昨日は、大学で社会学を教えているSさんと久しぶりにご飯を食べました。
そのときSさんに教えてもらって初めて知ったのが、携帯で写真をとると大きな音が鳴る理由。あれって盗撮防止のためだったのね。
そのときSさんに教えてもらって初めて知ったのが、携帯で写真をとると大きな音が鳴る理由。あれって盗撮防止のためだったのね。
今日、久しぶりに大学に行きました。図書館で見たかった文献があったので。地元の国立大学は、一般の人にも閲覧が許可されるのです。
少し不思議な雰囲気がしました。
大学の構内は、独特の退屈さが漂っていました。
少し不思議な雰囲気がしました。
大学の構内は、独特の退屈さが漂っていました。
昨日紹介した『超「学校」』の中で印象的なのは、昨日も書いたけれど、勉強はあくまで子供から「学びたい」という申し出があって始まるもの、ということでした。実際、サドベリー・バレー・スクールでは、子供が自分から言うまで、「授業」は開かれません。
なぜ私たちはそのような教育の形をきづいていないのでしょうか。
放っておいたら、子供は馬鹿になっちゃうと思っているのでしょうね。
じゃあ、周りから勉強を強制されて、私たちは賢くなったのでしょうか。
貧しい国の子供たちが「学校に行きたい」とよく言いますね。学ぶ場がなければ、子供は自然に自分から学ぶ気になります。
でも、強制的に学校に行かせると、きっと「学校に行きたい」と言う子供も学校嫌いになるでしょう。
子供が自分から学びたいと言い出すとき、教師は子供に、遅刻や宿題忘れは教師と他の生徒に迷惑をかける悪い行為だということを言って聞かせることができます。そこでは授業はお互いの同意・契約によって成り立っているからです。子供には学ぶ権利もありますが、周りの人間に迷惑をかけない義務も発生します。
強制的に授業を受けさせると、子供に権利も義務も教えることはできません。子供にとっては、嫌なことをさせられているのだから、授業放棄する言い訳を与えてしまいます。
ダニエル・グリーンバーグが本で述べるサドベリー・バレー・スクールの実態が本当であるなら、どうして同じような学校がもっと多くできないのでしょう?どうしてもっと大きく取り上げられないのでしょう?
なぜ私たちはそのような教育の形をきづいていないのでしょうか。
放っておいたら、子供は馬鹿になっちゃうと思っているのでしょうね。
じゃあ、周りから勉強を強制されて、私たちは賢くなったのでしょうか。
貧しい国の子供たちが「学校に行きたい」とよく言いますね。学ぶ場がなければ、子供は自然に自分から学ぶ気になります。
でも、強制的に学校に行かせると、きっと「学校に行きたい」と言う子供も学校嫌いになるでしょう。
子供が自分から学びたいと言い出すとき、教師は子供に、遅刻や宿題忘れは教師と他の生徒に迷惑をかける悪い行為だということを言って聞かせることができます。そこでは授業はお互いの同意・契約によって成り立っているからです。子供には学ぶ権利もありますが、周りの人間に迷惑をかけない義務も発生します。
強制的に授業を受けさせると、子供に権利も義務も教えることはできません。子供にとっては、嫌なことをさせられているのだから、授業放棄する言い訳を与えてしまいます。
ダニエル・グリーンバーグが本で述べるサドベリー・バレー・スクールの実態が本当であるなら、どうして同じような学校がもっと多くできないのでしょう?どうしてもっと大きく取り上げられないのでしょう?
先日、天外伺朗さんの『教育の完全自由化宣言』を紹介しましたが、そこで扱われていた「サドベリーバレー・スクール」に興味がわいたので、創設者のダニエル・グリーンバーグの著書『「超」学校』を読んでみました。
とっても面白い本でした。
天外さんの本でその内容は予想していましたが、その予想を裏切らず、その予想をより豊かに膨らましてサドベリーバレー・スクールの様子を伝えてくれている本です。
本を読んだだけでは、実際にこの学校がどう運営されているのかはわかりません。
ただ、年齢によって分けられたクラスはありません。そして担任の教師も、決められたカリキュラムもないそうです。
そこは自由の国。
そう、ホントに自由の国のようです。
子供たちは、遊びたいだけ遊んでいいそうです。
そういえば、子供のころ、野球部や学校の行事でキャンプに行っても、テレビを夜に見たいと思わなかったし、そういうことを言い出す子もいませんでしたね。
遊びたいだけ遊びながら、自分の中に「これを学びたい」というものが出てきたら、学校の中にいる「スタッフ」をつかまえて、勉強を教わるそうです。あるいは、学校の外にいるその分野の「先生」に弟子入りしたり。
そうやってホントにすべてを自主的にやらせてしまうそうです。
既存の学校教育はもちろんありませんが、それに代わる「ユニーク」な教育方法もないみたいです。とにかく、放っておくのです。
ただし、勉強に関しては放っておかれますが、サドベリースクールという共同体の秩序は守る義務があるそうです。その秩序がどのようにして守られているかは、ぜひ本書を読んでみてください。
興味深いエピソードに満ちた本ですが、ひとつ二つ、著書の言葉の引用を。
著者は、何も教えない学校に、他の学校の「問題児」が送られてくることに触れて、そこに「問題児」と社会との格闘を見ます。
「実際問題として、サドベリー・バレー校では「問題児」の方が素晴らしい行いをしているのです。…理由は簡単です。「問題児」であることは、戦いを放棄していないサインだからです。こうした子供たちの尊厳を破壊し、矯正し、普通の鋳型に押し込もうとしても、彼(女)らは戦いをやめないのです。屈服を拒否するのです。反抗するだけ元気があるのです。
確かに、彼(女)らのエネルギーが自己破壊的な行為に向かうこともあります。しかし、その同じエネルギーが、抑圧的な世界との闘いからひとたび解放されれば、自分自身の内面世界の構築へと速やかに流れを変え、よりよき社会の建設へと向かいさえするのです」
それに対して、より厄介なのは、社会や親の要請に順応してしまった「優等生」たちです。これはサドベリースクールの中でも外でも存在する問題です。
「社会の犠牲者とは「問題児」ではなく、実はこうした「優等生」なのです。何年もの間、外部の権威に寄りかかってばかりいたので、自分自身がなくなってしまったのです。目から光が、心の奥からは笑いが消えてしまっている。破壊的な行動は起こさなくとも、自分で建設するということを知らないのです。
こんな子供たちにとって、自由とは恐ろしいことなのです。こうしなさい、ああしなさと、誰も命令してくれないのですから」
著者は、そんな「優等生」たちに必要なのは、指示のない状態に置き、何をすればいいかわからない状態に彼らを置くことだといいます。そこではじめて、「優等生たち」の中にも「自分」が芽生えてきます。
「(「優等生」への)もっとも有効な薬は、「退屈」の大量投与です。これが効くことがときどきあるのです。この学校には学習を組織してくれるプログラム・ディレクターがいませんから、「優等生」たちは時にそのまま「無為」の世界へさ迷い込んでしまいます。彼(女)らの「退屈」が耐え難いまでになったとき、本当の絶望の中から立ち上がり、自分なりの生の枠組みを作り出そうとする気力が生まれるのです。
わたしたちは、その「反転」の瞬間がその子に到来する瞬間に、前もって気づきます。そして、その「反転」のプロセスを見守ります。その瞬間は遅かれ早かれ、いつかはやってくるものなのです。しかし、可哀相なのは、苦痛に耐えなければならない「良い子」たちです。したくもないのにさせられ、そのうちに習い性になった服従のつけが、こんな形で回ってきたわけですから」
「この学校に幼いころ来て成長した子供たちは、「問題児」になることも「優等生」になることもありません。幸運な子どもたちなのです。それは、表情を見るだけでわかります。
自分自身に安らぎ、環境の中でリラックスしているので、自分の目標を見失うことなく、浮き沈みに対処できるのです」(231-234頁)。
日本では、こういう自由の退屈さを与える機会があるでしょうか?大学がその機能を果たしているでしょうか?大学に入ったころには、すでに子どもは教えられたことをこなすことしか考えない人間になってしまっています。多くの子は、退屈さの辛さから逃げてしまい、楽しくもないことに遊んだり、資格の勉強をしたり、大学院への進学の準備を始めたりします。
サドベリーバレーでは、誰もが自分の内なるものに気づくことができるのでしょうか。一度、この目で見てみたいです。
*こういう興味深いところもあります。
*こちらはアメリカ本家のhp
とっても面白い本でした。
天外さんの本でその内容は予想していましたが、その予想を裏切らず、その予想をより豊かに膨らましてサドベリーバレー・スクールの様子を伝えてくれている本です。
本を読んだだけでは、実際にこの学校がどう運営されているのかはわかりません。
ただ、年齢によって分けられたクラスはありません。そして担任の教師も、決められたカリキュラムもないそうです。
そこは自由の国。
そう、ホントに自由の国のようです。
子供たちは、遊びたいだけ遊んでいいそうです。
そういえば、子供のころ、野球部や学校の行事でキャンプに行っても、テレビを夜に見たいと思わなかったし、そういうことを言い出す子もいませんでしたね。
遊びたいだけ遊びながら、自分の中に「これを学びたい」というものが出てきたら、学校の中にいる「スタッフ」をつかまえて、勉強を教わるそうです。あるいは、学校の外にいるその分野の「先生」に弟子入りしたり。
そうやってホントにすべてを自主的にやらせてしまうそうです。
既存の学校教育はもちろんありませんが、それに代わる「ユニーク」な教育方法もないみたいです。とにかく、放っておくのです。
ただし、勉強に関しては放っておかれますが、サドベリースクールという共同体の秩序は守る義務があるそうです。その秩序がどのようにして守られているかは、ぜひ本書を読んでみてください。
興味深いエピソードに満ちた本ですが、ひとつ二つ、著書の言葉の引用を。
著者は、何も教えない学校に、他の学校の「問題児」が送られてくることに触れて、そこに「問題児」と社会との格闘を見ます。
「実際問題として、サドベリー・バレー校では「問題児」の方が素晴らしい行いをしているのです。…理由は簡単です。「問題児」であることは、戦いを放棄していないサインだからです。こうした子供たちの尊厳を破壊し、矯正し、普通の鋳型に押し込もうとしても、彼(女)らは戦いをやめないのです。屈服を拒否するのです。反抗するだけ元気があるのです。
確かに、彼(女)らのエネルギーが自己破壊的な行為に向かうこともあります。しかし、その同じエネルギーが、抑圧的な世界との闘いからひとたび解放されれば、自分自身の内面世界の構築へと速やかに流れを変え、よりよき社会の建設へと向かいさえするのです」
それに対して、より厄介なのは、社会や親の要請に順応してしまった「優等生」たちです。これはサドベリースクールの中でも外でも存在する問題です。
「社会の犠牲者とは「問題児」ではなく、実はこうした「優等生」なのです。何年もの間、外部の権威に寄りかかってばかりいたので、自分自身がなくなってしまったのです。目から光が、心の奥からは笑いが消えてしまっている。破壊的な行動は起こさなくとも、自分で建設するということを知らないのです。
こんな子供たちにとって、自由とは恐ろしいことなのです。こうしなさい、ああしなさと、誰も命令してくれないのですから」
著者は、そんな「優等生」たちに必要なのは、指示のない状態に置き、何をすればいいかわからない状態に彼らを置くことだといいます。そこではじめて、「優等生たち」の中にも「自分」が芽生えてきます。
「(「優等生」への)もっとも有効な薬は、「退屈」の大量投与です。これが効くことがときどきあるのです。この学校には学習を組織してくれるプログラム・ディレクターがいませんから、「優等生」たちは時にそのまま「無為」の世界へさ迷い込んでしまいます。彼(女)らの「退屈」が耐え難いまでになったとき、本当の絶望の中から立ち上がり、自分なりの生の枠組みを作り出そうとする気力が生まれるのです。
わたしたちは、その「反転」の瞬間がその子に到来する瞬間に、前もって気づきます。そして、その「反転」のプロセスを見守ります。その瞬間は遅かれ早かれ、いつかはやってくるものなのです。しかし、可哀相なのは、苦痛に耐えなければならない「良い子」たちです。したくもないのにさせられ、そのうちに習い性になった服従のつけが、こんな形で回ってきたわけですから」
「この学校に幼いころ来て成長した子供たちは、「問題児」になることも「優等生」になることもありません。幸運な子どもたちなのです。それは、表情を見るだけでわかります。
自分自身に安らぎ、環境の中でリラックスしているので、自分の目標を見失うことなく、浮き沈みに対処できるのです」(231-234頁)。
日本では、こういう自由の退屈さを与える機会があるでしょうか?大学がその機能を果たしているでしょうか?大学に入ったころには、すでに子どもは教えられたことをこなすことしか考えない人間になってしまっています。多くの子は、退屈さの辛さから逃げてしまい、楽しくもないことに遊んだり、資格の勉強をしたり、大学院への進学の準備を始めたりします。
サドベリーバレーでは、誰もが自分の内なるものに気づくことができるのでしょうか。一度、この目で見てみたいです。
*こういう興味深いところもあります。
*こちらはアメリカ本家のhp
春が近づき外の世界が明るくなってきた。
電車から見える住宅街の風景もとてもきれいだ。
陽が当たるとこの世の楽園のようにも思います。
カメラを持っていないのが残念。
最近は写真を撮る心の余裕がない。
携帯のカメラの使い方がよくわからない。
悔しい。
電車から見える住宅街の風景もとてもきれいだ。
陽が当たるとこの世の楽園のようにも思います。
カメラを持っていないのが残念。
最近は写真を撮る心の余裕がない。
携帯のカメラの使い方がよくわからない。
悔しい。
「現在の若者は、一方では右に倣えでフラット化し、他方ではひきこもっている。多様でなく画一化している」
今朝の新聞にかかれてあった言葉。
その通りだと思った。
ただ内容はともかく、画一的ということが否定的なニュアンスを帯びるのはなぜだ?
画一的だろうが多様だろうが、一人ひとりにとってはその人自身のひとつの人生であり生活でしかない。
画一的というのは、自分の意思で生きていないということか?
それは年齢に限らないだろう。
ある年齢層に賢い人間が多く、またはおろかな人間が多いということはないでしょう。
今朝の新聞にかかれてあった言葉。
その通りだと思った。
ただ内容はともかく、画一的ということが否定的なニュアンスを帯びるのはなぜだ?
画一的だろうが多様だろうが、一人ひとりにとってはその人自身のひとつの人生であり生活でしかない。
画一的というのは、自分の意思で生きていないということか?
それは年齢に限らないだろう。
ある年齢層に賢い人間が多く、またはおろかな人間が多いということはないでしょう。
『善き人のためソナタ』で、ベルリンの壁崩壊後にかつて支配政党の幹部が、自分の監視した芸術家に次のようにつぶやきます。
「今ではお前は何も生み出せない。何にも反抗することができず。市民は昔の東ドイツを懐かしんでいる」
東ドイツという監視国家は、多くの芸術家や活動家に、「自由」を求めるという生きがいを与えることができた。
だが統一で自由が与えられてしまうと、多くの市民は、まじめに勤勉に働かなければならない西側の論理に嫌気が差し、かつての共産主義体制に郷愁を感じるようになります。
東西ドイツが分離していたとき、お互いは「いつかわれわれはひとつになれるはず」という夢を持つことができました。
しかしいったん統一してしまうと、西側の人は真面目に働くことに慣れていない東側の人を怠惰だと批判するようになります。
政治と行政はわたしたちに自由への渇望を思い出させてくれます。その腐敗は私たちに怒りを教えてくれます。
しかし政治と行政がなくなるとき、私たちには経済活動しか残されなくなります。
「今ではお前は何も生み出せない。何にも反抗することができず。市民は昔の東ドイツを懐かしんでいる」
東ドイツという監視国家は、多くの芸術家や活動家に、「自由」を求めるという生きがいを与えることができた。
だが統一で自由が与えられてしまうと、多くの市民は、まじめに勤勉に働かなければならない西側の論理に嫌気が差し、かつての共産主義体制に郷愁を感じるようになります。
東西ドイツが分離していたとき、お互いは「いつかわれわれはひとつになれるはず」という夢を持つことができました。
しかしいったん統一してしまうと、西側の人は真面目に働くことに慣れていない東側の人を怠惰だと批判するようになります。
政治と行政はわたしたちに自由への渇望を思い出させてくれます。その腐敗は私たちに怒りを教えてくれます。
しかし政治と行政がなくなるとき、私たちには経済活動しか残されなくなります。
今日は母の退院祝いで懐石料理を食べに行きました。
ホントは楽しいではずですが、他の諸々のことが気にかかって気分は少しブルー。
さらに一昨日から風邪を引いていたのがまだ残っていて、眠くてだるい状態。
でも、親戚みんなでおいしいご飯を食べたのは楽しかったです。
ホントは楽しいではずですが、他の諸々のことが気にかかって気分は少しブルー。
さらに一昨日から風邪を引いていたのがまだ残っていて、眠くてだるい状態。
でも、親戚みんなでおいしいご飯を食べたのは楽しかったです。
映画『善き人のためのソナタ』を観ました。
市民生活が国家の監視下におかれ、社会主義思想に反対する者に弾圧を加えた旧東ドイツ時代のお話です。
東ドイツで国家が市民生活の会話までも監視下に置き、多くの密告者によって多くの人が投獄されていたことは知っていました。だから、この映画で扱われている監視の実態については、それほど驚きではありませんでした。
むしろ私たちにとって本当に驚愕なのは、家族や友人までもが「密告者」であることを、ベルリンの壁崩壊後の情報公開によって知った東ドイツ市民が多かったという事実でしょう。
そのような心の傷を抱えた人が現在の東ドイツの半分を占めているのです。国家としてどれほど大きな問題を抱えているかがわかります。
この映画が伝えることの怖さの一つは、社会主義思想など信じておらず、自分の出世欲によって国家に仕えていた者が東ドイツという監視国家を運営していたという事実です。
自由のない社会であればあるほど、他人の顔色を窺って権力に媚びへつらう者が生きやすい社会になります。
その点では、この話は今の西側社会にも、日本にも当てはまる話のはずです。
市民生活が国家の監視下におかれ、社会主義思想に反対する者に弾圧を加えた旧東ドイツ時代のお話です。
東ドイツで国家が市民生活の会話までも監視下に置き、多くの密告者によって多くの人が投獄されていたことは知っていました。だから、この映画で扱われている監視の実態については、それほど驚きではありませんでした。
むしろ私たちにとって本当に驚愕なのは、家族や友人までもが「密告者」であることを、ベルリンの壁崩壊後の情報公開によって知った東ドイツ市民が多かったという事実でしょう。
そのような心の傷を抱えた人が現在の東ドイツの半分を占めているのです。国家としてどれほど大きな問題を抱えているかがわかります。
この映画が伝えることの怖さの一つは、社会主義思想など信じておらず、自分の出世欲によって国家に仕えていた者が東ドイツという監視国家を運営していたという事実です。
自由のない社会であればあるほど、他人の顔色を窺って権力に媚びへつらう者が生きやすい社会になります。
その点では、この話は今の西側社会にも、日本にも当てはまる話のはずです。