CuniCoの徒然・・・岩下邦子の独り言

日々の暮らしの中で、立ち止まったり、すれ違ったり。私の中のアレコレを思いつくまま、気の向くまま。

便利になったことで失ったこと、いろいろあるなぁ・・・

2016-05-30 10:33:24 | 日記
『教育』とは・・・

教え育てること。知識,技術などを教え授けること。人を導いて善良な人間とすること。
人間に内在する素質,能力を発展させ,これを助長する作用。
人間を望ましい姿に変化させ,価値を実現させる活動
(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説・・・の記述一部)・・・コトバンクより

つまりだ・・・少し早くこの世に生を受けた人たちから、教え育てられたり、
『教育』を職業としている人たちに教えてもらったり、
またその『教育』を受けさせる義務が国にもあったり、
そんな感じなんだろうな、教育って。
モノの道理を知る・・・というか。。。そういうことなんだろうな。

先日、通勤途中の乗換駅で、電車を降りて隣のホームへ移動するため、
多くの人たちの流れに乗りながら、エスカレーターへと向かった。
すると、その流れの中に、小学生くらいの子とその父親らしき人がいた。
父親は子どもを人の流れからかばうように子どもの後ろから、肩を支えて歩いていた・・・
私は、その親子の右側をすり抜けてエスカレーターへ・・・
ふと、子どもをみて、私は自分の目を疑い・・・そして、その父親を一瞥した。
なんと、子どもは、スマホでゲームに夢中だった・・・

ありえん!
なにをしとるんだ!
あんたは、子どもを守っているつもりか!
あんたは、子どもを将来危険にさらすための行動をしているだけじゃないか!
子どもは、人込みでもゲームをしながら歩くことが平気な大人になるんだぞ!
自分だけではなく、他人に迷惑をかけながら、
それに気づかず「私は悪くない」と思う大人になるのだぞ!
「ゲームはやめなさい。人込みでは迷惑だし危険だ」と教えずなにしてるんだ!
育児を放棄しているといってもいいくらいだ!!

と思いながら・・・通勤の人込みの流れの中で、
私はその親子の横を通過しただけの大人・・・だったのだが。。。

まったく、いったいぜんたい、あっきれかえってしまう。

今朝の新聞には、『しつけ』のために子どもを林に置き去りにした親がいるとの報道。
子どもは行方不明だというではないか・・・
何が『しつけ』だ!ふざけるな!育児放棄であり、虐待だろ!
自分の都合のいいように、子どもを扱う親たち!いい加減にせいや!
どんな教育を受けて、育ったんだ、この両親は!と思ってしまう。

昔、私も子どもを0歳で保育園に預けるなんて、ひどい・・・
などと言われたりしたもので・・・何事にも様々な意見があろうかと思うが、

『教育』は、とても大切なこと。。。と最近思ったりしたので、
教育とは・・・と調べてみた次第。

叱られたことのない子どもたちは、
学校で始めて自分の思いが通らない社会と出会うことになる。

家人の思い出話の中に、長男とおじいちゃんのテレビのチャンネル争いの話がある。
おじいちゃんの勝利だったようだが・・・(笑)
自分の意のままにならないこと、
社会とは、違う意見や考えの人がいること、
そんなことを生まれたときに最初に出会う社会(家族)から学ぶ。
『教育』などという言葉にしなくても生活の中で身につけていくことがある。

電話だって、いわゆる家電で初めて恋する相手ができたときにも、
茶の間にある電話で話すのだから、プライバシーも何もあったものじゃない。
長電話すると・・・親の目が気になって、途中で切り上げたりもしたもんだ。

それが、今や携帯スマホの普及で、そんな気遣いはどこにもない。

まったくなぁ・・・便利になったことで失ったものの代償・・・大きすぎやしないだろうか。

社会であれこれ起こるたびに、
社会であれこれ目にするたびに、
いろいろ思うのは、歳を重ねたからだろうか。。。
若い頃、年寄りがごちゃごちゃ言ってうるさいなぁ・・・と思いつつも耳を傾けた。
今度は、うるさいなぁ・・・と言われ、
聞く耳持たないといわれようとも
私たち世代が、何かを言わなければならないのだろうな。。。

なんて・・・書いていたら、部屋を片付ける時間が無くなりそうだ。
散らかった私の部屋は・・・
私のおばあちゃんが見たら、ひっくり返りそうな現状ではある(^^ゞ

ぼちぼち、片付けるとしましょうか・・・(^.^)

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1 コメント

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涙があふれます・・・ (CuniCo)
2016-06-01 08:28:51
sararaさま・・・
今日のお昼に削除しますね。
sararaさんの気持ちを優先します。
ただし、私はコピペして保存しちゃう!
だって、涙があふれて、迷い戸惑い憤り、それでも悩んでいる・・・私も同じ。
sararaさんのその思いの表明は、私に勇気をくれるから。

スーパーで、お肉のパックを指を押し付けている子・・・
その親が「お店の人に怒られるからやめなさい」と注意したのを聞いて、
耳を疑ったのは、もうずいぶん前のこと。
人に何か言われるから、やめなさい・・・それは、間違っている。
あなたの行為はいけないことだと教えるべきだ。
あのお母さん、スーパーのお肉を指でいじって
ぐしゃぐしゃにすること悪いと思ってないのかしら?
あんな注意のされ方する子どもは、何を得るのだろうか・・・と。

いろいろ思えど、私もその社会の構成員。
そして、その構成員であるsararaさんや私が思うこと感じること・・・
それは、決して無駄ではないはず。
あきらめないこと。
言葉にすること。

最後に沢田研二さんの『我が窮状』の最後の言葉・・・を。
『この窮状 救えるのは静かに通る言葉
我が窮状 守りきりたい 許し合い 信じよう』
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