愛のない行為とは、じつは愛を求める叫びなのです。
こうした人々は、死んだような無感覚な状態や、攻撃的な気分におちいっています。あなたが困難にぶつかったとき、どんな気持ちだったかのかを思い出してみてください。まだ言葉も話せなかった子供のころ、助けを求めて叫び声をあげていたことを覚えていますか。いまあなたを攻撃してくる人もそれと同じように、あなたからの愛を求めているのです。
攻撃していたのは、本当はあなたの助けを求めていたからだ、ということに気づいてあげてください。
(『傷つくならば、それは「愛」ではない』9頁チャック・スペザーノ (著))
自分を攻撃してくる相手を「問題のある人」と見るか「愛を求めている人」と見るかで、自分がどういう人間になるかが決まります。
相手を「問題のある困った人」と見ると、相手は間違っており、性格は悪く、育ちも悪く、無知で粗野な、低能な人となります。
それに対し「愛を求めている人」と見ることは、相手は自分と同じ人間であり、自分と同じように弱さを抱えており、同時に相手の中に可能性を見出すことを意味します。
前者は自分を「正義の批判者」にします。後者は自分を「他者を助ける人」にします。
“Leadership And Self-Deception: Getting Out Of The Box”(The Arbinger Institute (著))というCDブックを聴きました。邦訳は『箱―Getting Out Of The Box』という題名で出版されましたが、現在は品切れなので、邦訳をお探しの方は図書館に当たられるといいのではないかと思います。かなり評判の本で、アマゾンのレビューも絶賛が並んでいます。
私は英語のオーディオブックだけ聴きましたが、何回も聴いてなんとなく大意は聴き取れたように思います。
内容は、会社の上司が新しく管理職に就いた社員に対し、その企業の管理職が心得ておくべきメソッドをマン・ツー・マンで伝授するというもの。しかし実際はその会社の創業者でメソッド開発者も登場してきます。
一言で言えば、そのメソッドとは、人間関係において、他人を問題のある人物と見なすとき、じつは本人自身が問題を抱えているということを論理的に説明するというもの。
著者によれば、他人を「問題のある人物」と見ることは、たとえその人がニュートラルな視点をもっていても、じつは不可能なことです。なぜなら、相手が「問題を持っている」という解釈自体が、必然的に善悪という価値基準を持ち込んでおり、相手をあく・自分を善という図式を使っているからです。
こうした心理メカニズムを著者は、‘to stay in the box’つまり「箱の中にいる」と表現します。
「箱の中にいる」とき、人はニュートラルなレンズを持たず、他人に問題があり、他人に問題があると分析できる自分は正しいと必然的に見なします。自分の分析は論理的に正しく、また道徳的にも正しいというわけです。こうした自己正当化こそ、人が「箱の中にいる」ことのメルクマールだと著者は述べます。つまり箱の中にいて盲目の状態だというわけですね。
また「箱の中にいる」人にとって「問題のある」相手は、自分を正当化するための‘object’つまりモノ・道具にすぎません。
ここで見られる現象は、ようするに「箱の中にいる」人というのは、フォーカスが自分にだけ向いており、論理的にも道徳的にも社会的にも、それゆえ会社にとっても正しいことを自分はしていると思い込んでいるのですが、実際は自分を守ることが最重要関心事になっており、同じチームの相手は自分を引き立てるための道具に貶めているということです。
しかし人は自分が「箱の中にいる」ことには気づきません。なぜなら、もちろん彼にとって「正しい」ことが一番大事であり、何かを「正しい」「間違っている」と解釈すること自体が所詮は自己正当化の手段に過ぎないことを認識できないからです。
それに対し「箱の外にいる」というのは、上記の「箱の中にいる」状態とはことごとく反対の状態を表わします。
「箱の外にいる」ことは、自分にフォーカスせず、自分の正当化ではなくチームの利益を考えます。チームの、そして他者の利益を考えたとき、重要なのは善悪・正悪の判断ではなく、他人を助けるべき存在、あるいは‘object’ではなく「人」として扱い、感情を持った存在として接します。
「箱の中」と「箱の外」を分けるのは、同じチームの人を「問題のある人」として自分を正当化する道具とみなすか、あるいは助けを求めている存在である「人」とみなすかです。
そして、もっとも問題のあるのは「問題のある人」ではなく、他人を「問題のある人」とみなす態度をもつ本人であることを著者は示します。すべての問題の根源は、その一点に集約されるとみなします。
これは単なる道徳論にとどまらず、組織の運営にとって不可欠な視点であると強調されます。
組織の肥大化と腐敗というのは、成員が自己保身と正当化に走るときに生まれます。著者の論理に従えば、この腐敗は、まさに成員が他者を善悪で裁くメンタリティを身につけ始めるときに始まります。そのときその成員は、チームにとってのメリットを考えているようで、実は自分の「正しさ」のみにフォーカスするようになっているからです。そこにはチームワークも生まれないし、結果的に組織の崩壊が招かれます。
他人を「問題のある人」とみなす人こそが問題を抱えているというシンプルな視点が組織運営を論じる上で取り上げられているのは、こうしたメンタリティと組織運営の結びつきの程度がその組織の成功を決めると著者が考えているからではないかと思います。
私は翻訳も手にとって、もう一度この著者の意図をじっくり考えてみたいと思います。
このCDは4枚で、およそ5分毎に区切られています。またナレーターは一人なのですが、声を巧みに変えて何人も登場人物が出ているように演出されて、ラジオドラマのようになっています。とても丁寧に作られているCDブックだと思います。
涼風
参考:「Getting Out Of The Box ~ 自己欺瞞の「箱」からの脱出」『CD、テープを聴いて勉強しよう!! by ムギ』
こうした人々は、死んだような無感覚な状態や、攻撃的な気分におちいっています。あなたが困難にぶつかったとき、どんな気持ちだったかのかを思い出してみてください。まだ言葉も話せなかった子供のころ、助けを求めて叫び声をあげていたことを覚えていますか。いまあなたを攻撃してくる人もそれと同じように、あなたからの愛を求めているのです。
攻撃していたのは、本当はあなたの助けを求めていたからだ、ということに気づいてあげてください。
(『傷つくならば、それは「愛」ではない』9頁チャック・スペザーノ (著))
自分を攻撃してくる相手を「問題のある人」と見るか「愛を求めている人」と見るかで、自分がどういう人間になるかが決まります。
相手を「問題のある困った人」と見ると、相手は間違っており、性格は悪く、育ちも悪く、無知で粗野な、低能な人となります。
それに対し「愛を求めている人」と見ることは、相手は自分と同じ人間であり、自分と同じように弱さを抱えており、同時に相手の中に可能性を見出すことを意味します。
前者は自分を「正義の批判者」にします。後者は自分を「他者を助ける人」にします。
“Leadership And Self-Deception: Getting Out Of The Box”(The Arbinger Institute (著))というCDブックを聴きました。邦訳は『箱―Getting Out Of The Box』という題名で出版されましたが、現在は品切れなので、邦訳をお探しの方は図書館に当たられるといいのではないかと思います。かなり評判の本で、アマゾンのレビューも絶賛が並んでいます。
私は英語のオーディオブックだけ聴きましたが、何回も聴いてなんとなく大意は聴き取れたように思います。
内容は、会社の上司が新しく管理職に就いた社員に対し、その企業の管理職が心得ておくべきメソッドをマン・ツー・マンで伝授するというもの。しかし実際はその会社の創業者でメソッド開発者も登場してきます。
一言で言えば、そのメソッドとは、人間関係において、他人を問題のある人物と見なすとき、じつは本人自身が問題を抱えているということを論理的に説明するというもの。
著者によれば、他人を「問題のある人物」と見ることは、たとえその人がニュートラルな視点をもっていても、じつは不可能なことです。なぜなら、相手が「問題を持っている」という解釈自体が、必然的に善悪という価値基準を持ち込んでおり、相手をあく・自分を善という図式を使っているからです。
こうした心理メカニズムを著者は、‘to stay in the box’つまり「箱の中にいる」と表現します。
「箱の中にいる」とき、人はニュートラルなレンズを持たず、他人に問題があり、他人に問題があると分析できる自分は正しいと必然的に見なします。自分の分析は論理的に正しく、また道徳的にも正しいというわけです。こうした自己正当化こそ、人が「箱の中にいる」ことのメルクマールだと著者は述べます。つまり箱の中にいて盲目の状態だというわけですね。
また「箱の中にいる」人にとって「問題のある」相手は、自分を正当化するための‘object’つまりモノ・道具にすぎません。
ここで見られる現象は、ようするに「箱の中にいる」人というのは、フォーカスが自分にだけ向いており、論理的にも道徳的にも社会的にも、それゆえ会社にとっても正しいことを自分はしていると思い込んでいるのですが、実際は自分を守ることが最重要関心事になっており、同じチームの相手は自分を引き立てるための道具に貶めているということです。
しかし人は自分が「箱の中にいる」ことには気づきません。なぜなら、もちろん彼にとって「正しい」ことが一番大事であり、何かを「正しい」「間違っている」と解釈すること自体が所詮は自己正当化の手段に過ぎないことを認識できないからです。
それに対し「箱の外にいる」というのは、上記の「箱の中にいる」状態とはことごとく反対の状態を表わします。
「箱の外にいる」ことは、自分にフォーカスせず、自分の正当化ではなくチームの利益を考えます。チームの、そして他者の利益を考えたとき、重要なのは善悪・正悪の判断ではなく、他人を助けるべき存在、あるいは‘object’ではなく「人」として扱い、感情を持った存在として接します。
「箱の中」と「箱の外」を分けるのは、同じチームの人を「問題のある人」として自分を正当化する道具とみなすか、あるいは助けを求めている存在である「人」とみなすかです。
そして、もっとも問題のあるのは「問題のある人」ではなく、他人を「問題のある人」とみなす態度をもつ本人であることを著者は示します。すべての問題の根源は、その一点に集約されるとみなします。
これは単なる道徳論にとどまらず、組織の運営にとって不可欠な視点であると強調されます。
組織の肥大化と腐敗というのは、成員が自己保身と正当化に走るときに生まれます。著者の論理に従えば、この腐敗は、まさに成員が他者を善悪で裁くメンタリティを身につけ始めるときに始まります。そのときその成員は、チームにとってのメリットを考えているようで、実は自分の「正しさ」のみにフォーカスするようになっているからです。そこにはチームワークも生まれないし、結果的に組織の崩壊が招かれます。
他人を「問題のある人」とみなす人こそが問題を抱えているというシンプルな視点が組織運営を論じる上で取り上げられているのは、こうしたメンタリティと組織運営の結びつきの程度がその組織の成功を決めると著者が考えているからではないかと思います。
私は翻訳も手にとって、もう一度この著者の意図をじっくり考えてみたいと思います。
このCDは4枚で、およそ5分毎に区切られています。またナレーターは一人なのですが、声を巧みに変えて何人も登場人物が出ているように演出されて、ラジオドラマのようになっています。とても丁寧に作られているCDブックだと思います。
涼風
参考:「Getting Out Of The Box ~ 自己欺瞞の「箱」からの脱出」『CD、テープを聴いて勉強しよう!! by ムギ』
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