久しぶりに母の顔を見に行った。
元気そうだった。
『サービス付き高齢者向け住宅』に入居して半年といったところかなぁ。
兄の居住地から車で15分くらいだろうか・・・
我が家からは、2時間弱。。。ついついご無沙汰してしまう。
往復4時間は、結構しんどい。
到着したのは、16時30分をまわり、17時に近かった。
同じ建物内のデイサービスも利用しているので、
まぁいい時間かなぁ。。。と思ったが、なんとすでに夕食の時間だった。
広いスペースで、入居者が一緒に食事をする。
母の部屋で待つことにした。
少しすると、母が戻ってきた。
父の名前をたずねると、しばらく思い出せない。
やっと思い出す。
部屋に飾ってある写真の中に父の写真はない。
アルバムをめくると、池上本門寺の境内で、
父が私の娘と鳩に餌をあげている写真があった。
それを見て、「あぁ、この人、お父さんだよ。正夫さん。」と思い出した。
部屋にはもう一つ額に入った古い写真がある。
その写真が誰の写真か、私にはわからない。
どうやら母は、施設の職員の人に「この写真だぁれ?」と聞かれると、
「お父さん、私の旦那さん。」と答えていたようだ。
私は笑い転げてしまった。
「違うよ、違う。この人はお父さんじゃないよ。」
「そうかなぁ、じゃぁ、誰だろう???」
「わからないよ、私の知らない人(笑)」
写真の裏も調べたが、メモも無かった。
今、これを書きながら、ふと思い出した。
折橋の伯父さんかもしれない。
私が初めて伯父さんに会ったのは、中学の時。
その後、10回も会っていないから、顔はもう覚えていない。
でも、きっとそうだ。
母が大切に持っているのだから、折橋の伯父さんだ。
それがわかる人・・・をWikiで確認。
おっ、まだ元気みたいだ・・・
叔父さんの消息をWikiで確認するってどうよって思うが、そのくらい疎遠だ(^^;
この叔父さんと最後に会ったのは、37年前、京王プラザホテルのBAR。
私はアルバイト、叔父さんは、お客様。
お互いにめちゃくちゃ驚いた。
同席されていた方に
「僕の姪っ子。正真正銘、本当の姪っ子なんだ、この子」と紹介してくださった。
あの日以来、会っていない気がする。
母は、覚えているかなぁ・・・自分の兄弟のこと。。。
さてさて、そんなこんなで、いろんな記憶が曖昧な母に、
「ここで暮らすようになってどれくらい経つの?」と聞いたら、
「もう随分になるよ、何年経ったかなぁ。。。」という。
それくらい皆さんと仲良くさせていただいているということなのだろう。
ありがたい。。。
いろんなことを忘れていく母を見ながら、
人間にとって必要なもの・・・ってなんなのだろう。。。と、考えた。
絵が好きな母のために美術館の写真集が部屋にはある。
デイサービスで作ったと思われるカレンダーには丁寧に色が塗られていた。
そうだ、母が若い頃勉強していた日本刺繍の端切れが何処かにあったはず。
額に入れて今度持って行こう、そう思った。
だんだん緩やかになっていく母。
心を病みながらも、傷つきながらも、自分という命を生きてきた母。
忘れるということが、
様々に執着しないということが、
とても美しい姿に見える。
命を大切にしつつ、執着しない。
久しぶりに母と会って、そんなことを考えた私なのでした。
我が家のおばぁちゃん猫も微睡む時間が長くなっている。。。
元気そうだった。
『サービス付き高齢者向け住宅』に入居して半年といったところかなぁ。
兄の居住地から車で15分くらいだろうか・・・
我が家からは、2時間弱。。。ついついご無沙汰してしまう。
往復4時間は、結構しんどい。
到着したのは、16時30分をまわり、17時に近かった。
同じ建物内のデイサービスも利用しているので、
まぁいい時間かなぁ。。。と思ったが、なんとすでに夕食の時間だった。
広いスペースで、入居者が一緒に食事をする。
母の部屋で待つことにした。
少しすると、母が戻ってきた。
父の名前をたずねると、しばらく思い出せない。
やっと思い出す。
部屋に飾ってある写真の中に父の写真はない。
アルバムをめくると、池上本門寺の境内で、
父が私の娘と鳩に餌をあげている写真があった。
それを見て、「あぁ、この人、お父さんだよ。正夫さん。」と思い出した。
部屋にはもう一つ額に入った古い写真がある。
その写真が誰の写真か、私にはわからない。
どうやら母は、施設の職員の人に「この写真だぁれ?」と聞かれると、
「お父さん、私の旦那さん。」と答えていたようだ。
私は笑い転げてしまった。
「違うよ、違う。この人はお父さんじゃないよ。」
「そうかなぁ、じゃぁ、誰だろう???」
「わからないよ、私の知らない人(笑)」
写真の裏も調べたが、メモも無かった。
今、これを書きながら、ふと思い出した。
折橋の伯父さんかもしれない。
私が初めて伯父さんに会ったのは、中学の時。
その後、10回も会っていないから、顔はもう覚えていない。
でも、きっとそうだ。
母が大切に持っているのだから、折橋の伯父さんだ。
それがわかる人・・・をWikiで確認。
おっ、まだ元気みたいだ・・・
叔父さんの消息をWikiで確認するってどうよって思うが、そのくらい疎遠だ(^^;
この叔父さんと最後に会ったのは、37年前、京王プラザホテルのBAR。
私はアルバイト、叔父さんは、お客様。
お互いにめちゃくちゃ驚いた。
同席されていた方に
「僕の姪っ子。正真正銘、本当の姪っ子なんだ、この子」と紹介してくださった。
あの日以来、会っていない気がする。
母は、覚えているかなぁ・・・自分の兄弟のこと。。。
さてさて、そんなこんなで、いろんな記憶が曖昧な母に、
「ここで暮らすようになってどれくらい経つの?」と聞いたら、
「もう随分になるよ、何年経ったかなぁ。。。」という。
それくらい皆さんと仲良くさせていただいているということなのだろう。
ありがたい。。。
いろんなことを忘れていく母を見ながら、
人間にとって必要なもの・・・ってなんなのだろう。。。と、考えた。
絵が好きな母のために美術館の写真集が部屋にはある。
デイサービスで作ったと思われるカレンダーには丁寧に色が塗られていた。
そうだ、母が若い頃勉強していた日本刺繍の端切れが何処かにあったはず。
額に入れて今度持って行こう、そう思った。
だんだん緩やかになっていく母。
心を病みながらも、傷つきながらも、自分という命を生きてきた母。
忘れるということが、
様々に執着しないということが、
とても美しい姿に見える。
命を大切にしつつ、執着しない。
久しぶりに母と会って、そんなことを考えた私なのでした。
我が家のおばぁちゃん猫も微睡む時間が長くなっている。。。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます