夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

祀り事の大切さ(そうすればおのずから幸福の道が開かれる)

2017年12月02日 18時07分09秒 | 歴史
祀り事の大切さ

今上天皇陛下も宮中で天照大御神、八百万の神々をお祀りなされ、永きにわたって世界の平和、国民の安寧を祈られて来られました。
尊く、また有り難い事です。

仁徳天皇のお歌に
それ天の君を立つるは、これ百姓の為なり、
然らば則ち君は、百姓をもって本となす。
是を以て古の聖王は、一人飢寒すれば、顧みて身を責む。
いま百姓の貧しきは、則ち朕の貧しきなり、
百姓の富めるは、則ち朕の富めるなり、

日本の心がどんなに清明で、幽玄で、高邁で、霊的で不滅悠久な生命を湛えているものだということを知らなければならない。
『その心』を敬って感謝して祀るのが神祀りなのです。
そうすればおのずから幸福の道が開かれる

神祀りを大切にして来た博多の街について

この博多の地域は『遠の朝廷(とうのみかど)』と云われていました。

博多の街は発展し続けていますが、古代よりお祀りを大切にして来た事が良い結果につながったことになったのではないでしょうか。
古くから大陸との交流が盛んな地区であり、弘法大師、最澄等沢山の宗教者、文化人が遣唐使等で大陸に渡り
経典、様々な先進的な鉄、銅等の文化を吸収して来た拠点が博多の街でした。
弥生文化も古代の宗像族、安曇族、住吉族亦は松浦族等の海人族を通じて北部九州から日本全国に広がって行きました。
地形も北西側が開け、四方を山々に囲まれ恵まれた海岸です。
元寇の襲来の時もこの地形は功を奏しました。

聖一国師が疫病封じの為施餓鬼棚に乗って祈祷水(甘露水)をまいたのが始まりと云われている
櫛田神社の博多山笠が全国に知られています。
その博多山笠もユネスコ無形文化遺産に登録されています。
娘婿が恵比寿流の山笠を担いでいます。



博多湾の海岸地帯には
①東側(現在の福岡市住吉区)に博多住吉神社(住吉三神の上津瀬神)

②中央に日佐住吉神社(現在の福岡市南区日佐)香椎大神、高良大神、若大神、
 (住吉三神の中津瀬神)、 そして筥崎宮の八幡大神
最初は海岸線の那津の宮家に大宰府に置かれましたが、新羅で白村江(はくそんこう)の戦いに敗れた後に水城という城壁を築き大本営を現在の筑紫野市に大宰府が移されました。
福岡市南区は那津の宮家、朝廷の屯倉(みやけ)が置かれた地域でもあります。
この地域は筑紫(ちくし)郡と云われていました。

③西側に現人神社(現在の福岡市那珂川町)に(住吉三神の下津瀬神)と祀り。
住吉三神の本津宮と云われ全国の住吉神社の発祥の地とも云われています。

④東側の篠栗町の若杉山の太祖神社に伊邪那岐命、天照大御神、八幡大神、
宝満大神、香椎大神(神功皇后)、志賀島神社の(底津綿津見神、
仲津綿津見神、表津綿津見神 、住吉大神三座の七神。

⑤西側(現在の福岡市西区)の飯盛山には清和天皇より再建された飯盛神社に伊邪那美命、玉依比売命、
品陀和気命(八幡大神)、五十猛命(いたけるのみこと)を祀り。

⑥背後の東側(現在の太宰府市)の宝満山(竈門山)には竜宮の玉依姫命
(たまよりひめのみこと)神功皇后、八幡大神の三神を竈門神社で祀り、
⑦背後の西側(現在の糸島市)の雷山(さいざん)の雷神社(いかづちじんじゃ)には水火雷電神(瓊々杵尊)、高祖大神(彦火火出見尊)、
香椎大神(神功皇后)、住吉三神、八幡神の五神を祀る。

東の若杉山(伊邪那岐命)と西の飯盛山(伊邪那美命)は夫婦山と云われています。
この他にも愛宕神社等様々な神々が祀られています。






最新の画像もっと見る

コメントを投稿