平成30年2月24日(土)、かってから興味があった武蔵一之宮である氷川神社とその近くの岩槻城近辺をウォーキングしてきた。
朝は少し肌寒い感じだったから、薄手のダウンを羽織っていったが、歩いていると汗が出るくらいになり、途中から手に持ってのウォーキングになった。
まずは、大宮駅へ。
大宮は中山道の宿場町として栄えた町だ。現在は新幹線も通っていて、都心と変わらないくらいの大きな街であった。
歩いて20分くらいのところに「氷川神社」がある。参道が長く続いていて、大きな鳥居が途中にそびえる。
そこで、一番驚いたことは、参道のわきに長い絵巻物があり、それが明治天皇が行幸した時のことが描かれていて、
その中に有名な人物の名前を見つけたことだ。西郷隆盛と大久保利通である。
明治天皇が都を東京に遷都して、その時に1キロ近くの行列がなり、この氷川神社に立ち寄ったという。
また、この大宮氷川神社は、古事記によると、大国主命が天照大神など高天原にいる神々に国を譲るとあり、平安時代前期、代々出雲を受け継ぐ古代出雲の一族である出雲族の須佐之男命を奉じてこの地に移住したといわれている。その出雲氏が武蔵国造となり、この地を開拓したと、千ちゃんがまとめてくれたのにあった。だから、氷川神社の神様は須佐之男命なのであろう。
次に、岩槻駅へ。岩月は人形の町である。丁度おひなさまも近いので、つるしびながそこかしこで掲げてあった。
岩槻城は、お堀もほとんど埋め立てられ、城の形は残ってはおらず、城址公園として、市民の憩いの場として、あった。
天気も良いので沢山の人で賑わっていた。
近くに、太田道灌の銅像があるというので行ってみる。
太田道灌は、伊勢原で毒殺をされるが、その遺骨と遺髪を引き取りに行ったのが、太田道真(道灌のお父さん)と太田資公(道灌の養子の岩槻城主)であり、分骨してこのお寺、芳林寺に埋葬しているということである。
今回も主に2つの歴史的史実を知ることができた。面白いものである。
朝は少し肌寒い感じだったから、薄手のダウンを羽織っていったが、歩いていると汗が出るくらいになり、途中から手に持ってのウォーキングになった。
まずは、大宮駅へ。
大宮は中山道の宿場町として栄えた町だ。現在は新幹線も通っていて、都心と変わらないくらいの大きな街であった。
歩いて20分くらいのところに「氷川神社」がある。参道が長く続いていて、大きな鳥居が途中にそびえる。
そこで、一番驚いたことは、参道のわきに長い絵巻物があり、それが明治天皇が行幸した時のことが描かれていて、
その中に有名な人物の名前を見つけたことだ。西郷隆盛と大久保利通である。
明治天皇が都を東京に遷都して、その時に1キロ近くの行列がなり、この氷川神社に立ち寄ったという。
また、この大宮氷川神社は、古事記によると、大国主命が天照大神など高天原にいる神々に国を譲るとあり、平安時代前期、代々出雲を受け継ぐ古代出雲の一族である出雲族の須佐之男命を奉じてこの地に移住したといわれている。その出雲氏が武蔵国造となり、この地を開拓したと、千ちゃんがまとめてくれたのにあった。だから、氷川神社の神様は須佐之男命なのであろう。
次に、岩槻駅へ。岩月は人形の町である。丁度おひなさまも近いので、つるしびながそこかしこで掲げてあった。
岩槻城は、お堀もほとんど埋め立てられ、城の形は残ってはおらず、城址公園として、市民の憩いの場として、あった。
天気も良いので沢山の人で賑わっていた。
近くに、太田道灌の銅像があるというので行ってみる。
太田道灌は、伊勢原で毒殺をされるが、その遺骨と遺髪を引き取りに行ったのが、太田道真(道灌のお父さん)と太田資公(道灌の養子の岩槻城主)であり、分骨してこのお寺、芳林寺に埋葬しているということである。
今回も主に2つの歴史的史実を知ることができた。面白いものである。