私は冷蔵庫の中身を確認した後、友人に顔を向けて言った。
「なあ火村、この話をどう思う? 俺はこのままで済みそうにないと思うてる。だからお前の知恵が借りたいんやけど……腹が減っては戦はできんから、ちょっと前のコンビニまで買い出しに行ってくるわ」
火村英生はソファーでキャメルをゆっくりとふかしていたが、突然さっと足を組んで気取ったように言った。
「実に単純な問題だよ、アリス君。改めて考えてみるまでもないね。君が今日は蕎麦を食べたいと思ったが蕎麦の買い置きがなかったという事実と同様に明らかなことさ」
私は呆気に取られて火村の顔を見つめた。火村が苦笑する。
「俺の顔に何か付いているか、アリス。俺は別におかしくなったわけじゃねえよ。ちょっとお前のお気に入りのホームズ氏の真似をしてみただけさ」
「あほか」私は反射的につっこんだが、火村の蕎麦についての指摘が的を射ていたので驚いた。「けど、なんで俺が蕎麦を食いたがってるってわかったんや?」
犯罪学者はにやにやしながら言う。
「たいした推理じゃない。お前がさっき冷蔵庫を開けて蕎麦つゆのビンを確認したのを見たし、食器棚のざるに目をやったのも見た。その前に、戸棚の乾物置き場をがさごそやってがっかりした顔をしていたのも知っているからな」
「なるほど……って、そんなことはどうでもええ。お前もう事件の見通しがついたのか?」
「まあな」
臨床犯罪学者として数々の難事件を解決してきた火村の推理力には一目置いているが、こんなにすぐに結論が出るとは思わなかった。しかも今日はちっとも考え込みもしていないではないか。
私は半信半疑の目を火村に向けた。
事件……と呼べる程のものかも分からないが、その発端は朝井小夜子女史からもたらされた。小夜子は私の推理作家としての先輩で、京都在住である。彼女から焦った声で電話がかかってきたのは三日前――。
「どうしよう! あたし狙われてるみたい」
寝起きに昼食を取っていた私の耳元で、いきなり悲鳴のような声がする。
「落ち着いて下さい。何があったんですか?」
程なく冷静になった小夜子から聞いたのは次のような話だった。
近作で取り上げたからか、最近ガーデニングを始めようと思った彼女は喜々として色んなものを買い込み、ささやかな春の庭を整備していった。そして、いよいよメインの花壇にちょっと手間のかかる花を植えたのだそうだ。
「蘭ほどではないけど、養分やら温度やら大変なんよ。でもきれいに根付いたら見栄えのする種類なわけ。値段も割と高いのよ」
やや深めに穴を掘り、砂利を混ぜた土を敷き、その上に油かすをしいて腐葉土を乗せたところに植える。メインの花壇だから、二十も植えたと言う。
ところが、その作業を午前中に終え、調べものをしに図書館に出かけて帰ってきたら、花壇は無残にも荒らされていた。
「腹立つんはね、花を全部引き抜いて、土を掘り返してそのままにしていく手口よ。花を盗っていくんならまだ花泥棒やって諦めもつくけど、これじゃまるっきり嫌がらせやないの!」
話しているうちに怒りを思い出したようだ。私は火に油を注がぬよう聞き役に徹した。
そんな嫌がらせにへこたれる小夜子ではない。駄目になってしまった花を処分し、次の朝再び同じ花を買ってきて植えた。その日は外出もせずに家にいたが、創作に没頭して夕刻に庭を見ると、前日の惨状が再現されていた。
さすがに落ちこんだそうだ。なんせ仕事をしているすぐ横で花壇を荒らされたのに気づかなかったのだから。しかし大胆不敵な犯人もいたものだ。ガラリと窓を開けられたら、いやチラリと窓から覗かれたら見つかるのに。
「なあ火村、この話をどう思う? 俺はこのままで済みそうにないと思うてる。だからお前の知恵が借りたいんやけど……腹が減っては戦はできんから、ちょっと前のコンビニまで買い出しに行ってくるわ」
火村英生はソファーでキャメルをゆっくりとふかしていたが、突然さっと足を組んで気取ったように言った。
「実に単純な問題だよ、アリス君。改めて考えてみるまでもないね。君が今日は蕎麦を食べたいと思ったが蕎麦の買い置きがなかったという事実と同様に明らかなことさ」
私は呆気に取られて火村の顔を見つめた。火村が苦笑する。
「俺の顔に何か付いているか、アリス。俺は別におかしくなったわけじゃねえよ。ちょっとお前のお気に入りのホームズ氏の真似をしてみただけさ」
「あほか」私は反射的につっこんだが、火村の蕎麦についての指摘が的を射ていたので驚いた。「けど、なんで俺が蕎麦を食いたがってるってわかったんや?」
犯罪学者はにやにやしながら言う。
「たいした推理じゃない。お前がさっき冷蔵庫を開けて蕎麦つゆのビンを確認したのを見たし、食器棚のざるに目をやったのも見た。その前に、戸棚の乾物置き場をがさごそやってがっかりした顔をしていたのも知っているからな」
「なるほど……って、そんなことはどうでもええ。お前もう事件の見通しがついたのか?」
「まあな」
臨床犯罪学者として数々の難事件を解決してきた火村の推理力には一目置いているが、こんなにすぐに結論が出るとは思わなかった。しかも今日はちっとも考え込みもしていないではないか。
私は半信半疑の目を火村に向けた。
事件……と呼べる程のものかも分からないが、その発端は朝井小夜子女史からもたらされた。小夜子は私の推理作家としての先輩で、京都在住である。彼女から焦った声で電話がかかってきたのは三日前――。
「どうしよう! あたし狙われてるみたい」
寝起きに昼食を取っていた私の耳元で、いきなり悲鳴のような声がする。
「落ち着いて下さい。何があったんですか?」
程なく冷静になった小夜子から聞いたのは次のような話だった。
近作で取り上げたからか、最近ガーデニングを始めようと思った彼女は喜々として色んなものを買い込み、ささやかな春の庭を整備していった。そして、いよいよメインの花壇にちょっと手間のかかる花を植えたのだそうだ。
「蘭ほどではないけど、養分やら温度やら大変なんよ。でもきれいに根付いたら見栄えのする種類なわけ。値段も割と高いのよ」
やや深めに穴を掘り、砂利を混ぜた土を敷き、その上に油かすをしいて腐葉土を乗せたところに植える。メインの花壇だから、二十も植えたと言う。
ところが、その作業を午前中に終え、調べものをしに図書館に出かけて帰ってきたら、花壇は無残にも荒らされていた。
「腹立つんはね、花を全部引き抜いて、土を掘り返してそのままにしていく手口よ。花を盗っていくんならまだ花泥棒やって諦めもつくけど、これじゃまるっきり嫌がらせやないの!」
話しているうちに怒りを思い出したようだ。私は火に油を注がぬよう聞き役に徹した。
そんな嫌がらせにへこたれる小夜子ではない。駄目になってしまった花を処分し、次の朝再び同じ花を買ってきて植えた。その日は外出もせずに家にいたが、創作に没頭して夕刻に庭を見ると、前日の惨状が再現されていた。
さすがに落ちこんだそうだ。なんせ仕事をしているすぐ横で花壇を荒らされたのに気づかなかったのだから。しかし大胆不敵な犯人もいたものだ。ガラリと窓を開けられたら、いやチラリと窓から覗かれたら見つかるのに。