joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

疑いえない

2004年08月15日 | reflexion
こころについてこんなことを考えています。

多くの人は、自分がこれまでしてきたこと、してこなかったことを後悔します。それは自分の人生上の決断にかかわることであったり、他人に対してしてしまったイヤなことだったりします。

他人を傷めつけてしまったり、あるいはまわりの期待に応えられずにしっぱいしてしまったり、そんなことで悩みます。

そんな悩みの底には罪悪感があります。自分は悪い存在だ、親の期待にも応えられず、他人に迷惑ばかりかけている、と。

しかし、そんな自分の「罪」が全部許されているとしたらどうなるでしょうか?あるいは、最初から「悪いこと」などこの世には存在せず、自分は無実であり、自由でもあるとしたらどうなるでしょうか?

わたしは特定の宗教を信仰していませんが、もし自分が最初から全面的に許されている存在だと考えるとき、なにか自分を越えた大きな存在を感じます。自分には罪がなく、許されているというのは、なにか大きなものが自分を包んでいると、そういう感覚をもたざるをえないのです。

神がいるのかいないのか、そういうことを議論したいのではありません。考えることはいかようにもできます。

ただ、許されているのだとおもうとき、私自身を許す何か大きなものがいるように感じるのです。

こころは不思議です。こころは中立であることはできないようです。自分を攻撃するか、あるいは何か大きなものに抱かれていると感じるか、どちらかしかないように感じるのです。

心理学・心理療法は科学であると同時に、やはり非科学的なものを含まざるをえないのかもしれません。それは欠点ではなく、むしろ長所なのでしょう。

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