joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

見えないもの 感じるもの

2004年12月21日 | reflexion
朝起きたらのどが痛かったり、風邪気味で頭を中心にからだ全体が疲れていたり、心理的にショックに近いことがあったり、いろんなことがきょうはありました。

この現実はすべて自分の観念が作り出しているのであり、傷心や失望はじぶんの思い込みが期待通りに行かなかっただけであるということを理解しているつもりでも、そのショックの最中自体は、自分の感情が現実だと思い込んでしまいます。

大切なのは、そこで踏ん張ることですね。傷ついた感情が現実としか思えなくても、その感情に向き合い、その感情が消えてなくなるまで感じつくすことを選択すること。そこでは、わたしの意志の力が大きな役割を果たします。


おそらく、傷つくことは、わたし(たち)が成長するために欠かせない体験なのです。

人生で傷つく量は、人によってちがいます。あまり傷つかずにスイスイ人生を楽しくしあわせに泳ぐ人もいれば、大きな心痛を抱えながら生きる人もいます。これは、どちらがどちらよりえらいという問題ではないのでしょう。

ひょっとしたら、どちらかが人間的により高い段階にあるのかもしれません。でも、それはわたしたち人間にはわからないことだと思います。

今の私に言えるのは、ひと(わたし)は、自分が直面する傷に向き合うことが大切だということ。それが他人より多いか少ないかは、とりあえず考えなくてもよいこと、だと思います。その上で、ちゃんと傷を感じることは大切だし、貴重な経験だろうということです。


こころの傷は、なにか見えるもの、確かなものにしがみついていたことに由来します。しがみついていたけど、その期待通りに行かなかったとき、わたしたちは傷つきます。

そのときの感情を感じつくすということは、つまり、「見えないもの」にひとつひとつ近づいていく過程のようにも思えます。

きょう、ひさしぶりに、浅見帆帆子さんの『あなたは絶対!守られている』(グラフ社)を読んでみました。見えないけれど、ひとはなにかに守られていることを、とてもわかりやすく浅見さんは教えてくれます。

しがみついているものをひとつ手放すことで、わたしたちは、わたしたちを守ってくれるものをより感じるようになっていくのでしょう。ただ、そこに至る過程が人それぞれだということなのかもしれません。

そして、その守ってくれるものに近づくほど、人は、その人本来の道をすすむようになるのでしょう。


涼風



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