平和とは、支配を手放すことであるようにおもいます。他人を、物事を支配し、コントロールすることを手放すこと。
これはむずかしい。支配を手放すと、わたしは、盾をうしなうことになる。他人を支配していれば、つよい人間でいられるのに、支配を手放すと、また幼子のような存在にもどらなければならない。
この幼子のような存在は、ただの幼児とはちがいます。幼児は、親に支配されることをのぞみます。親に支配されながら、同時に親を利用することで依存していられるように状況を整えようとします。
それに対して、支配を手放すと、わたしたちは本当に本当にひとりの存在になります。誰にもよりかからない、小さい子供になります。
この小さい子供になる勇気をもてるかどうかが、平和になれるかどうかを決めます。
わたしも、わたしのきらいないあの人も、小さな子供になる手前で怖じ気づきます。だったら、平和という海を前にした飛び込み台の手前でこわがっている人たちをゆるせるチャンスもあるのではないでしょうか。
これはむずかしい。支配を手放すと、わたしは、盾をうしなうことになる。他人を支配していれば、つよい人間でいられるのに、支配を手放すと、また幼子のような存在にもどらなければならない。
この幼子のような存在は、ただの幼児とはちがいます。幼児は、親に支配されることをのぞみます。親に支配されながら、同時に親を利用することで依存していられるように状況を整えようとします。
それに対して、支配を手放すと、わたしたちは本当に本当にひとりの存在になります。誰にもよりかからない、小さい子供になります。
この小さい子供になる勇気をもてるかどうかが、平和になれるかどうかを決めます。
わたしも、わたしのきらいないあの人も、小さな子供になる手前で怖じ気づきます。だったら、平和という海を前にした飛び込み台の手前でこわがっている人たちをゆるせるチャンスもあるのではないでしょうか。
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