)、たとえば、彼の死へ至る闘病小説を読んだとき、ぼくはそれを自分のまだ“未来”のこととして読んでいた。

そして、現在、彼のその小説の時は、ぼくの年齢に接近した。

<彼>のことを、ぼくはこのブログに“書かなかった”わけではない。
むしろ数度書いたと思う。

<彼>とは、日野啓三(1929-2002、享年73歳)である。

日野啓三が、どれだけ読まれたか、読まれているのか、忘れられてしまったのか、わからない。

しかし、いま、読まれるべきだ、と、ぼくは思う。
なによりも、60歳をすぎたぼくと“同世代の”人々に。

いや、“若者”や“中年”の人々にこそ(すなわち、すべての年代に)

ぼくには“日野啓三論”を書くほどの、総括的見通しがあるわけではない。

そうでなく、ぼくにとって、彼が書いたものがなぜ切実であるか?を書くことしかできない。

“それ”は、さきほど書いた、
《ここ数年、ぼくにとって、その人が書いたこと(ある情景のようなもの)が、時々、“浮かんでくる”ひとがいる》
ということだ。

それは、かれが慶応病院のベッドから“幻視した”東京タワーというようなモノでは必ずしもない。

鈴木和成が“アジア、幻境の旅”と呼んだような、日野啓三が歩いた“アジア”の光景でも、必ずしもない。

ぼくにとっては、彼がその時々に実際に住んでいた場所、家、その仕事部屋の机で、彼が読み、考え、夢想し、書いている、その光景なのである。


★ いま書斎の椅子の背に掛けてある、濃紺の地に小さな白い正方形の模様の並ぶオールアセテートの、さらさらした洗濯し易い長袖のシャツ。これを着て、オーストラリア中南部の海岸に近い中都市アデレード郊外のモーテル近くの手入れされた草原に、私はひとり両脚を投げだして坐っていた。
(引用)

これは、“示現(エピファニー) 月光のエアーズ・ロック”の書き出しである。(『遥かなるものの呼ぶ声』(中公文庫2001)所収』)


あるいは、

★ 千代田区一番町という都心部の町のマンション二階に住んでいた頃のことだ。まわりは高層鉄筋のマンションとオフィスビル。岩山の谷底の感じなのである。深夜、裏階段からゴミを捨てに地面に降りると、周囲はタイル貼りの、赤茶色い煉瓦建ての、あるいは部厚いコンクリートの肌の壁がそそり立っていて、その上方はるかな狭い夜空に、星が一つか三つだけ見えることがある。
そんな部屋の中で、私は『未来への遺産』といういかめしいタイトルの、カラー写真の図版が美しい大判の書物を、しばしば眺めていた。
<“聖記号 カッパドキア岩窟群” 『遥かなるものの呼ぶ声』>



★ 郊外電車の線が二本交差している。都心からそれほど離れていない。若い人たちが集まってくる新しいシャレた町として有名だ。駅の周辺の商店、飲食店は灯が明るく、若い人たちが狭い幾本もの通りを歩き、街角にたむろし、あるいは路地の薄暗がりで肩を抱き合っている。
(略)
一年ほど前、この町に引越してきた私。

★ 私の家は下り道の最も低いところにたっている。二年前にこの家ができるまでは荒れた原っぱの中の古池だったという。(略)
ヒキガエルが多い。玄関の植えこみの間によく坐りこんでいる。敷地の中だけでなく、前の道にも這い出ている。(略)
「車にひかれるぞ」(略)
暗い芝生の斜面を這い登ってゆくヒキガエルを眺めながら、まわりの、背後の、頭上の暗く静まり返った空間が、かすかに、だが決して乱脈でないリズムをもって震えるのが、感じられるように思った。この空間は良き空間だ。原子を、生物を、意識を、私と呼ばれるものを滲み出したのだから。

<日野啓三『Living Zero リビング・ゼロ』(集英社1987)>