「低額商品を売っていた人は、高額商品を売ることができない。
逆に高額商品を売っていた人は低額商品を売ることができない。
販売する商品の価格帯が変えられないのは、セルフイメージの問題。
価格帯を変えたければ、セルフイメージを変えなければならない」
--神田昌典365日語録-- No.284 より
こんにちは、涼風です。
今日、アマゾンと楽天に出品していた中古CDを発送するため、セブン・イレブンに行ってきました。
メール便を扱うのはセブン・イレブンだけというのは本当に不便。僕の住んでいる神戸はローソンが圧倒的に多いけど、ご存知のようにゆうパックを扱うことになったため、ヤマトが取引をやめてしまいました。しかしそれってヤマトにとってトクなことなんだろうか?ぜひメール便をローソンでも復活させて欲しいのだけど。
今日発送したCDのうち一枚は、価格を2,800円にしていました。そう、定価とほぼ同じ値段です。そこからアマゾンに手数料や成約料を引かれるので、純益は2,200円ほどになります。
いずれにしても高い値段ですよね、中古CDなのだから。ただ、このCDはすでに品切れでアマゾンでも扱っていないので、思い切ってほぼ定価の値段をつけてみました。また、僕にとって思い出深いCDだし、その音楽のよさを僕は十分知っていたので、そうしてもいいと思ったのです。
でも、ケースとかにはかなり汚れもあります。だって購入したのは10年以上前なのだから。
そのCDを出品したら次の日には買い手が現れました。一応その人に「だいぶ前に購入したのでケースは汚れてますよ」とメールしたのですが、返事もなかったので送りました。
2,800円という値段は妥当だったのでしょうか?汚れたケースに何度も聴いたCDを入れて定価で売るのはいいことだったのでしょうか?
よくわかりませんが、そのCDに2,800円を払う人が現れたのは、その人がそれだけの価値を中古商品につけてくれたからです。また、今回のCDの音楽は、僕にとってとても思い入れがあり、その素晴らしさを十分に知っています。だから僕自身は2,800円をつける気になったのだと思います。
音楽というのは一つの情報です。情報の価値は、悪く言えば恣意的に、よく言えばコモン・センスにそって決まります。同じ品切れのCDでも、1万円以上するものもあれば、1000円以下のものもあるでしょう。
情報資本主義というのは、産業資本主義時代の価格設定が通用しなくなる時代です。原価がどれだけで労働時間がこれだけでという計算に価格設定が左右されないのです。
僕の好きなあるベストセラー作家の講演会は、2時間で一万円以上もします。セミナーだと一日で8万円!もします。なんだかぼったくりのようにも思えて、その人のセミナーに出ようと僕は思ったことがありません。
でも、そういう僕も2日間で5万円のセミナーに出たことはあります。それだって、一部の人から見れば法外な値段のサーヴィスだと思います。しかし、そのときのぼくはそのサーヴィスに5万円という価値を与えたのです。
セミナーを一人8万円の値段にしたその作家は、自分を8万円に値するとみなしました。どちらも僕から見ればすごい金額です。
もし今の僕が人前で話をするのに2時間で一人10万円の値段にしたら、それは「ぼったくり」「騙し」になると思います。なぜなら、僕の意識が、「涼風の講演会は10万円」というイメージについて行けないので、僕の意識は混乱をきたすからです。
しかしそのベストセラー作家が、「自分のセミナーは8万円以上のものを受講者に与えることができる」と納得し、また動揺も何もないのなら、その作家のセルフイメージはその金額に耐えるだけの高さ・強さをもっているのだろうと思います。
情報産業の普及が本格化するのはおそらくこれからで、まだ前段階です。しかし、これからはサーヴィスする側もされる側も積極的に情報の価値を決めていきます。見えるモノ、見えるサーヴィスではなく、見えないもの、感性に訴えかけるものの価値を決めていきます。
単なるモノにみえても、そこに消費者の見えない感覚に訴えるものがなければ売れません。ipodのヒットはいい例です。
見えないものは、見えないだけに価値設定は個人の感覚にゆだねられます。そこでは、「えっ」というものが何万もして、しかも売れるという現象が出てくるでしょう。
これまでは、この「見えないもの」のもつ価値は霊感商法などによって悪用されてきました。良くも悪くも、その商品に消費者が大きな価値を与えたためです。視点を変えれば、消費者がいいと認めるその感覚が発達するほど、その商品は原価や労働時間にかかわらず高い価値をもつ時代に突入しています。
不況を克服する鍵があるとしたら、売る人がどれだけ自分の提供するサーヴィスに見えない価値を付与し、それによって消費者を楽しませるかにかかっています。「楽しむ」というのは主観的なものだから、どれだけアイデアを出せるか、相手のハートに響くものを出せるかが大切になります。
「君が提供したサービスの量と質=君が受け取る報酬額」
「現在の世の中は、経済価値や喜びを与えた人間が豊かになるようになっているんだよ」
「金持ちが人から奪っているというのは、工場経営の時代の幻想だよ。金持ちは多くの人に喜びを与えるから、金持ちになったのだ。いまからの情報化時代を考えると、ますますその傾向は増すだろう」
(本田健著『ユダヤ人大富豪の教え』 p.32,50-52)
涼風
逆に高額商品を売っていた人は低額商品を売ることができない。
販売する商品の価格帯が変えられないのは、セルフイメージの問題。
価格帯を変えたければ、セルフイメージを変えなければならない」
--神田昌典365日語録-- No.284 より
こんにちは、涼風です。
今日、アマゾンと楽天に出品していた中古CDを発送するため、セブン・イレブンに行ってきました。
メール便を扱うのはセブン・イレブンだけというのは本当に不便。僕の住んでいる神戸はローソンが圧倒的に多いけど、ご存知のようにゆうパックを扱うことになったため、ヤマトが取引をやめてしまいました。しかしそれってヤマトにとってトクなことなんだろうか?ぜひメール便をローソンでも復活させて欲しいのだけど。
今日発送したCDのうち一枚は、価格を2,800円にしていました。そう、定価とほぼ同じ値段です。そこからアマゾンに手数料や成約料を引かれるので、純益は2,200円ほどになります。
いずれにしても高い値段ですよね、中古CDなのだから。ただ、このCDはすでに品切れでアマゾンでも扱っていないので、思い切ってほぼ定価の値段をつけてみました。また、僕にとって思い出深いCDだし、その音楽のよさを僕は十分知っていたので、そうしてもいいと思ったのです。
でも、ケースとかにはかなり汚れもあります。だって購入したのは10年以上前なのだから。
そのCDを出品したら次の日には買い手が現れました。一応その人に「だいぶ前に購入したのでケースは汚れてますよ」とメールしたのですが、返事もなかったので送りました。
2,800円という値段は妥当だったのでしょうか?汚れたケースに何度も聴いたCDを入れて定価で売るのはいいことだったのでしょうか?
よくわかりませんが、そのCDに2,800円を払う人が現れたのは、その人がそれだけの価値を中古商品につけてくれたからです。また、今回のCDの音楽は、僕にとってとても思い入れがあり、その素晴らしさを十分に知っています。だから僕自身は2,800円をつける気になったのだと思います。
音楽というのは一つの情報です。情報の価値は、悪く言えば恣意的に、よく言えばコモン・センスにそって決まります。同じ品切れのCDでも、1万円以上するものもあれば、1000円以下のものもあるでしょう。
情報資本主義というのは、産業資本主義時代の価格設定が通用しなくなる時代です。原価がどれだけで労働時間がこれだけでという計算に価格設定が左右されないのです。
僕の好きなあるベストセラー作家の講演会は、2時間で一万円以上もします。セミナーだと一日で8万円!もします。なんだかぼったくりのようにも思えて、その人のセミナーに出ようと僕は思ったことがありません。
でも、そういう僕も2日間で5万円のセミナーに出たことはあります。それだって、一部の人から見れば法外な値段のサーヴィスだと思います。しかし、そのときのぼくはそのサーヴィスに5万円という価値を与えたのです。
セミナーを一人8万円の値段にしたその作家は、自分を8万円に値するとみなしました。どちらも僕から見ればすごい金額です。
もし今の僕が人前で話をするのに2時間で一人10万円の値段にしたら、それは「ぼったくり」「騙し」になると思います。なぜなら、僕の意識が、「涼風の講演会は10万円」というイメージについて行けないので、僕の意識は混乱をきたすからです。
しかしそのベストセラー作家が、「自分のセミナーは8万円以上のものを受講者に与えることができる」と納得し、また動揺も何もないのなら、その作家のセルフイメージはその金額に耐えるだけの高さ・強さをもっているのだろうと思います。
情報産業の普及が本格化するのはおそらくこれからで、まだ前段階です。しかし、これからはサーヴィスする側もされる側も積極的に情報の価値を決めていきます。見えるモノ、見えるサーヴィスではなく、見えないもの、感性に訴えかけるものの価値を決めていきます。
単なるモノにみえても、そこに消費者の見えない感覚に訴えるものがなければ売れません。ipodのヒットはいい例です。
見えないものは、見えないだけに価値設定は個人の感覚にゆだねられます。そこでは、「えっ」というものが何万もして、しかも売れるという現象が出てくるでしょう。
これまでは、この「見えないもの」のもつ価値は霊感商法などによって悪用されてきました。良くも悪くも、その商品に消費者が大きな価値を与えたためです。視点を変えれば、消費者がいいと認めるその感覚が発達するほど、その商品は原価や労働時間にかかわらず高い価値をもつ時代に突入しています。
不況を克服する鍵があるとしたら、売る人がどれだけ自分の提供するサーヴィスに見えない価値を付与し、それによって消費者を楽しませるかにかかっています。「楽しむ」というのは主観的なものだから、どれだけアイデアを出せるか、相手のハートに響くものを出せるかが大切になります。
「君が提供したサービスの量と質=君が受け取る報酬額」
「現在の世の中は、経済価値や喜びを与えた人間が豊かになるようになっているんだよ」
「金持ちが人から奪っているというのは、工場経営の時代の幻想だよ。金持ちは多くの人に喜びを与えるから、金持ちになったのだ。いまからの情報化時代を考えると、ますますその傾向は増すだろう」
(本田健著『ユダヤ人大富豪の教え』 p.32,50-52)
涼風
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