坂口安吾と言えば、文学史なんかにも出てくる有名人というくらいの認識しかなかったのですが、
ミステリを読んでいると、ところどころでその名前を見かけることがあるわけです。
どうやら、大の推理小説フリークで、自らも推理小説を書いている!という話。
文学史における坂口安吾は『白痴』や『堕落論』の著者として知られていますが、
どちらも読んだことも無い私(^^;
そんな私でも、ちょっと気になっていた坂口安吾なのですが、
著作権切れの作品をネット公開している名サイト
青空文庫で見かけたので、
ミステリに関係あるであろう評論や作品をちょっと読んでみました。
これがかなり面白かったのです(^^)
【私の探偵小説(1947年6月)】
ここでは、坂口安吾が理想とする探偵小説について述べています。
まず、彼にとって探偵小説は犯人当てを楽しむものであるが、
「日本の作家の作品には、このゲームに適する作品が全然ない」上に、
「ミステリイの要素が主で、推理は従である」と不平を述べます。
「私は探偵小説をゲームと解している。」「作者と読者の智恵比べ、ゲームというように。」
だからその作品はフェアでなければならない・・・という内容が続きます。
そして、「私自身もそのうち一つだけ探偵小説を書くつもり」で、
「その節は大いに愛好者諸氏とゲームを戦わすつもり」だと結論部に宣言します。
「八人も人が死ぬので、長くなるので却々時間がなくて書きだす機会がない」と言うのですが・・・
【不連続殺人事件】(1947年9月)
そっこー書いてますね(^^; 雑誌掲載が9月からで単行本は翌年でした。
残念ながら、まだ青空文庫には入っていません(校正中だそうですけど)
【探偵小説とは】(1948年2月20日)
上記「不連続殺人事件」の出版がらみか、熱の入った探偵小説論を発表。
「推理小説の原則は、文学よりも、パズルで、パズルとしてメンミツに計量され、構想された上で、それをヒックリ返して、書きすすめて行くものである。」
ふむふむ。本格派ですね~(^^)
その後、探偵小説は職業化するとマンネリになって、質が落ちるという旨を力説し、
「職業化して多作を強いられると、勢い推理小説以外の怪奇小説とか、スリル小説、ユーモア探偵というようなもので、お茶を濁すということになる。」
うっ。なかなか鋭い指摘をしているかも・・・さらに、
「元来、推理小説は、高度のパズルの遊戯であるから、各方面の最高の知識人に理知的な高級娯楽として愛好されるのが自然であって、最も高級な読者のあるべき性質のものであるが、日本に於ては、推理小説でなく、怪奇小説であったために、探偵小説の読者は極めて幼稚低俗であったのである。」
つまり、自分が推理小説を書く意義というか、志を述べているのですね。
そして結論としては、多作のマンネリ化を防ぐための合作のすすめでした(大胆ですね)
【探偵小説を截(き)る】(1948年7月1日)
そして、いきなり切られてる探偵小説(^^;
実は出版された「不連続殺人事件」に対して、批判の手紙などが来たそうでして・・・
その手紙に対する怒りが爆発している文章なので、かなりすごいこと書いてます(笑)
「不連続」は、従来の探偵小説の様式に当てはまらない作品らしく、そこをつかれた坂口安吾。
ルコック探偵から始まる探偵小説の様式にこだわってばかりの輩に対し、罵詈雑言が炸裂!
しかし、この後とんでもない事態が・・・
「不連続殺人事件」が第2回探偵作家クラブ賞、長編部門を受賞!!
第1回が横溝正史、第3回が高木彬光というすごい面子の中で、
現在の推理作家協会賞を、いきなり畑違いの坂口安吾が取ったのですから、えらい。
【推理小説論】(1950年4月1日)
ということで、すっかり気をよくした坂口安吾が推理小説を語ります。
論の内容はこれまでと変わりませんが・・・要注意!! ネタバレばっかし(^^;
古今東西の作品のトリックや犯人に言及し、詳しく解説。
ミステリフリークぶりをアピールしています。
そして、褒めているのがクリスティーと横溝正史(世界のベスト5だと!)。
横溝正史は第1回探偵作家クラブ賞受賞者ですから、
彼を称えることで、その賞の価値の高さをさり気なく主張しているのかも。
【投手殺人事件】(1950年4月10日)
すっかり、推理小説づいた坂口安吾の中編作品です。
青空文庫にありますので、興味のある方はぜひ読んで「犯人当て」に挑戦を!
ちゃ~んと、「読者への挑戦」が挿入されています(^^)
で、思ったこと。つまらないと思いがちな文学史上の人物にもこんな面白い人がいる!
坂口安吾なら今のミステリをどう評論するかな~と考えたら楽しくなりました♪