晴れのち曇り、時々パリ

もう、これ以上、黙っていられない! 人が、社会が、日本全体が、壊れかかっている。

フランスの革命記念日にあたって思う事。「国家は国民を裏切るものだ」と言う事実。

2011-07-14 23:28:14 | 政治と社会
国家は国民を愚弄する。

国家は、国民の真の利益に沿って動く事は無い。
国民は、国家の利益の犠牲となる。

国家は、国民の与り知らぬ所で、決断する。
国民は、国家の裏切りに気づかない。

国家は、国民を搾取する。
国民は国家の犯罪は知らされない。


人類の、文明史上共通の真理である。




前日、頭上を航空機が飛び交っていた。

上空の飛行が禁止されているパリである。
上空僅か300メートルを、攻撃型戦闘機ラファールや、ハイテク偵察機等が時折飛び交う情景は、毎年この時期恒例である。


       


1789年7月14日。
前日、廃兵院『アンヴァリッド』を襲って武器を手に入れたパリの民衆が、「政治犯」を収容する反体制側の怨念の象徴であった、バスティーユ牢獄を襲い、陥落させた事が、フランス革命の発端である、と言う事になっている。

小学校ですら、「歴史」の授業で革命の時代の内容は、事細かに教わる。


特権階級の特権を廃止した。

支配階級の、貴族と聖職者も、課税対象となった。
身分の差、出自の如何を問わず、法の基には平等。

それまでは、人口の二割の王侯貴族聖職者は、一生の間、戦争しているか遊んでいるだけで、税金は払わなかった。
人口の八割を占める「大衆」は、生まれて死ぬまで、働いて税を納めた。

王侯貴族と聖職者は、特に恣意的な件以外は、悪を暴かれたり罰を受ける事は無かった。
一般大衆は、微罪で逮捕され、公正な裁判も受けられず、投獄や処刑されていた。

一度だけの革命で、一挙に近代的民主国家になった訳では無い。
1830年7月革命。
1848年2月革命。
1871年3月パリコミューン。

革命を繰り返し、多くの血が流され、試行錯誤を繰り返した挙げ句に、法治体系を調え、民主主義の理念を形づくって行った。


その、近代民主社会の萌芽となる『フランス大革命』の発端、7月14日は、『国民の祝日』と呼ばれる。


日本で「パリ祭」と呼ばれるこの日、実際には『シャンゼリゼ大通り』での大軍事パレードが、繰り広げられる。

この晴れの日の為に、全世界の駐屯地から「選ばれた精鋭部隊」が、パリに参集する。

大統領府『エリゼー宮』を専用車で発った大統領は、凱旋門で陸軍の指揮車であるジープに乗り換え、統合参謀本部長の同乗の元、パレードの先陣を切る部隊が整列するシャンゼリゼを、ゆっくり走って「閲兵」しながら、『コンコルド広場』に到着する。

そのまま、待ち構える閣僚や各国招待者と挨拶を交わして、大統領特別席に着席。

        
        コンコルド広場の貴賓席に置かれる「大統領」の椅子


大パレード開始と共に、続々とシャンゼリゼを下って来る、各種部隊の上空を、共和国曲技航空隊の戦闘機が9機、扇型編隊で「三色」の煙幕を棚引かせながら、飛来して来る。

その後から、多種多様な航空機が、上空300メートルを保って飛行する。

マッハ3の戦闘機から、プロペラで飛ぶ特殊大型機に至るまで、フランス全土の基地から、夫々異なる距離を、異なる飛行速度で飛来して、決められたタイミングで次々と編隊飛行をする為に、秒刻みでのコーディネーションが不可欠となる。

その為に、前日に実地テストを行っていたのだ。


今年は、海外駐屯部隊が表立って主人公となり、先陣を切って行進し、大統領席の前で左右に分かれて分列行進となる。

一番最初に、カリブ海の島嶼部海外県の出身者で構成された部隊が、大統領の前で半円の陣を組み、民族に伝わる「闘いの舞い」を披露した。

ニュージーランドのラグビーチーム『オール・ブラックス』の、試合前の「ダンス」に似ていた。


大統領は、笑顔で参観していた。


そもそも「閲兵式」とは、軍が「最高司令官」に対して「忠誠」を示している事を、確認する儀式である。

フランス共和国大統領は、三軍の長「最高司令官」である。

アメリカの大統領より、権限はむしろ強い。

アメリカの様に、議会が大統領に対立する事は、「保革逆転ねじれ議会」でない限りは、あり得ない。

議会は、大統領の与党である。
法務大臣も、大統領が任命する。
高級官僚は、大統領が変わると全員クビがすげ替えられる。

つまり、司法、立法、行政、そして外交の全てを大統領が握っている訳である。

その大統領に、軍は忠誠を誓う。


その国家体制の「再確認」の儀式が、7月14日「革命記念日」の大パレードなのだ。

ある意味で、壮麗なる式典と言える。
別の意味で、壮大な欺瞞とも言える。


国家は、常に国民の為に有る訳では無い。
国家の利益と、国民の利益とは、一致し無い事の方が多い。

往々にして、国家は国民の利益を犠牲にして、国家の利益を優先するものだ。

そんな事は、フランスの国民は「百も承知」である。

ちなみに、大統領選挙の投票率は、70%台の半ばである事が、普通となっている。


老いも若きも、知識人も労働者も、夫々政治には一家言あり、主張もする。
その上で、選挙は欠かさない。

その上で、「お上」の不実など知った上で、政治談義に余念がない。


決して、新聞テレビを鵜呑みにしない。
逆に、先ず疑って掛かる。

国民の利益を必ずしも擁護しない政治に、少しでも国民の意思を反映させるべく、選挙にでかけるのだ。



翻って我が日本と言う国は。。。

2009年の総選挙の投票率は、さすがに70%に迫る勢いであった。
しかし、補選や地方選挙ともなると、30%台もザラ。

そのくせ、政治が国民を守らない事に、恨みつらみの繰り言を言い募る。

権利の行使はせず、権利の享受だけを求める。

そして、背景を考えずに、表面に現れた事象のみで、即座に判断を下してしまう。
新聞テレビが言う事を、そっくりそのまま受け入れる。



フランスで。
国民は、国家を信用していない。
それにも関わらず、政治に熱い思いを込める。

そして、双方合意の基に、壮大な演出で国家の近代的スタートの日を祝う。
何故なら、国家が国民を「著しく」裏切ったら、また直接行動を取れば良いだけの話だから。

国家とは「悪」である。
この事を、フランス人達は歴史を通じて、学んで来た。

その上で、巨悪と、些細な悪とで、判断を分ける。
小さな悪行は、いわば権力者なら当たり前。
「その代わり、国民を見捨てるなよ!」


日本で。
国民は、国家に裏切られ続けて来た。
それでも、その事に永遠に気がつかない層がある。
そして、どれほど国民を裏切ろうが、直接行動など起こらない。

国家は、善である。
権力者は、悪行など行わないと言う事が、建前である。

だから、些細なミスでも、キャンペーン次第で巨悪として捉えられる。
その影で、本当の巨悪は、国民に正体を暴かれる事も無く、のうのうと生き延びる。
国民が「国は国民の為にある」と、信じきっている事を良い事に。


アメリカの小説等を読むと、歴代大統領が、如何に無能な男であるかが、赤裸々に描かれてる。
フィクションとは言え、大筋ではその通りなんだろうと思える。

その無能な大統領を担いで、ホワイトハウスに巣食う「高級官僚」達が、如何に利己主義で、下品で、利益の追求にいとまが無いか、赤裸裸に描かれている。

事実、そんな物なのだろう。

そして、その類いの「下品であくどい」エリート達が、国家を運営しているのだ。

世の東西を問わずに。



それでも、国家は存続し、その国家の体制の中で、国民の日常の営みは続いて行く。

ただ救いは、そのような国家の為政者たちは、一応国民の手で選ばれるのだ。
ダメなら、次は無いのだ。

トップをすげ替えるのは、国民である。
そのトップが入れ替わると、高級官僚は総て入れ替わる。

それでも、「行政の連続性」への不安等は話題にならない。

官僚とは、行政の事務方であるだけだから。
政治家の方針で、行政は決まって行く。


そうやって、時と共に「政権交代」は、極普に繰り返されて来た。

だからこそ、国家の巨悪の部分は国民の与り知らぬ所で為される。
そして、基本的な部分での国民の利益は、ちゃんと守られる。

なぜならば、国家が国民を最終的に愚弄すれば、国民のしっぺ返しを喰らうから。
お互い、それを承知で、お互いの立場をわきまえている。


もし原発事故が起これば、即座に責任者はその責任を問われるだろうし、必要な措置は直ちに取られる。
その後のことは、長期的スパンでの対策をとりつつ、国家にとっての重要な部分は、そのまま維持されて行くかもしれない。

しかし、住民を見殺しにしてまで、行政の利便性の為に「安全基準」のハードルを引き下げたりする事等、考えられない。

任期が決まっている大統領こそ辞任はしないが、担当大臣と、もしかすれば首相首が飛ぶ筈だ。
それが、普通の意味での「国家」の在り方であろう。

ましてや、強制節電など、あり得ない事甚だしい。



日本だけは、そんな常識が通用しない国家に、なってしまった。

責任は、誰も取らない。
被害は、一方的に国民に押し付けられている。


世界中で。
国家は、国民を愚弄する。
国民には見えなくとも。
歴史が証明している。

しかし、国民はその本質は知っている。
そして、被害を一方的に押し付けられたまま、と言う事はあり得ない。

マスコミが暴くであろう。
その事実を知った国民は、実力を行使する。

全国で、デモやストの嵐が巻き起こり、国の機能はマヒする。


その「作用と反作用」との前提の元に、国家と国民の関係が築かれ、維持されて行く。


そんな、普通の国になりたい。
なって欲しい。

フランス革命記念日の夜、花火の轟音を近くに聞きながら、そんな風に思った。


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