夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

永遠の生命は死することはない。

2017年12月15日 23時08分12秒 | 真理の言葉
今宵は仲間のお家で真理のお話をさせて頂きました。

話をさせていただく、

聴いていただく、

その法縁を拝ませていただくのでなければなりません。

どんな苦労があっても、因縁によって世話させて頂いていると思えば

有り難いばかりの一筋である。

人間は他のために苦労させられているのでなく、

自分の魂を高め上げ、浄め上げるための修行として

苦労にめぐまれているのである。

と教えられています。

『健全なる人間の理念である実相(本当の姿)』の想念をジーつと心に描いて、

それを観つめているのが神想観なのであります。

『観無量寿経』に示されている『佛心観』や、

弘法大師の教えられた『阿字観』に於いて

大日如来の実相を観ずるのも同一原理であります。

何物も死するものはないのである。

死と見ゆるものはただ其処に変化が起こっただけのことである。

永遠の生命は死することなく、

また新しき形態に出現せんとしつつあるのである。









国司三喚(こくしさんかん)

2017年12月14日 21時53分33秒 | 日記・エッセイ
ある日エレベーターの中で男性の方と二人きりになり、
一瞬二人共固まり、沈黙状態でしたが、こちらからお早うございますと声をかけると、
硬い表情が一瞬のうちに素晴らしい笑顔に変わりました。
和やかな会話がひろがり爽やかなひと時でした。

『言葉は神なり』と申しますが言葉次第で置かれた場所が天国にも地獄にもなります。

運命もこの様に言葉の力で築かれていくのだと思えます。


国司三喚(こくしさんかん)

国司三たび侍者を喚(よ)ぶ、侍者三たび応ず

太郎さんと何度呼んでも、返事ばかりで応じない。

言葉にも権威が必要である。

言葉を出すのには、吾々は本当にいのちそのままの言葉を出さないといけない。

小言のような言葉では相手は返事をしない。

こちらの言葉の調子で向こうが変る。

喚ばれた時には直ぐ答えて動き出すようでなければならない。
打てば響くと云う言葉がありますが、これが本当の『無』の人の心です。







汝の敵を愛しなさい

2017年12月13日 21時08分02秒 | 日記・エッセイ
感染症対策に関して院内で講習会がありました。

薬剤耐性菌の中で『悪魔の耐性菌』と言われている最後の切り札的抗菌薬にも効かない
カルバペネム耐性腸内細菌(CRE)という耐性菌があります。


薬剤が発達するに従いそれに対抗して耐性菌も強くなりました。

不思議ですね!

薬剤が強くなると相対的な菌も強くなることは

『喜べば喜び来る』『目には目を歯には歯を』のような『親和の法則』のようですね。
仏教の因縁の話のようでもあります。

これはあまりにも薬剤に依存して来た結果なのでしょう。

麻薬、覚せい剤などの依存症などには特別に注意をはらいますが、
優れた薬剤の依存にはそれ程、注意を払わないことが結果的にこのようなことになったのではないでしょうか。

汝の敵を愛しなさい

あなたがたも聞いているとおり『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。

しかし、わたしは言っておく。
敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。

あなたがたは天の父の子となるためである。

父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しいものにも、正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。

自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。

『マタイによる福音書43~46』







感謝の念を起すとき、自分の心が浄まるのである。

2017年12月12日 20時18分07秒 | 日記・エッセイ
野菜中心の食事の恩恵を改めて意識し、野菜への有り難さが増しました。

長崎の高台のホテルで忘年会がありました。
娘が結婚式を挙げたホテルでもあります。
私は菜食をしていますので食するものが限られています。

周りの仲間が驚きタンパク質はどうしているのですかと色々と心配されます。
日本の懐石料理、野菜料理、植物性発酵食品の良さ、
日本料理は見て美しく、季節感、清潔感に溢れ、健康にも良い事を説明して上げますと

『理』に適っているのですね!と納得して頂けます。

窓から長崎の夜景を眺めますと以前程の輝きが無いように思えました。
長崎の街はすり鉢状に山がそびえていますので坂が多く、
住居も高台にあり、また車も使えないので、馬の力を借りて建築用の資材等を運んでいました。

現在は老齢化の影響で高台の空家が増え、また『省エネ』が進み、
明かりが減少した結果なのではないかと思えます。

また宴会の間に静かなところで悩みの相談をうけました。
最近悩みの相談をうけることが多くなりました。
私もその様な相談を受ける年代になったのかと自分の歳を改めて感じます。

ご縁のある方々が健やかに、清らかに、ゆたかに、平和に、生きて行かれることお祈りします。




雨上がりの鮮やかさ

2017年12月10日 23時48分55秒 | 日記・エッセイ
外に出ると雲の間に間に青空がのぞく。

見上げると錦の山にたなびく淡い雲海。

キラキラとひかる雨溜りが静かに流れる。

ひろがる爽やかさの有りがたさよ。


本家から、当主の訃報が届きました。
幼い時から親しく御慈愛を頂きました。
今は都市化が進み周りは立派な建物が立ち並んでいます。
幼き頃、古代から私共一族の氏神である『日佐(おさ)住吉神社』に
子供が生まれた時に奉納する畳み半畳程の大きな『武者絵馬』が飾られている、
吹き抜けの『絵馬殿』で良く遊んでいました。

その頃は那珂川の裾のから黄金色に染まる田んぼが一面に広がり、
本家の屋敷を囲む赤レンガの塀を通り、くぐり門を抜けると黄金色に輝く金柑の実、
外庭に地祀りにされている農業の神であるお稲荷大明神さんの祠、

ホルスタイン種の牛乳牛、馬、働き牛、馬車、
また座敷には神々が祀られている神殿、仏壇には位牌が立ち並び、火鉢、火箸、ピアノ、
煤けた鴨居に掲げられている一本の槍、
台所には、竈神、土とタイルで造られた竈、手押しのポンプの井戸、
囲炉裏、ひなびた煮干、家のお祭りの時しか登場しない『がめ煮(筑前煮))、地下足袋、
屋敷の周りには自家製の畑、お葬式の時には近くの菩提寺の寺墓地まで一族縁族、縁者が練り歩き御供養に参列していました。
今は殆ど残されていない様々な情景が走馬灯のように駆け巡ります。

当主の現役当時は福岡市の校長会の会長をなされ教育一筋の方でした。
頑固にも80才近くまで、都市化された交通事情の中で『リヤカー』を自ら引っ張り、
残された田んぼの維持管理をなされていました。
農業にも誇りを持っていた方でした。

当主のご冥福を祈ります。

死は無いと云うのは肉体のことではない。
現に肉体細胞は刻々死滅し流転している。
生き通しであるのは、斯くならしめている『生命』のみである。
『生命』のみが吾れであり汝である。











仲間とのふれ合い(きよき、あかるい心)

2017年12月09日 14時01分32秒 | 日記・エッセイ
急きょ4人の仲間でミニ会議を開きました。
このようなフランクな話し合いは色々な生活の体験の話が出て、
笑顔満載のすこぶる明るい会議でした。

やはり上下関係、話のテーブルをフラットにすることが
心の奥底のひだを揺さぶり、
お互いに自由で素直な意見を話すことができるようです。

この事が更に人間関係を滑らかにして互いの友情を深める結果になり、
常日頃抱えているストレスをも軽減することになります。

人間は『心』と『言葉』を持ち合わせているが故に
穢れのない、清明心を持った存在で居られるのです。


    神火清明

  神水清明

  神風清明

                      神道の真言


善き心といわずして『清明き心』と称したのが日本民族である。

『注』清明き心』・・・清明(きよき、あか)き心。


 




悩みを突き抜けて希望を実現する。

2017年12月08日 21時57分31秒 | 日記・エッセイ
娘が職場の事で色々と悩んで、意見を求めてきます。

人に動いて頂く難しさを話します。
話す言葉または指示する言葉次第で良くもなり悪くもなります。
また誤解を招くことにもなります。

基本的に自分自身が職場の人々を愛することが大切であります。
愛は賛嘆であり、相手の善を認めることであります。

仕事の細かい処まで、頭で考え創造することがまず必要でありますが、
その後に事細かく、まるで設計図のように仕事のノウハウを書き表わすことがより大切なことであります。

この作業をやる事により仕事の具体性と平等性がより鮮明に理解できるようになります。
如何すれば人に喜んで仕事をやって頂けるのかが理解できます。

そのことにより、働いて頂く人もお互いに理解ができ、仲良く働くことが出来ます。
このような話をしますと、娘も丁度その設計図のようなものを描こうと思っていたと言いました。
娘の奮闘を祈ります。


人間はその置かれたる位置に於いて今自分に与えられたる仕事を、

神への愛の念をもって、而して人類への奉仕の念を以って、

それを実践する時、そこに平安と、幸福と、健康と、力と、喜びと、豊なる富と、

あらゆるよきものが実現しないと云うことはあり得ないのである。










『物質文明』花盛りです。

2017年12月07日 20時47分39秒 | コラム・人文
スマホのベルトポーチを買いなおしました。
以前のは開閉がマジックテープでした、開閉の度に音がするのと、テープ自体が弱くなりました。
今度のポーチはスマホ、バッテリー、イヤホン、メガネも入るようです。
確かにこの様に私達は一見生活は便利になり、豊になりました。

世界は技術の進歩でドンドンと物が増え、まるで人々は毎日遠足に行っているかのように
『便利であると云う物(劇薬)』を抱えて生活しています。

まるで戦後の買出しの時のように皆、其々物を身につけて外出しています。
部屋の中もあらゆる物で占領されています。

『物質文明』花盛りです。

良い方に考えると生活が多様化しているとも云えます。

しかし『物』と云う『知恵の樹の果』の洪水の中に溺れるのではないかと思えます。

精神文明が『今』まさに顕われんとしている過度期ではないかと思われます。

『注』知恵の樹の果・・・・・物質に執着して生活しているところの知恵。
              即ち世界観、人生観をあらわしている。


現代版エデンの楽園からの追放

『物質さえ具わったら我々は幸福になれるである』いうような知恵を持ったら
お前は実在の本当の姿、即ち実相の楽園に、地上天国のこの世界に住むことが出来ないで、
争いの世界に追い出されるしか仕方がないのである』と。





          


言葉の魔力で数え切れない福徳が顕れるでしょう。

2017年12月06日 21時40分02秒 | コラム・人文
院内で全職員のインフルエンザの予防注射でした。

注射は何才になっても嫌ですね!

言いますと若い女医さんに笑われ、
痛くないようにしますから!

と言われますと何だか本当に何時もよりも痛くなかったようです。

やはり言葉で優しく言われますと言葉の力でしょうか、人間の心は左右されるようです。
運命も言葉の力で良くも悪しきにも変えることが出来ると云われています。

心で思うことも言葉です。

常に心で良きことのみを思い、良きことのみを語り、
また移り変る世の中の良きことのみを見て、喜びましょう。

人に対して微笑と深切を施しましょう。
そうすると有り難い、感謝の心が沸々と湧きあがって参りましょう。

やがて数え切れない福徳が顕れるでしょう。


初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇は深淵の面にあり、

神の霊が水の面を動いていた。

神は言われた。

『光りあれ』

こうして光があった。

神は光を見て、良しとされた。


              創世記 天地の創造 1、2、3、4



はじめに言葉あり、

言葉は神と偕にあり、

言葉は神なりき。

              ヨハネ伝 第一章















十夜会(じゅうやえ)・・・・・(極楽世界には誰でも行ける)

2017年12月05日 21時01分35秒 | コラム・人文
仏の来迎は法爾(ほうに)の道理にして疑いなし

                                法然上人

人間は現象世界(娑婆世界)には生まれない
 今・此処・我は大生命と一体である 


             『注』法爾・・・自然の定まり。あるがままのすがた。自然法爾(じねんほうに)


『無量寿経』に煩悩や誘惑の絶えないこの娑婆世界で十日十夜の善行積むことは、

仏さまの国土で千年の善行を修めるよりも勝れていると説かれています。


先月は菩提寺で十夜法要の念仏会がありました。
私共も月に七回の浄日を定め、
十三仏、十一面観音菩薩等の掛軸を掲げ御縁を結ばさせて頂いております。

念仏三昧で数珠を繰りながら木魚、鉦を打ちますとリズムにのり、
精神が段々と集中して参ります。

『鳴り物』は精神の集中に役に立つようであります。

法然上人は毎日一万遍唱えられたそうであります。

徳川家康公も『日課念仏』として念仏を唱えながら南無阿弥陀仏と書写し、

他者の為一日、何万編も唱えていたそうです。









執着心を放つことは人間にとって最大の課題である。

2017年12月04日 21時52分28秒 | 真理の言葉
北風が吹きぬける日に、奥様の五年目の通院でした。
素晴らしい結果でした。

心が囚(と)われると自分で自分自身を縄で縛るような事とになり、
心の自由が失われ、本来の本当の姿が見失われますが、その囚われている執着心が解き放たれるならば、
自分自身の真実の心が顕われ、その心の反映としてエデンの楽園に住むことが出来る。


山林是れ勝地(しょうち)なるも、一たび營戀(えいれん)すれば、
便(すなわ)ち市朝(しちょう)となる。

書畫は是れ雅事(がじ)なるも、一たび貧癡(とんち)すれば、、
便(すなわ)ち商賈(しょうこ)となる。

蓋(けだ)し、心に染著(せんちゃく)なければ、欲界も是れ仙都(せんと)。

心に係戀(けいれん)あれば、楽境(らくきょう)も苦海となるなり。

中国の光明思想 菜根譚(さいこんたん)

『注』
勝地(しょうち)・・・地形のすぐれた地。景色のすぐれた地。
市朝・・・まちなか。公衆の集まるところ。
雅事(がじ)・・・風雅なこと。
商賈(しょうこ)・・・商い心。
貧癡(とんち)・・・むさぼり欲深く、愚かなこと。

染著(せんちゃく)・・・穢れがなく、執着がないこと。

係戀(けいれん)・・・あきらめきれない心。執愛。






あかね色にさし照る月明かり

2017年12月03日 20時29分30秒 | 日記・エッセイ
綺麗なお月さんですね!
と奥さんがつぶやくと・・・・・

東の空の木々の彼方に丸い月が
あかね色に静かに穏やかに輝いている、
まるで夕焼けのようである。

満月かな!
とつぶやくと

さっきよりもう高く上がっているわ!
と奥様がつぶやく



大伴の見つとは言はじあかねさし照れる月夜に直(ただ)逢へりとも

             大宰大監大伴宿禰桃百代 万葉集 565

大君は神に座(ま)せば天雲の雷の上に盧(いほ)らせるかも
                 柿本朝臣人麿  万葉集 235


ひさかたの天ゆく月を網に刺しわご大王は盖(きぬがさ)にせり
                         万葉集 240
                      万葉集 235の返歌


『注』
盖(きぬがさ)・・・天皇、皇太子、親王、貴族の後ろからさしかける傘。







祀り事の大切さ(そうすればおのずから幸福の道が開かれる)

2017年12月02日 18時07分09秒 | 歴史
祀り事の大切さ

今上天皇陛下も宮中で天照大御神、八百万の神々をお祀りなされ、永きにわたって世界の平和、国民の安寧を祈られて来られました。
尊く、また有り難い事です。

仁徳天皇のお歌に
それ天の君を立つるは、これ百姓の為なり、
然らば則ち君は、百姓をもって本となす。
是を以て古の聖王は、一人飢寒すれば、顧みて身を責む。
いま百姓の貧しきは、則ち朕の貧しきなり、
百姓の富めるは、則ち朕の富めるなり、

日本の心がどんなに清明で、幽玄で、高邁で、霊的で不滅悠久な生命を湛えているものだということを知らなければならない。
『その心』を敬って感謝して祀るのが神祀りなのです。
そうすればおのずから幸福の道が開かれる

神祀りを大切にして来た博多の街について

この博多の地域は『遠の朝廷(とうのみかど)』と云われていました。

博多の街は発展し続けていますが、古代よりお祀りを大切にして来た事が良い結果につながったことになったのではないでしょうか。
古くから大陸との交流が盛んな地区であり、弘法大師、最澄等沢山の宗教者、文化人が遣唐使等で大陸に渡り
経典、様々な先進的な鉄、銅等の文化を吸収して来た拠点が博多の街でした。
弥生文化も古代の宗像族、安曇族、住吉族亦は松浦族等の海人族を通じて北部九州から日本全国に広がって行きました。
地形も北西側が開け、四方を山々に囲まれ恵まれた海岸です。
元寇の襲来の時もこの地形は功を奏しました。

聖一国師が疫病封じの為施餓鬼棚に乗って祈祷水(甘露水)をまいたのが始まりと云われている
櫛田神社の博多山笠が全国に知られています。
その博多山笠もユネスコ無形文化遺産に登録されています。
娘婿が恵比寿流の山笠を担いでいます。



博多湾の海岸地帯には
①東側(現在の福岡市住吉区)に博多住吉神社(住吉三神の上津瀬神)

②中央に日佐住吉神社(現在の福岡市南区日佐)香椎大神、高良大神、若大神、
 (住吉三神の中津瀬神)、 そして筥崎宮の八幡大神
最初は海岸線の那津の宮家に大宰府に置かれましたが、新羅で白村江(はくそんこう)の戦いに敗れた後に水城という城壁を築き大本営を現在の筑紫野市に大宰府が移されました。
福岡市南区は那津の宮家、朝廷の屯倉(みやけ)が置かれた地域でもあります。
この地域は筑紫(ちくし)郡と云われていました。

③西側に現人神社(現在の福岡市那珂川町)に(住吉三神の下津瀬神)と祀り。
住吉三神の本津宮と云われ全国の住吉神社の発祥の地とも云われています。

④東側の篠栗町の若杉山の太祖神社に伊邪那岐命、天照大御神、八幡大神、
宝満大神、香椎大神(神功皇后)、志賀島神社の(底津綿津見神、
仲津綿津見神、表津綿津見神 、住吉大神三座の七神。

⑤西側(現在の福岡市西区)の飯盛山には清和天皇より再建された飯盛神社に伊邪那美命、玉依比売命、
品陀和気命(八幡大神)、五十猛命(いたけるのみこと)を祀り。

⑥背後の東側(現在の太宰府市)の宝満山(竈門山)には竜宮の玉依姫命
(たまよりひめのみこと)神功皇后、八幡大神の三神を竈門神社で祀り、
⑦背後の西側(現在の糸島市)の雷山(さいざん)の雷神社(いかづちじんじゃ)には水火雷電神(瓊々杵尊)、高祖大神(彦火火出見尊)、
香椎大神(神功皇后)、住吉三神、八幡神の五神を祀る。

東の若杉山(伊邪那岐命)と西の飯盛山(伊邪那美命)は夫婦山と云われています。
この他にも愛宕神社等様々な神々が祀られています。






自分自身を普く宇宙に輝く素晴らしい存在であるということを拝み出し、全ての存在を礼拝する『礼拝主義』

2017年12月01日 23時44分22秒 | 真理の言葉
勤務を終え友人宅の先祖供養を仲間と共に、この法縁を結ばせて頂き、御供養を勤めさせて頂きました。
有り難うございました。


誰しも他を拝むのは拝み易いですが、自分自身を拝むのはコンプレックスが禍をして中々素直に拝めないものです。
原罪意識が頭を持ち上げ、素直に自分自身を讃え誉めることが出来ません。
過ぎ去った過去はもう無いのですが、今の自分自身の奥底の心に過去があるのです。
その過去の自分、亦は自覚していない潜在意識のもう一人の自分と仲直りして大調和するには懺悔して和解しなければならない。
そして自分自身に感謝しなければならない。
魂の浄化は消極的には懺悔、積極的には真理を悟るという二つの方法が主として行われる。
人間の本当の姿は無罪であり、如来であり、素晴らしい神の子であります。
この真理を自覚することが魂の浄化につながります。

法華経の観普賢菩薩行法経には懺悔せんと欲せば端座して実相を観ぜよとあります。
静かに座って普く宇宙に遍満する観普賢菩薩と一体となり自分自身は仏であり如来であり、
宇宙に遍満する素晴らしい存在である姿を瞑想することが魂の浄化につながります。
話は長くなりましたが自分自身と和解し真実の自分を見出すには、
自分は善であり神の全ての御徳を享け継いだ神の子であると素直に認めることです。