夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

安曇氏・阿曇氏(あづみうじ)

2010年01月30日 11時13分49秒 | 歴史

海神綿津見神の子宇都志日金折命の後とも、同じく海神の子穂高見命の裔(すえ)とも傳へる。筑前國糟谷郡安曇郷に據(よ)つて居た大豪族で志賀島に海神社を祀り、その對岸住吉に底筒之男神、中筒之男神、表筒之男神を祭り海部の民を率い、航海通商漁業等の當つて居た。其処で漢史に見ゆる奴國王というのも恐らく此の氏を指すのかと考えられている。神功皇后の新羅遠征の際には、安曇磯良(あづみのいそら)なるものがあつたと傳へられ、應神天皇朝には安曇連大濱宿禰が海神の率となつて居る。かくして一族各地に蔓つたが、阿波、信濃の安曇氏が最も名高く、又中央なる宗族は天武天皇朝に宿禰姓を賜うた。子孫は上古以来の例によつて、内膳司に司へ高橋朝臣(あそん)と共に奉膳であったが、神事に仕ふるに當り、二氏は光後を争ふ事厲ゝであつた。

安曇連(あづみのむらじ)

轉じて安曇、安積とも書く。筑前國糟谷郡安曇郷を本居に、廣く肥前、豊後、阿波、淡路、隠岐、河内、三河、信濃等に分布、「日本書紀」一書に「底津少童命、中津少童命、表津少童命是安曇連等所レ祭神矣」『古事記』に「是三柱綿津見神者、安曇連等之祖神以伊都久神也」とある。『姓氏録』には「安曇連、綿積神皃穗高見命之也」として血統的関係を説く連姓を宿禰と改めたのは天武天皇の十三年十二月二日である。

  


“牝鹿のあしのように”

2010年01月30日 07時51分48秒 | 真理の言葉

は私の足を雌鹿のようにし、私を高い所に立たせてくださる。

旧約聖書

本日は誌友会で“牝鹿のあしのように”の題材でお話を聞くことが出来ました。

雌鹿の足は動物の足のなかで最も前足が踏みしめた箇所を正確に後ろ足を踏みしめる事ができるそうです。だからあの険しい崖を登り下りすることができます。

人間が本来持ち合わせている神様のような素晴らしい存在であると云う真実を、潜在意識の心の奥深いところから素直に信じまた行持、牝鹿のあしのように一歩一歩踏みしめ前進することが大切であり、私達は大いなる力に昼も夜も如何なる困難な時にも常に導かれています。