平成28年10月23日(日) 漢字のことで、面白そうな展示会があると聞いて、東京富士美術館へ行ってきた。
漢字の成り立ちが年表になっていた。
漢字は、三千年前の中国の倉頡(そうけつ)という人が作ったとされ、動物の足跡を形にしたという。余りにもよく特徴を見られるので、この人には目が四つあったと逸話が残っているほどである。
魏(商)の国で使われ、それが滅んだ後も、周で使われていったことで、長年表意文字として、東アジアの国々に伝わっていったとあった。
最初は、亀の甲羅に書き、それを火にくべて、祈祷師がヒビの様子を口で伝えて、占ったことから甲骨文字が漢字の初めで、青銅器に書かれた青銅器文字、石に書かれた石器文字と、だんだん漢字が形になっていった。
漢字の成り立ちがそこかしこに掲げてあったが、特に、「友」は二つの手を合わせた形から、こういう漢字になっていたことがわかったのが、印象的だった。
また、「取」という漢字は、中国では昔、捕虜は耳を剥ぎ取られることからこの漢字が作られたとか。「夢」も王様が呪いをかけられてとある。「幸」も罪人が手錠をかけられた形から罪が軽くて幸せとあった。ちょっと怖い発想から生まれたものが多い感じがする。
兵馬俑にも、誰が作ったのかがわかるように、印(漢字)が書いてあったようだ。
遣唐使で中国に渡って、現地で亡くなった人(井真成)が埋葬されていて、その墓碑にも漢字で書いてあった。
則天武后の金の御札にも漢字がぎっしり書いてあった。
また、この東京富士美術館は、お金があるのか、随分有名な絵画(モネ、マネ、ルノアール等々)が展示されてあって、驚いた。
墓石碑に
夏草埋れ
日本人
雪跡に
漢字の起こりは
倉頡さん
漢字の成り立ちが年表になっていた。
漢字は、三千年前の中国の倉頡(そうけつ)という人が作ったとされ、動物の足跡を形にしたという。余りにもよく特徴を見られるので、この人には目が四つあったと逸話が残っているほどである。
魏(商)の国で使われ、それが滅んだ後も、周で使われていったことで、長年表意文字として、東アジアの国々に伝わっていったとあった。
最初は、亀の甲羅に書き、それを火にくべて、祈祷師がヒビの様子を口で伝えて、占ったことから甲骨文字が漢字の初めで、青銅器に書かれた青銅器文字、石に書かれた石器文字と、だんだん漢字が形になっていった。
漢字の成り立ちがそこかしこに掲げてあったが、特に、「友」は二つの手を合わせた形から、こういう漢字になっていたことがわかったのが、印象的だった。
また、「取」という漢字は、中国では昔、捕虜は耳を剥ぎ取られることからこの漢字が作られたとか。「夢」も王様が呪いをかけられてとある。「幸」も罪人が手錠をかけられた形から罪が軽くて幸せとあった。ちょっと怖い発想から生まれたものが多い感じがする。
兵馬俑にも、誰が作ったのかがわかるように、印(漢字)が書いてあったようだ。
遣唐使で中国に渡って、現地で亡くなった人(井真成)が埋葬されていて、その墓碑にも漢字で書いてあった。
則天武后の金の御札にも漢字がぎっしり書いてあった。
また、この東京富士美術館は、お金があるのか、随分有名な絵画(モネ、マネ、ルノアール等々)が展示されてあって、驚いた。
墓石碑に
夏草埋れ
日本人
雪跡に
漢字の起こりは
倉頡さん
日頃、あたりまえのように使っている漢字だけれども、一つ一つに深い意味があることを知りました。年を経るごとに漢字を忘れてしまい、つい平仮名で書いてしまうけど、反省します。