晴れのち曇り、時々パリ

もう、これ以上、黙っていられない! 人が、社会が、日本全体が、壊れかかっている。

「羊頭狗肉」と言う言葉を産んだ東アジア人のDNAを受け継ぐ、偽装国家ニッポンで今起こっている事…。

2013-11-11 21:45:55 | 政治と社会
日本に「本物」は有るのだろうか。


まず「明治維新」からして、偽物である。

長州と薩摩の下級武士の不満武士達が、土佐その他の同類達とツルんで、野心満々の下級公家の入れ知恵で起こした、単なるクーデターである。

幕府が、薩長と言え変わっただけで、革命でもなんでもなかった。


勿論その過程で、国の将来を憂居た憂国の士や、開明的知識人達の存在は忘れてはならない。

しかし、それらは「きっかけ」であり「肥」であり「拠り所」でも有ったが、最終的には「隠れ蓑」に落とされてしまった。


そして、取り入れられた筈の「民主主義」も、単なる貸衣装に過ぎず、そこに本質的発想は取り込まれなかった。

薩長の下級武士達に、その本質が理解出来る筈も無かったで有ろう。

民主政治の事実も国民主権の発想もなく、帝国議会という上流階級だけに限られた、天皇を権威とした「薩長の発想」が押し進められただけであった。


その結果は、当然戦争へと突き進んで破綻してしまった。


問題は、その後である。

戦後体制で、新日本国憲法により「本物の」民主主義が取り入れられたと、誰しもが信じた。

そんな馬鹿な。

昭和20年8月14日まで「鬼畜米英」と叫び「天皇の赤子」が「大東和共栄圏」をと突っ走っていて、翌15日から突然「民主主義」を口にしたって、そんな物借り物に決まってる。



『平和憲法』と呼ばれて来た憲法だけは、人類史上希有の素晴らしい者であった。

地球上の生物の中で、捕食目的以外に同種で殺し合うのは、恐らく「ヒト」だけであろう。

そして、有史以来殺し合いの無い時代など、存在しなかった。

その「ヒト」が、戦いを放棄する、と宣言したのだから、人類の域を超えて神の領域に踏み込んだと、言っても過言では無い程の精神の昇華であった。


ただし。


そんな夢物語は、あくまで夢にぎない。


【日本国憲法 全文】

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。
これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。
われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。


この憲法を奉じて、新生日本国の舵取りを始めたのが、熱烈なる天皇崇拝者を自認した吉田茂であり、その彼こそが最初から祖国を米国に売り渡していた張本人であった、

そして、戦時中から米国と通じ、戦後いち早く戦犯の立場を救われてCIA二よる日本支配の為に、日本国内にCIA組織を根付かせた岸信介である。

その後は、振り返って見る通り。

憲法は、悉く無視されて来た。


>ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。


今現在、安倍晋三なる偽装首相が推進している「特定秘密保護法」は、そもそもこの「国民主権」と真っ向から対立する。


それ以前に、日本国民に主権など有ったためしは無い。

国政は、地域社会のコネと利権と付き合いとによって選出された政治屋が、国民に福利を還元する事無く、好き勝手の官僚政治に明け暮れて来た。


>これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。


安倍晋三は、「これに反する一切の憲法、法定」を定めようとしている。


歴代首相も、これまでの政治も、それらを唯々諾々と受け入れて来た国民も、何もかもが「偽装国家」であると、言わざるを得ない。



【日本国憲法 第11条】

国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。




【日本国憲法 第21条】

集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。



【日本国憲法 第99条】

第九十九条[1] 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。



日本国総理大臣も、国務大臣も、国会議員も、すべて現行憲法を尊重し擁護する義務を負う、のではなかったのか。


独立主権国家とは、文字通り独立した主権を持った国家である。

しかるに、我が日本国は。

ヤルタ協約で勝手に配分された日本の「米国主権」を、実行に移した『サンフランシスコ講和条約』発効の日に、天皇陛下万歳を叫んだ安倍晋三以上の「偽装宰相」があり得ようか。



お上がお上なら、下々も下々。

出て来るは、出て来るは。

社会は「偽物」と「嘘」の大氾濫である。


そもそも、日本人の精神の中に、「産地に依る固有の価値」或は「品種に依る個性」と言う概念は、存在しないのではなかろうか。


かつて、仏農林省の技官で「ワイン担当」であった知人に聞いて驚いた事が有った。

日本が、第一次ワイン・ブームに沸いていた頃の事である。

「日本は、南アやオーストラリア、南米から安いワインをタンカーで輸入して、日本産のワインを<5%>混ぜれば、国産ワイン、と見なされるんだ」

ビックリ仰天こんこんちき。

その後、少しずつ改善されて来ているらしいが、本質は殆ど変わっていないだろう。

ワインに限らず、大げさに言えば、原材料を海外から輸入して日本国内で袋詰めしたら「国産」という発想なのだ。

韓国や台湾で作らせて「大島紬」と名乗って販売する。

ラベルの下に、小さく「韓国産」「台湾産」と書いてある。

奄美大島の島民達が、長い歴史の中で作り上げて来た、大島の染料と泥とを使って染めた大島の糸で、歴史が作り上げて来た伝統の織り方で織り上げるから、大島紬なのである。

その歴史と伝統とが、商品価値なのだ。
高価なのは当然。

その高価な大島紬を、工賃が安いからと外国で作らせて、同じプロセスでおったから『大島紬』と名乗って良い訳が無い。

それを、誰も指摘して来なかった日本社会である。

(※なぜか、うっかり「伊豆大島」と書いてしまって居り、コメントで『くまゆき』さまに、誤りをご指摘して頂きました。有り難うございました。)


ワインが有名だが、その他チーズや塩、オリーブオイルやバター、ボビンレースやタピスリーなど、作り出される産地の特性が商品の個性を際立てる商品に、その商品名が産地の名前で有る事が多い。

シャンパーニュ然り。
シェリー酒もポルト・ワインも、マデラ酒も然り。
トカイ・ワインも然り。
ブリー・チーズ然り。
ゲランドの塩然り。

ぐっと歴史的な高級な物では「ゴブラン織り」然り。


それらの名称は、みな産地名であり、それが「世界規模」での商品価値として、認知されているのだ。

それらの商品名は、よそで同じ様なまがい物の便乗商品を作られたのでは、自分達の商品価値を貶める可能性が有り、本来の商業機会を奪われて利益の一部を失う事にもなる。

フランスでは、それを防ぎ、更に商品価値を高める為に、法律で厳密な管理が為されている。

Apperation ( d'Origin ) Contorolé <アペラシオン(ドリジン)コントローレ)と言い、略して『A.O.C』又は『A.C』、日本語訳で『原産地呼称管理法』と言う。

Originを省略する事もある。

この事は、これまで幾度か拙ブログで書いて来た。

要するに、「シャブリ」で作られる、葡萄の品種や製法、生産量までも厳密に法的に管理され、法的に指定されている土地(シャブリ村とその周辺地域)で生産されている白ワインを「のみ」『シャブリ』という商品名で出荷出来るのだ。

アメリカ人達が、カリフォルニアワインの白を「シャブリ」と未だに呼ぶ事自体が、許せない事なのです。

かってサントリーが、赤玉ポートワインと言う代物を、販売していた、

ドウエロ河の急斜面で栽培された葡萄を使って作った赤ワインを、樽のまま河を下って、河口の「ポルト」と言う街で、伝統的プロセスで熟成された独特の甘みのある赤ワインを、ポルト(ポート・ワイン)と呼ぶのです。

訳の分らない赤ワインに、蜂蜜やら甘味料を加えた物を「ポートワイン」等と名乗って売られたら堪らない、というポルトガル政府の抗議を受けて、サントリーは「赤玉ハニーワイン」と名前を変えた事が有った。

それ程、産地が商品価値を決定付ける賞品は、好き勝手に同じ名前を名乗られてはいけないのです。

未だにロシア政府は、フランス政府の抗議を無視して黒海沿岸のワインで作っているロシア製のブランデーを「コニャック」と名付けているが。

当地フランスは、朝市ですら野菜や果物、魚介など産地の表示が為されている。

フランス産(国産)という場合も有れば、ブルターニュ産、プロヴァンス産など、土地の表示も多い。

魚は「大西洋でつり上げられた」とか「北海産」とか、カナダ産ノルウエー産、はたまた「ブルターニュのオマール(ロブスター)」や、地中海のカタクチイワシ等。

それらの表示は、当然レストランのメニューにも表される。

『リムーザン地方の子羊』と言えばブランドであるし、『シャロレー牛』と有れば、ステーキ用の高級品種である。


近年、日本も同じ様な傾向に有ると、思っていた。

多少は「怪しいもんだ」とも思っていた。

「コシヒカリ」など、収穫量の数百倍もが、流通している。

よくよく読めば、小さく「どこどこ産のコシヒカリ10%」等と表記した、わりと良心的な物も有るが、殆ど正確な中味は分らない。

『魚沼産コシヒカリ』など、確実に実際の収穫量の何千倍もが出回っていると、確信している。

そして何と、実際に殆どが信用出来ないのだと言う事が、図らずも暴露されてしまった。

ついに事は産地名に限らず、日本では固有名詞までも偽装する時代になってしまった。


この自体は、いつにかかって「経済効率優先」の思想が、大きな理由となっているに違いない。

とにかく、何でもかんでも「儲け」の一点張り。

同業他社を蹴落としても、地域の地場産業を駆逐しても、独り利益をだせば良い。

その為に、本社は支店を絞り上げ、支店は現場を絞り上げ、現場は…何をやっても許される、という空気になじんでしまう。

適正利潤など無視。

とにかく、他店より、他社より一円でも安く販売する。

仕入れ価格に、人件費や固定費等の経費をのせた上で、一定率の利潤を加えた数字で販売するのではなく、先に販売価格を決めてしまう。

それに沿って、どのようにすれば商品を作れるか、考える。

大企業なら、下請けを泣かせれば済むが、そうもいかない事もある。

そうすれば、原材料など安いにこした事は無い、と言う結論以外に出口は無い。

勿論、その原材料費には人件費も含まれる。

だから、年金や保険を負担しなくて済み、好きな時に首を切れる「非正規社員」に、ウエートが移行する。

そして「サービス残業」という、意味不明のただ働きを強要する。


更には、安ければ安い方が良い、という消費者の誤った判断も大きく作用する事は間違いない。

同じ商品なら、一円でも安い方を選ぶ。
同じ値段なら、少しでも多い方を選ぶ。
同じ値段で同じ量なら、材料の価値の高い方を選ぶ。


かくして「黒毛和牛」のハンバーグが、この値段ならお得なんじゃない、とか。
「手造りハム」がこの値段なら、とか。

という事になり、提供する方は競争の激化で、何でも有りになってしまうのだ。



昨日発覚した、福久娘酒造の「純米酒」偽装も同じ事。

戦時中のコメ不足の時代に、酒造用米の不足から「醸造アルコール」を添加して三倍の量に増やして仕込む事が奨励された。

それが、所謂「三倍醸造」と言われる酒造りで、ほんの二十年程前までは、それが殆どの日本酒の実態であった。

二級酒も一級酒も、特級酒も、実際の中味は同じだったのだ。

最近の「大吟醸」や「吟醸」さらに「純米酒」とわざわざ謳う酒を造り始めたのは、ごく最近の事である。

その「三倍醸造」に誰も異を挟まなかった所に、日本の特殊生が有る。

作る方も買う方も、おかしいと言う声を上げなかった。

そのような土壌の上に、バブル崩壊以後のデフレ・スパイラル経済下での値下げ競争、そして小泉純一郎と竹中平蔵が持ち込んだ「新自由主義競争原理」による、勝てば官軍という思考形態の、総合的結論が今日の食品偽装である。

これは、当然分っているべき事であって、明るみに出たからと言って正義者ぶって企業を攻め立てるのも、ある意味ではおめでたい話なのだ。



これでは中韓以下ではないか…ホテル百貨店「食材偽装」の惨めさ (産經新聞/11月10日(日)11時15分配信)

>■社会資本としての「信頼」

(前半略)
 社会学などで、「信頼」が社会の大きな資本をなすという考え方がある。筆者なりにおおざっぱにいえば、こういうことだ。
法も道徳もないに等しい地域があるとする。そこには店も工場もあるが、嘘つきや悪漢がごろごろいる。ふつうの住民が外に出れば襲われるかもしれないし、店にたどりついたとしてもまがい物を高額で売られるかもしれない。店にしても、工場から仕入れている商品が本物かどうかわからない。
そういう地域で経済活動が成り立つだろうか。ふつうの住民は買い物など行くまいし、外の住民からの投資も呼び込めないだろう。信頼できない社会では健全な経済が成り立たないということだ。
その具体例を、例えば私たちはいま中国に見ている。昨年のすさまじい反日デモ以降、中国以外に拠点を求める企業の動きが目立っている。実際に嫌がらせなどがあるだけでなく、中国の社会そのものに信頼が置けなくなっているところが大きいだろう。それは当の中国人にしてもしかりなのだ。報じられる共産党幹部の海外での蓄財は、自国の行く末を自ら信頼していないことの表れといってよい。
だが不信がはびこる隣国を、この体たらくの日本が笑えるかどうか。社会の信頼を崩す行いは、ひいてはその国の国益を損ねるといっても過言ではない。一つ一つを挙げないが国難というべき事態を、日本が一丸で乗り越えて行くべきときである。その国の内側で何をやっているのだ、といっておく。
(後半略)
(河村直哉)



嗤わせてくれる。

産経が『社会資本としての「信頼」』等と言う言葉を使うか!?

民主党政権発足以来、一貫して嘘八百の記事を書き散らし、小沢一郎を冤罪で縛り付け、国民の間に政治家としての人格破壊を堂々と行って来た「えせ新聞」が、一体全体「どのペン」でそんな事が書けるのか。

諸費税増税への国民洗脳記事の羅列は何だった。

福島第一原発事故の実態を隠蔽し、無かった事にしてしまう政財官一体の棄民政策の先陣を切り、国民を被爆させ続けるために「絆」だの「食べて応援」だのと言う殺人記事を書き飛ばし垂れ流しているのは、誰なのだ?

TPPの売国性を隠蔽し、国民の富みと社会制度とを米国に売り渡す民自公都霞ヶ関一帯となっての売国政策を推進させる為の、嘘八百記事を書き散らして居るのは、どの新聞だ?

そんな似非マスコミに、「社会資本としての信頼」なんぞというお為ごかしをホザく資格は無い。


産経を筆頭に、朝日読売毎日日経各全国紙、それにNHKをリーダーとする全国キー局テレビの亡国ぶりこそが、『偽装』の最先端である。


高裁、最高裁で違憲判決を受けている、現選挙制度で選ばれた自民党政府自体が、偽装政権である。

その偽装政権に立脚する安倍晋三も、偽装総理である。

なんちゃって総理は、やる事為す事嘘でぬり固められている。

増税の根拠とする「財政赤字」も、霞ヶ関の嘘である。

一般会計の三倍にも及ぶ「特別会計」という、会計監査院の監査を必要としない官僚の使い放題の資金が、山ほど隠されている。

財政赤字の大半である「国債発行残高」は、民間銀行を経由して国民が購入している以上、日本国民は債権者でこそあれ、赤字の責任を負わされる立場には無い。

大企業のみ優先し、国民の医療負担や社会保険の引き下げ等、国民個人に全てを押し付けて、増税分を米国債購入と大企業の法人税引き下げに当てる等、これ以上の偽装が有ろうか。

TPP の嘘は最早手遅れと言って良い所まで、来てしまった。

「聖域は死守する」と騙していた、その聖域とやらは奇麗さっぱり消失する事が既定路線となっている。

最初から、知る人ぞ知る事実であったとは言え、政府は未だに現を弄して騙し続けようと企んでいる。

米国側の日本車への関税は20年後までは撤廃しない、と判明。
米国側の要求の「軽自動車優遇税制」は、TPP調印前に既に撤廃を明言。

一体全体どこまで売国を続ければ気が済むのか。


これもそれも、総ては「偽装権力」による「偽装政治」の辿るべき道筋であった。



その偽装政治の集大成が、原発事故の風化を狙う一連の偽装工作である。

そして、最近の彼等の国民棄民政治の中で、最も許し難い事が起こった。


     
     


今後10年もすれば、今の子供達の周囲では癌が発病する親兄弟が多く現れるだろう。

更に、その子供達当人も、癌に犯される場合が顕著となって来ると思われる。

そして15年、20年と時を経て、白血病や遺伝子奇形を含めて、癌にかかる国民が、明らかに多く存在している事と思われる。

その時に、まだ日本の言う国の制度がが存続しているとして、政府や東電その他関連部署への批判や抗議が殺到するに違いない。

そうなった時、彼等はなんと言うつもりだろうか。

『癌は日本人の国民病です。少しも異常な事では有りません』
『それに、貴方の癌が放射線の影響であると言う、医学的証明はされていません』


一世一代の、国家を挙げての「巨大偽装」の為の布石は、着々と打たれている。

そして、そのころ安倍も石破も、田中俊一も山下俊一も、国民の目に触れる所には既に居ない。


そして、50年後にその時の厚労相が、禿頭を下げるのだろう。

謝罪と国家賠償とは関係有りません、等とうそぶきながら。。。。


儲駆れば、それで良いのだ。

騙してでも、儲ける物が勝者なのだ。

羊の頭の看板に騙されて、狐の肉を喜んで喰っている馬鹿者どもは、負け組なのだ。

世の中は、競争であり、自己責任である。





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偽装国家にほん (hanazono)
2013-11-12 14:25:03
日本の人たちをカナダから見てますと、素朴な生活から少々離れ気味じゃないかと思はせられます。それで偽ものに引掛かるといいますか、見た目にだまされる。「食べ物は餓えないくらいあれば良い。家は漏れなければ充分」と、お坊さんの言葉です。私自身飽食気味なのを恥つつ。

一億総評論家の日本、むしろ本物が見えにくくなつてはおられませんでしょうか。
獅子吼 (熱心な読者)
2013-11-13 22:40:55
これは評論とかいうレベルではなく、憂国の獅子吼ですね。

私たち一般日本人に叱咤激励を有難うございます。とてもよかったですよ。パリさんらしくて。

久々に奮えました。
Unknown (kappa)
2013-11-13 23:58:00
パリさん今晩は
写真お借りしました。

しかし唖然としましたね、郡山の保健所チラシ。
つい最近も福島に行ってきたんですが知らなかったなぁこんなバカなチラシを子供らに配っていたなんて。

海外からは日本が見えますね。

私らは国内で、もがきながら抵抗はしているんですよ。福島にも足を運び、裁判に訴え、デモし、テントでオキュパイしながらね。
でもね、ほとんどの国民は
「我関せず」
ともかくこの国は完全に壊れてしまいました。
目先だけでね、十分満足している。愚かで思考停止なんです。

裁判官から検察、官僚、政治家、メディア、財界人なんていうのにまともなやつがいない。小沢一郎を総力挙げて潰した、こういった連中の毒の海に首までどっぷりつかって満足しているんです。

‘too fat and too happy’
茹でガエルは気楽に湯船で転寝です。
あ~いい湯だなと眠り込んで、仕舞には死んじゃうことすら気がつかないんです。
茹でガエルが中国や半島をバカにしているから笑えますね。同じ馬鹿だと気がつかない。
もっとも、アメリカだってヨーロッパだってどこの国でも似たり寄ったりかもしれません。それでもまぁ、日本ほど酷くはないか。
些細なことの確認です:『大島』について (くまゆき)
2013-11-14 21:41:57
パリ さま、

毎回の貴ブログ更新を楽しみに、また自己の覚醒や今後の方向性を模索するためにも頻繁に訪問させて頂いております有り難うございます。

さて、題記如くの些細なことで恐縮乍ら、『大島紡』の『大島』は伊豆ではなく、『奄美大島』と認識しておりましたのでご連絡させて頂きました。
明治維新とは (ワタン)
2013-11-15 16:13:44
パリさま
「まず「明治維新」からして、偽物である。」
で始まる十行に、うなりました!

小沢一郎氏の年代に属するわたしらは、「明治維新」神話にながらく毒されてきてをり、この暴力クーデタによつて、日本がオカシクなつたといふ認識がほとんど<無い>のです。このことに、わたしが気づいたのは十数年くらゐ前のことでせうか。げんに、二十年まへ(1993年)に上梓された小沢氏の『日本改造計画』でさへも、大久保利通、伊藤博文を称賛する根ぶかい<信仰>があるからです。
「維新」だ「一新」だ(レストレーションだ)と、イナカ出の野蛮人と腐れ公家による、剥きだしの、正統性なき政権奪取・権力支配のはじまりでした。暴力クーデタ政権は、ミカドの帝国主義皇帝化・官僚専制化へとガン増殖をかさねる。民の安寧など頭になく、「政府と軍のための政治」に驀進、その後の大破滅は必定だつた。

いまの政治につながるこのテーマはいくらでも議論でき、またすべきです。幕末から明治二十年ころまでの、さらなる歴史研究がもとめられるゆゑんです。
パリさまのますますの御活躍をいのります。

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