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終戦の日を前に

2010年08月13日 03時00分01秒 | Weblog

今夜から「 お盆 」です。



終戦の日に近づくと思い出す人、思いがあります。
約二十年前に知り合った「 海軍の零戦乗りだった S さん 」と、
また戦争を体験された方々の話を語り継いで行くことへの思いです。

S さんには戦争開始まで訓練の厳しさは、たくさんお話して頂きました。
しかし S さん、開戦後のことは多くを語りませんでした。

当時 S さんは福岡の飲み屋に週一回木曜だけ決まって現れて、ブランデーの水割りを飲んでいました。
お酒は大好きだということですが、自己管理の凄い方でした。

ある日、私が零戦の話を聴くのに夢中になり飲み過ぎて帰れなくなり、Sさんの自宅に泊めてもらいました。
朝起きると、S さん自ら作って頂いた朝食が準備されていました。
零戦乗りの方に朝食を作ってもらうなんて、凄い経験ですが、恥ずかしかったです。

S さんは若い頃に、奥様に先立たれて一人暮らしでした。
一人娘は米国に嫁に行ったそうで寂しそうでした。

いつも亡き奥様の写真を持ち歩いていて、よく見せて頂きました。
忘れもしない「 夏の日の浴衣姿の奇麗な奥様 」でした。

私の故郷、鹿児島には特別攻撃に使われた「 知覧飛行場 」「 鹿屋飛行場 」「 万世飛行場 」「 出水飛行場 」他がありました。
現在の 知覧特攻平和会館 には、戦争当時の元整備兵の方がいらして、予約すれば、当時の体験談、知覧特攻平和会館の説明を受けることができます。


当時最年少の僅か 17 歳の操縦士の特攻前日の写真『子犬を抱く少年兵』があります。
無邪気に犬とじゃれ合っています。
この写真は涙なしには見れません。
※ 画像は 知覧特攻平和会館 HP から。

知覧特攻平和会館の元整備兵の方から忘れられないことを言われました。
当時の特攻は「 決死隊 」ではなく「 必死隊 」だったと。
「 死を決して出撃するのではなく、必ず死ぬ出撃だったのだ。」と、

戦争を経験された方々は、多く語らないですし、話を聞く機会は少ないです。
今でも「 知覧特攻平和会館 」では当時の話を聴くことができます。

戦死された優秀な方々が、もし生きていれば今の日本も違っていたことでしょう。

福岡の零戦乗り Sさん、どんなに酒を飲んでも、眼光だけは鋭い方だったのが思い出されますが、
数年前に入院されました。


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